企業研修をコア事業とし、人事サポートシステム・LMS(学習管理システム)「Leafシリーズ」をはじめ、数々のプラットフォームを開発する教育コンサルティング企業の株式会社インソース(2002年設立、東京都)。
他社に先駆けてコンテンツの拡充とデジタル化を推進し、東証プライム市場に昇格上場するなど、著しい成長を遂げた足跡は、業績にもはっきり表れている。
2018年に45億円だった売上高は、景気や外的要因に左右されず上昇カーブを描き、2023年には107億円を記録。経常利益率も17%前後だ。
急成長した成功の秘訣はどこにあるのか、そのヒントに迫るため、創業者の代表取締役 執行役員社長、舟橋孝之氏に詳しく話を聞いた。
絵を描いて独創性の大切さに気づいた学生時代
ーー学生時代から経営者に憧れていたのですか?
舟橋孝之:
いいえ、私は高校時代から絵描きを目指すほど油絵に真剣に取り組んでいました。夏休みには腰の高さまでデッサン画のスケッチブックを積み上げるほど熱中しましたよ。そんな日々を送っていたさなかで、ふと気づいたことがありました。
それは「誰かのコピーをしても人には勝てない」ということです。人と違うこと、独創性が大事だと気づき、それを追求するようになって、コンクールにも入賞することができました。これはビジネスにも通用すると今でも思います。
ーー就職では大手銀行に入行していますね。
舟橋孝之:
はい、食べていくための現実路線で普通の大学に進んで就職活動をし、ゼミの先輩の強い勧めで銀行に入りました。当初は「アートの世界にいた自分に体育会系のような銀行員が務まるのか」と不安を感じました。
最初に大阪郊外の支店で営業を担当したときは、「自分は向いていない」と同期からの出遅れを感じることもありましたが、その半年後には東京のIT部門に異動することになり、そこから徐々にスキル上昇の兆しが見え始めました。
システムエンジニア時代に独立の気運が高まった
ーー東京のIT部門ではどのような業務を経験しましたか?
舟橋孝之:
ユーザー部門のエンジニアとして、システム開発会社と銀行の各部門との橋渡しをしました。20代前半でプロジェクトリーダーとして上に立ち、年上の人に動いてもらうのには、とても苦労しましたよ。
その中でネットバンクやコンビニATMの開発を手がけたので、私自身も金融デジタル化のパイオニアに入るのではないでしょうか。
金融分野のITとリテール(個人や中小企業との取引)に携わるのは社内で自分1人でした。花形の営業から外れ、出世コースではないので、むしろ開き直っていましたね。技術的にも精神的にもイノベーションしやすい環境にありましたから、それが高じて転職するに至りました。
ーーどのような企業に転職したのですか?
舟橋孝之:
絵画とともに写真も好きだった関係で、写真関連のベンチャー企業に転職し、そちらの社長に2年間、経営に関するさまざまな手ほどきをしていただきました。
起業しようとしてベンチャー企業をいきなり立ち上げたとしても、大企業と価値基準が違い過ぎてうまくいかなかったでしょう。一度、中小企業への転職の機会を得られ、ほどよいスケール感でリアルな価値感を見出すことができたという意味で、非常に貴重な経験を積むことができました。
ーー起業までの経緯をお聞かせください。
舟橋孝之:
再び大企業に行くのも面白くないと思い、「いっそのこと起業しよう」とさばさばした気持ちで始めました。コンサルティングなら銀行時代にも経験があるので大丈夫だろうと踏み切りました。
いざコンサルを始めると仕事量のムラが大きいので、今のメインである研修業を並行するようになりました。毎回パターンの違うコンサルと違って、研修はプログラミングのパターンに似ていますからね。徐々にそちらに移行しながら事業は回るようになっていきました。
研修業をコンテンツビジネスへと昇華させた
ーー起業後、どのようにして事業を進めていきましたか。
舟橋孝之:
研修内容についてはお客様にヒアリングし、「どの役職を強化したいか」など、課題に合わせて毎回オーダーメイドで構成しました。それを誰もが活用できるよう、デジタル化して集積しました。
コンテンツを外注せずにすべて内製化したのがポイントではないでしょうか。人手が足りない時には、私自身も講師を務めた経験やライティングのスキルを活かし、独自のテキストを作成しました。
「研修のメーカー」という自覚もありますから、R&D(Research & Development:研究開発)を徹底的に積み重ね、年間360〜400タイトルの研修をつくってきました。それが4000以上にまで増えています。
現在では専門のクリエイターを採用して、コンテンツ事業を本格化し、テキストをeラーニングにも対応できるよう、コンテンツの多重活用も行っています。
ーー人材面の戦略はいかがでしょうか。
舟橋孝之:
もちろん、研修講師が重要なキーを握っていますので、講師の養成は欠かせません。新しく採用した講師は公開講座の場で30回のトライアルを行います。受講者2人ぐらいから始めて段々ハードルを上げていけば、どんな大舞台でも講義ができるようになります。
研修業をコンテンツビジネスに変え、オリジナルテキストと公開講座の両輪で運営してきたことが成長の原動力となりました。
中小企業の拡充が当面の目標
ーー今後の展望をお聞かせください。
舟橋孝之:
現在の売り上げは107億円で、市場シェアは約2%ですが、これを10%に引き上げたいと考えています。
そのためにはミッドクラスの顧客拡充を課題とし、今後は従業員300〜1000人規模の中企業に、よりフォーカスして営業をかけていく方針です。
ーー採用したい人材像はありますか?
舟橋孝之:
とにかく元気のある方に来ていただきたいです。弊社は常に新しいことに挑戦していくので、変化を楽しめる方を歓迎します。
編集後記
舟橋社長はインタビューの中で「今ダメだからといって将来もダメとは限らない。変化を求めて工夫したり、頑張れば道が開けることもある」とコメント。銀行のエンジニア時代に、情報処理の資格を取って、周りから認められるようになった経験を振り返っている。
起業当初は官公庁を中心に自ら週300本もの営業電話をかけていたという同氏。天才肌で成功を築いたように見えるが、地道な努力もあって成功を実現させたことを知った。
舟橋孝之/1964年生まれ。株式会社三和銀行(現・株式会社三菱UFJ銀行)に入行し、システム開発や新商品開発を担当。店頭公開流通業で新規事業開発を担当後、教育・研修のコンサルティング会社である株式会社インソースを2002年に設立。2016年に東証マザーズ市場に上場、2017年には東証第一部市場(現プライム市場)に市場変更。