工業用や家庭用の安全用品を開発・製造・販売している株式会社カーボーイは、危険な角部をカバーする「安心クッション」や、風や水の力を受け流し、倒れにくい「穴あきコーン」などの大ヒット商品を生み出している。
特に新商品である、この「穴あきコーン」はテレビ番組でも特集が組まれ、3億円の売り上げを突破する程の人気を博している。穴が空き内部が透けて見える設計となっているため、警視庁によるテロ対策の警備などでも使用されているほどだ。
数々のヒット商品を世に出している同社だが、創業時は輸出車のクリーニング業から始めたという。代表取締役の廻本氏に、創業からの歩みと、ヒット商品の誕生秘話、今後の展望について話を聞いた。
クリーニング業からものづくりへ。販路開拓に見出した会心の一手
ーー創業についてお聞かせください。
廻本一夫:
私が20代の頃に始めた事業は、外国に輸出する車のクリーニング業でした。そのうち飛行機や船、観光バスなどの依頼も来るようになり、40代までその仕事を続けました。
最初に販売を始めた商品は、車体につける「赤ちゃんが乗っています」と書かれたステッカーです。私の長男が生まれた当時はチャイルドシートが整備されておらず、赤ちゃんの安全のためにゆっくり走ると後続車からあおられました。
そこで赤ちゃんが乗っていることが一目で分かるようなステッカーをつくり、車につけた途端、ピタッとあおり運転がなくなったのです。もともと物販に憧れ、体力も限界が来ていたため「クリーニング業を中止してこのステッカーを販売しよう」と、現在の事業へ舵を切りました。
ーークリーニング業から一転し、どのように販路を開拓されたのですか?
廻本一夫:
販路を持ち合わせていなかったので、ひたすら飛び込み営業を続けますが、まるで相手にされません。自分の能力のなさに打ちひしがれ、九十九里の砂浜で涙を流す日もありました。私はやっとの思いで大手デパートとのアポを取りましたが、2時間も待たされました。ところがデパートの担当者は、私が1人で売り込みに来ていると知るや、商品も見ずに見限りました。
そこから「頭を下げるばかりの営業をやめよう」と思い、商品力をアピールするため、マスメディアの力を活用することを考えました。アポなしでNHKのビルに向かうと、局内にスウェーデンのテレビ局を見つけ、飛び込みでステッカーの営業をしました。そのテレビ局に所属する女性の関係者の方は私の話を聞いて感動し、スウェーデンテレビでステッカーを紹介してくれたのです。
すると、アメリカのCNNやイギリスのBBCなど、各国のメディアで紹介され、日本の報道でも大きく取り上げられます。それを見た視聴者がデパートなどのベビー用品売り場に殺到し、1日に400人もの人が、私たちのステッカーを求めたのだそうです。その光景を見た大手デパートの担当者がすぐに私のところに来て「どうかこのステッカーを売ってください」と言ってくれて、この放送がデパートでの販売に繋がりました。ステッカーは放送直後に年商1億円以上、売上を伸ばしました。
第三者の目線から生み出された、競合のいない商品づくり
ーーその後に生み出された「安心クッション」などの数々のヒット商品は、どのように開発されたのでしょうか?
廻本一夫:
弊社の商品は、創業当初におこなっていたクリーニング業で見てきた現場の課題を、「こうしたら良いのでは」という第三者の目線から開発につなげたものです。
車のクリーニングでは、車を船に何千台と積み込む作業をおこないます。船内の車間は20cmほどしかなく、せっかく洗車したのにドアを開けた際にドア同士に傷をつけてしまい、修理に多額のお金がかかっていました。「それならドアにクッションをつけたら良いのでは」と思い、開発したのが「安心クッション」です。
「フジヤマコーン」は、船内で車を並べる際に使用していたコーンのウェイトが15kgもあり、車を移動させるたびに両手で30kgにもなるコーンを持ち上げなければならず、「なんて無駄な動きなのだろう」と常々思っていました。そこで風が吹いても倒れないよう、ベースにネオジム磁石を埋め込み、ゴムのウェイトを無くし、ネオジム磁石を使用した「フジヤマコーン」が生まれたのです。
従業員が自ら考え、行動する環境づくり
ーー商品の企画は全て社長が考えているのですか?
廻本一夫:
私が商品を考えていると、自然と従業員も新しい商品を考え出すようになりました。弊社の商品はすでに流通しているものではなく、競合の少ない商品ばかりです。そのために新商品のアイデアを探る際は、ホームセンターで一番売れ行きの悪い売り場に向かい、「日陰にある商品を売るにはどうしたら良いのか?」と従業員に考えさせるのです。
現場で取引先の困りごとや悩みを弊社の営業がすくい上げ、新たな商品を開発して問題を解決することも多々あります。「ハンドガード」という商品は、自動車工場の従業員がカートを使う際、手を挟んで怪我をすることが多いと聞き、営業がデザイナーと開発しました。その結果、怪我の発生が減少し、年間10万個以上売れる大ヒット商品となったのです。
会社を小さくすることで従業員に利益を還元する
ーー会社の今後の展望を教えてください。
廻本一夫:
私の目標は、会社を小さくすることです。会社を大きくするために借金をし、豪華なビルを構えるのではなく、創業以来無借金経営をおこない、給与や社員旅行などで利益を従業員へ還元しています。そのため従業員のやる気は自然と上がり、結果売り上げが右肩上がりになり、離職率も下がり、長く働いてくれる方がほとんどです。
ーー会社の後継についてはどのようにお考えですか?
廻本一夫:
私がいつ社長職を離れても良いように、「商品力で勝負できる会社」にしておきたいと思っています。いずれは息子に継いでもらおうと考えていますが、私と息子は育ってきた環境も違えば、考え方も違います。次期社長がスムーズに商売できるスタイルをつくるのが私の仕事です。
営業の仕事にしても、たとえ優秀な営業マンがいたところで、その人が病気や怪我などで売り上げが減ってしまっては話になりません。良い商品をつくれば、必然的にお客様はついてきます。人に頼らず、求められる商品を生み出し続ける会社にしていきたいと考えています。
編集後記
これまで多彩な商品を生み出し、現場の問題を解決に導いてきた廻本氏。地域への貢献のために、学校や病院、寺院などに毎年寄付もおこなっているという。
「仕事は明るく、楽しく、一生懸命」。全ての工場に掲示しているというこの標語の通り、廻本氏の思いを受け継いだ快活で熱心な従業員たちが、今後も素晴らしい商品を生み出していくことだろう。
廻本一夫/1948年8月生まれ。20代の頃に個人で安全対策用品を手がけるようになり、一代で国内外からの高い評価を得るような企業へと育て上げる。過去の営業の苦労を従業員に味合わせたくないと、従業員第一主義を貫く。