※本ページ内の情報は2024年5月時点のものです。

厚生労働省の地域医療構想によると、質の高い医療のためには医療機関相互の連携が必要だという。たしかにこれは重要なテーマだが、関係を強化すべき範囲は国内の地域だけなのか。

東京から約100km、房総半島の海辺にトップレベルの医師たちと彼らを頼る患者が集まっている。千葉県鴨川市の「亀田総合病院」を中心に、ハイクオリティな医療と教育を提供するのは、医療法人鉄蕉会だ。

現理事長の亀田隆明氏に連なる代々の経営陣は、歴史の大きな変化のなかで地道に実績を積み上げ、医療の世界で確固たる地位を築いてきた。そんな同氏に、病院経営の神髄を語っていただいた。

時代の荒波を乗り越えて貫いた、質の高い医療の志

ーー先代までの歴史を教えてください。

亀田隆明:
亀田の家系は江戸時代から医者でした。明治時代までは小さな診療所でしたが、曽祖父の代のときに内科、外科、産婦人科を備えた総合病院の基礎ができました。祖父と父が戦争で病院を離れ、一時は存続の危機に直面しましたが、仲間の医師と協力してどうにか維持しました。

戦後、祖父と父が鴨川に戻ったとき、日本中の人々が栄養失調と結核に苦しんでいました。しかし、鴨川周辺には漁港も田畑もあって食糧が潤沢だったため、この立地を生かして関東一円の結核患者が入院できる施設をつくりました。

それに伴って必要となる看護師の育成も行い、栄養室や調理室を充実させ、瞬く間に200床に達する規模に成長しました。こうして父の代で病院を再興したことが、現在の経営につながっています。

ーーその後、どのような変化がありましたか?

亀田隆明:
国内で結核が一段落してから増加したのは、高齢者に多いがんや心疾患です。地域の総合病院として、兄はがん、私は心臓外科の領域で質の高い医療を志しました。大都市から離れた地域でさまざまな病気に対応できることは、鴨川の住民にたいへん喜ばれました。

そして高いクオリティの医療を提供できるようになると、東京を中心に全国からも手術を必要とする患者が集まりました。

人の力で実現したハイクオリティな医療

ーー質の高い医療を実現できた要因は何ですか?

亀田隆明:
優秀な人材が集まったことです。国内にとどまらず、欧米で活躍する日本人医師を口説き落として呼び寄せました。医師だけでなく、看護師やコメディカルなど、すべての分野において最高の人材を集結させ、チームで医療を提供しています。

必要な設備投資も惜しまず、たとえばMRIやCT、PETーCTなどの画像診断装置も早期に導入しました。とにかく「他のどの医療機関よりも質の高い医療」にこだわっています。

「Local&Global」の信念

ーー今後、どのように医療を展開しますか?

亀田隆明:
米国ミネソタ州ロチェスター市の「メイヨー・クリニック」は、私たちと同じように小さな町の診療所から始まりましたが、現在は全米で最高レベルの医療機関です。そのため、ロチェスターには世界中から患者が集まっています。メイヨーのように、鴨川を、病院を中心にした街に発展させて地域貢献したいと思っています。

そのために、最高水準の医療にこだわっています。現状、関東そして日本全国から患者が集まってきていますが、これからは世界中から患者が集まる病院に進化させていきます。

医療教育と優秀な人材の好循環

ーーインバウンドに力を入れるにあたり、どのような人材採用と教育を考えていますか?

亀田隆明:
急募したいのは事務方のスペシャリストです。現在は医療のことを十分理解した上で外国の大使館とやりとりできるような人材がいません。グローバルな視座を持つ人に、医療への関心を持って挑戦していただきたいと思います。

研修医の募集については、頭脳の優秀な人が集まるので、筆記試験ではなかなか評価できません。多職種が疾患ごとにチームを組んで診療にあたる臨床現場では、チームワークが重視されます。そのためコミュニケーション能力など、人間性を見て採用しています。指導医が臨床と教育の両輪を重視しているので、研修医の多くは「この医師のもとで働きたい」と感じて専門医として残ってくれます。

医療の基本は何と言っても「人」です。クオリティの高い教育で良い医師が育ち、そこに医師以外の優秀な人材が集まることで、優れたチーム医療が実践できます。

ーー理想の医師像を教えてください。

亀田隆明:
失敗を恐れずに挑戦する医師です。もちろん医療ミスは許されませんが、ミスしないことと失敗を恐れて何もしないことはまったく意味が違います。王道から少々外れても、新しいことに挑戦しなければ前に進めません。

所属する医師には、ある程度の裁量を与えて自由にさせています。鴨川という地域で、都市部の医療機関と同じレベルのことをしていたら、医師も患者も集まりません。「自主的に質の高い医療のために貢献する」という意欲にあふれた医師を求めます。

世界に目を向ける人と一緒に、これからもハイクオリティな医療を提供し続けたいと思います。

編集後記

「亀田総合病院」を一躍有名にしたのが、浅田次郎の小説『天国までの百マイル』(朝日新聞出版)だ。映画化もされた同作は、浅田の義母が東京から転院した同院で心臓手術を受け、命を救われた事実がもとになっている。この手術を執刀したのが、もともと米国で活躍していた外山雅章医師。亀田隆明理事長が招へいし、全国から心臓病患者が集まると共に、その指導を受けたい優秀な若手医師が集まった。こうして鉄蕉会は日本を代表する医療機関に成長した。これから世界中の多くの人々の命を救うことだろう。

亀田隆明/1952年千葉県生まれ。1978年に日本医科大学医学部卒業後、同大付属病院第二外科へ入局。1983年に順天堂大学医学部胸部外科大学院卒業、医学博士号を取得。同年より「亀田総合病院」にて心臓血管外科に勤務。1985年に医療法人鉄蕉会副理事長就任。2004〜08年国立大学法人東京医科歯科大学理事就任。2008〜17年同大学客員教授就任。2008年より医療法人鉄蕉会理事長就任。