※本ページ内の情報は2024年4月時点のものです。

1844年に愛知県半田村(現・半田市)で創業した中埜酒造株式会社。

フランスの日本酒コンクール「Kura Master 2023」で審査員賞を獲得したほか、「全国新酒鑑評会」や「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」で金賞に輝くなど、国内外で高い評価を受けている日本酒メーカーだ。

清酒中心の既存事業に固執せず、新製品や新サービスを模索するなど、経営の多角化を進める。伝統を守りつつも、決してそこにとどまることなく、常に変革と挑戦を繰り返すことで成長へとつなげたいと常々考えている、代表取締役社長の中埜昌美氏にうかがった。

酒造業における時代に合わせた工夫

ーー貴社の事業について教えてください。

中埜昌美:
私が入社した1977年頃は、ワイン・焼酎・ウイスキーの人気が高まり、日本酒業界全体の売り上げが落ちていた時代でした。これからは日本酒以外もつくらなくてはということで、チューハイが世に出始めた黎明期に「酎はい亭」を発売しました。高濃度の梅酒が主流の中、ストレートで飲めるアルコール度数の低い梅酒も展開しました。

梅酒づくりでは和歌山県の梅を使い仕込んだ「おばあちゃんの梅酒」のほか、「おいしい梅酒づくりは、おいしい梅づくりから」との思いから2008年に自家農園「國盛FARM」を立ち上げました。消費者に合わせてレパートリーを増やすのも弊社の特徴です。

ーー販売網の広さも特徴的ですね。

中埜昌美:
かつては酒屋しかアルコール飲料を売れませんでしたが、酒類販売業免許の条件緩和によってコンビニやスーパー、ドラッグストアまで販路が広がりました。価格競争で淘汰されてしまった酒屋も多く、時代の波に乗るためにはあらゆる工夫が必要です。

大手コンビニや居酒屋チェーンと業務提携し、プライベートブランドや店舗オリジナルのアルコールメニューの開発にも携わっています。安心できるお店との関わりを保つことは、自社ブランドの売り上げにもつながっています。

日本酒の未来を守るため――時代を見越した商品開発

ーーヒット商品の果実リキュールはどのように生まれたのでしょうか?

中埜昌美:
国産みかんをまるごと使用した「國盛 フルリア みかんのお酒」は、「果汁がたっぷり入っているのに安くておいしい」と好評です。「付加価値のある商品」として開発し、地区限定販売でもいいから確実にファンを増やしていこうと考えました。20~30代の方においしいお酒を届けるため、商品開発にはターゲット層と同世代の社員が参加します。

「自然発泡 純米酒 とらじの唄」という商品は、約30年前に若手女性社員が考案しました。「乾杯のビールに負けないお酒」というコンセプトの爽やかな酸味のあるお酒で、当時としては新感覚でした。焼肉にも合う風味で、マッコリが流行する前から親しまれています。開発専門部門に多様性があることは弊社の強みですね。

ーーノンアルコール商品についてお聞かせください。

中埜昌美:
「國盛ファーム 梅シロップ」は、炭酸やお湯で割っても濃厚な梅の風味を楽しめる商品です。完熟でシロップづくりに最適な熟度で収穫できるのも自家農園の強みです。日本酒と自社農園の梅を原料にした「國盛 煎り酒」は、昔ながらの調味料です。素材の風味を生かす味わいで、室町時代には醤油の代わりとして使われていました。

業界全体の困難にもひるまない開発精神

ーー困難な状況に直面した際、どのようにして乗り越えられましたか?

中埜昌美:
コロナ禍では業務用アルコール飲料の売り上げが激減しました。家庭向け商品や通販、輸出でカバーしつつ、ドラッグストアやコンビニの本部へ営業をかけたものです。

清酒市場はシュリンクしている市場であるため、量販売による利益獲得策である「経済酒」や「パック酒」の販売から付加価値製品販売へ極力転換することで、販売量は減少しても適正な利益が獲得できるようシフトし、同時期の甘酒ブームに乗ることで売り上げ低下を緩和できました。

甘酒は日本酒よりも微生物管理が大変な製品です。そのため、製造においては大手食品メーカー並みの管理設備を導入しました。コストや時間はかかりましたが、安定した品質の製品を提供することが出来ています。企業は必要な投資をしながら、多様な商品を開発することが大切だと思います。

次世代へのメッセージ――仕事の幅を広げよう

ーー20代、30代の若い方へメッセージをお願いします。

中埜昌美:
いろいろな仕事をして人間力を高めることが、自分や会社のためになると考えてください。弊社では営業担当が開発にかかわったり、醸造担当が別ラインの製造についたりすることで、幅広い知識を得られるようにしています。

たとえば、誰でも同じお酒をつくれる生産体制がある一方で、入社時には酒づくりの基本的な工程も学んでもらいます。昔は人力で数時間かかった仕込みを機械に任せるようになっても、温度や力加減など、データを管理する技術者は人間です。工程を理解していないと正しい判断ができないため、手作りの精神や本質を理解する必要があるのです。

編集後記

180年以上の歴史を持つ老舗酒蔵が、清酒だけにこだわらない理由が見えた今回のインタビュー。全国レベルの総合アルコールメーカーを目指しながら、昔ながらの日本酒文化も守り続ける企業の姿勢から、時代とともに歩む大切さを学んだ。

中埜昌美/1953年10月1日生まれ。日本酒造組合中央会が定める「日本酒の日」に生まれる。大学卒業後、家業である中埜酒造へ入社。30歳で代表取締役社長に就任。清酒中心の既存事業に固執せず、新製品や新サービスを模索するなど、経営の多角化を進める。伝統を守りつつも、決してそこにとどまることなく、常に変革と挑戦を繰り返すことで成長へとつなげたいと常々考えている。