工業用ハンマーを製造しているのは現在、全国で3社のみともいわれている。そのうちの1社が、ものづくりの街・東大阪にあるオーエッチ工業株式会社だ。オーエッチ工業は1954年の創業以来、工業用ハンマーを製造・販売しており、国内の工業ハンマーのシェア率で70%を誇る。ハンマー業界の変遷を熟知する清水代表に、話をうかがった。
国内を軸にする戦略への切り替えが生き残りにつながった
ーー海外から国内に販路を変えたきっかけは何だったのでしょうか?
清水義道:
かつてはハンマーが非常に一般的な商品で、多くの鍛冶屋がハンマーをつくっていました。昔はカナダやアメリカに向けて輸出も行っていましたが、ハンマーの価格競争においては台湾に敵わないと感じ、1983年には国内市場に注力することにしました。すぐに国内市場での展開を開始し、全国に代理店を設け、販路を拡大しました。
しかし、1985年頃に円高が進んだことで輸出が減少し、人件費の上昇とともにハンマーなどの低付加価値商品の価格競争力が低下し、多くの鍛冶屋がハンマーの生産から撤退しました。そのような状況になっても、弊社は生き残り、市場シェアを拡大できたのです。
また、工業用ハンマーの日本国内市場では、70%のシェアを持っています。主に商社を通じて商品を卸しており、約200社の販売ルートがあります。
毎月の方針は1日で決める。この意思決定の早さが強み
ーー他社にはない貴社の強みはどういった点でしょうか?
清水義道:
意思決定が早く、会社の内部システムを構築している点ですね。毎月1回、営業担当者が全国各地から帰社し、朝6時半から始まる情報開示会、役員会、全体集会、営業会議などを通じて情報共有を行い、方針を決定しています。1985年から毎月20日に業務を締めて、21日又は22日の1日で毎月の戦略を立てているのです。
ーー市場にも柔軟に対応していると思いますが、ユーザーニーズはどのように取り入れていますか?
清水義道:
営業担当者がユーザーや商社からの要望を集め、それをもとに製品開発を行っています。弊社の商品は主に商社を通じたBtoB市場で展開しているため、商社がユーザーの要望を受け、その要望に基づいて製品を開発しているという流れです。弊社は生産量が多く、多様な商品を製造しているため、企業からも直接、要望が寄せられます。
たとえば、ユーザーの声を反映し、化学プラント等の配管修理用の工具を開発しました。最近のヒット商品『金矢(かなや)』は、プラント保全と修理といった特定のニーズに応える点が好評を得ています。
最近ではホームセンターなどの小売業にも製品を供給しており、ホームセンター等の売上が弊社の売上の約40%を占めています。
特殊な要望に対応する製品開発にも踏み込みたい
ーーハンマーを中心とした新商品を今後どのように開発していく予定でしょうか?
清水義道:
今後は、原子力潜水艦用のチタンハンマーや食品機械修理用ハンマーなど、特殊な要望に応える商品を開発したいですね。商品開発においては、技術力が非常に重要であり、とくにステンレス製品やチタン製品の開発では、精密さと耐久性が求められます。
また、食品業界は、衛生面での要求が厳しいのです。食品に直接触れる部分には特に注意が必要であり、特定の材質や形状の製品を開発する方向性になると感じています。
今後も商品開発を続け、市場のニーズに応えるために、多様な製品を生み出していくことを目指しています。
編集後記
オーエッチ工業はハンマーに特化して長く事業を続けており、取材を経て国内と海外展開の方針転換の早さが印象的だった。今後の商品開発において、より特定のニーズに合わせた商品をつくっていく意向である点からも、企業としての伸びしろを感じた。今後も、このようなオーエッチ工業を応援していきたい。
清水義道/1939年大阪府生まれ、同志社大学卒業。学生時代から実父が創業したオーエッチ工業株式会社を手伝い、大学卒業後に入社。1973年に代表取締役に就任。国内の工業用ハンマーにおいてトップの地位を確立する。