※本ページ内の情報は2024年4月時点のものです。

2020年1月、国内で初の新型コロナウイルス感染者が確認された後、4月には緊急事態宣言が発出される事態にまで発展した。不要不急の外出自粛が要請され、航空業界には衝撃が走ったことだろう。

業界全体が低迷する中、独自の戦略で事業を成長させたのが日本空港ビルデング株式会社だ。今回は代表取締役会長兼CEOの鷹城勲氏に、入社したきっかけやコロナ禍での事業戦略について話をうかがった。

さまざまな要因が重なり、航空業界の企業に入社

ーー貴社に入社したきっかけを教えてください。

鷹城勲:
もともとはスポーツの専門家になるか、メディアに関する仕事をしたいと思っていました。就職活動を始める際にアルバイト先の社長に相談したところ、エンターテインメント業界は生き残るのが難しいが航空業界は着実だというアドバイスをもらい、そこから航空業界も視野に入れるようになりました。

私が入社する2年前の66年に全日空羽田沖墜落事故が起き、航空業界自体の雰囲気が非常に落ち込んでいたことと、採用を68年に再開したことが重なり、当時は採用の受け皿が広かったのかもしれませんが、運良く入社となりました。

さまざまな経験を通して今、振り返っても、「タイミングよくあの時に入社できて良かった」と思います。

ーー会長に就任した際はどのような思いでしたか。

鷹城勲:
昔から好きなことをして生きてきたのですが、周囲の方々には非常に恵まれていました。「言いたいことを言い、それに向かって進んでいく」という姿勢を貫いてきたので、先輩や上司と揉めたこともあります。そんな私のことを理解してくれる人やついてきてくれた後輩がいたので、今の私があると思っています。

仕事をしている中で「企業というのは人だ」という思いが積み重なり、「人を育てて世の中で通用する会社にする」という考えは、会長になった今でも大切にしています。

コロナ禍を乗り越えた奇策とは

ーー貴社の事業内容を教えてください。

鷹城勲:
羽田空港の土地の所有権は国にあるので国土交通省と連携を取りながら、羽田空港旅客ターミナルの建設、管理・運営を行っており、主に施設管理運営業・物品販売業・飲食業の3つの事業を展開しています。

弊社の事業の中心である羽田空港の旅客数は世界で5番目※、日本においては1番多いので、国を代表するハブ空港としての役割や責任も大きいと感じています。国内外からの期待に応えるため、まずは「弊社で働く従業員を大切に育てたい」と思っています。

※2019年暦年旅客数 ACI(国際空港評議会)発表

ーー新型コロナウイルスの流行によって厳しい時期が続きましたが、困難な状況を乗り越えられた要因はなんだったのでしょうか。

鷹城勲:
コロナ禍のような状況は入社して50年超で初めてのことでした。ターミナル内でお客様よりも従業員が多い状態が続くとは想像もしていなかったことです。しかも、コロナの影響が3年半も長引くとは思ってもいませんでした。

危機感はありましたが日本のハブ空港というポテンシャルをもっていたので、コロナが収束すれば急激に回復する見通しがあり、落ち着いて対応できました。

航空業界が回復するまでは、会社全体でより良い空港にするための準備を進めようと考えました。回復してきた時に備え、一気に対応できるように「足りなかった部分はなにか」を考えて修正した結果、コロナ禍が収束した現在はピーク時を超えるまでに回復しました。

会社の発展のためには、足りない部分にも目を向けて修正する努力が必要だということを改めて感じました。

苦境の中でも前進する姿勢を忘れなかった

ーーコロナ禍で見えた貴社の弱点や足りなかった部分とはなんだったのでしょうか。

鷹城勲:
これまでは航空業界自体が右肩上がりで発展してきたため、来ていただくお客様の対応をしっかりと行うことで自然と利益も上がっていたので、新しいことに挑戦する姿勢が弱かったと感じていました。

しかし、受け身の経営ではコロナ禍のような状況に対応できません。物を購入してくれる人がいなくても利益を上げる方法を考え、今では従業員が率先して新しいことにチャレンジしようという人が多くなったと感じています。また、コロナ禍を通して従業員のスキルが上がったようにも感じています。

ーーチャレンジしてきたことの具体例を教えてください。

鷹城勲:
羽田空港は日本の魅力を海外へ発信する場であり、海外の魅力を受け入れる場でもあります。その場を最大限に活用するため、1つの例としてロボットがあります。清掃や案内、翻訳、移動支援、物流などの分野でロボットの実証実験をし、すでに導入し活躍しているものもあります。

日本の産業は自動車が引っ張ってきましたが、今後はロボットも重要な産業になってくると考えています。空港内でロボットを動かすことで、実用性や有効性を世界へ発信することができます。

日本の誇るべき技術を羽田空港から発信することが、弊社が担う役割だと思っています。

「前進」が業務改革のキーワードに

ーー貴社の今後の展望や、現在の課題があれば聞かせてください。

鷹城勲:
お客様により快適に過ごしてもらえるよう、さまざまな業務を改善したいと考えています。

そのために若手社員が中心となり「terminal.0 HANEDA(ターミナル・ゼロ・ハネダ)」というプロジェクトを立ち上げました。業界・業種を超えて32社の企業にご参画いただき、ターミナルを良くするためのオープンイノベーションを開始しました。例えば、保安基準を維持するために必要な保安検査において、お客様にかかるストレスを少しでも和らげることなどを考えています。

また、社内では「とにかく今の自分や業務を改善する」という意味を込めて「プラスワンプロモーション」にも取り組んでいます。「現状で満足していては進歩が止まってしまうので、日々進化。」という考えのもと、常にチャレンジをするという姿勢で業務を遂行しています。

ーーこれからの日本を担う20・30代の方へ向けて伝えたいことがあればお願いします。

鷹城勲:
弊社の企業理念は「公共性と企業性の調和」です。公共的な役割を果たすために、企業としての合理性を活かして自由に仕事を遂行できるという強みがあります。

私たちは「前進したい」「前を向きたい」と考えている方と一緒に働きたいと思っています。そして、前向きな気持ちを持ち続けていれば、社会へ出ても通用すると思います。「今の自分を一歩でも前進させたい」という思いをもっていただきたいと思います。

編集後記

コロナ禍を乗り越え、新たな事業戦略を企て、業界を成長させた鷹城氏。困難な状況下でも人を大切にする思いは、決して忘れていなかった。

日本を代表する空港として、業界発展に大いに貢献する同社と鷹城会長の歩みに今後も注目していきたい。

鷹城勲/1943年7月13日徳島県生まれ。青山学院大学卒。1968年日本空港ビルデング株式会社に入社、1995年に取締役大阪事業所総支配人、1997年同総務部長に就任。2003年に副社長、2005年に代表取締役社長に就任。2016年代表取締役会長兼CEOに就任し、現在に至る。