※本ページ内の情報は2024年6月時点のものです。

通信建設業界からヒーターを製造する父親の会社に転職し、倒産寸前に追い込まれながらも新たな顧客を7,000社まで増やすことに成功した、株式会社スリーハイ代表取締役の男澤誠氏。畑違いの業界で業績を伸ばした理由について、詳しくお話をうかがった。

ショールームの町工場カフェ「DEN」のオープンで業務を見える化

ーー貴社の事業内容について教えてください。

男澤誠:
ヒーター関連の熱のお困りごとを解決しています。お客さまの工場や現場に訪問し、実際に困っている様子を見て確認したうえで、最適な提案をさせていただきます。

また、3年ぐらい前に自社サイトを立ち上げEC事業をスタートしました。現在、ECの売上は全体の30%ぐらいです。もともと対面営業を得意としていますが、時代はDXの方向に進んでいるため、アナログとデジタルの両建てで事業を行っています。

ーーヒーターの事業と並行してカフェの運営もされているそうですが、そのきっかけを教えてください。

男澤誠:
私たちが完成品としてお客さまに納めている商品は、お客さまから見るとあくまでも「部品」にすぎません。そのため、商品は目立つところに置かれることもなく、機械の裏側や一部に入る形で使われます。

そこで、私はこれを見える化しようと思いました。工場をスケルトンにし、社員のモチベーション向上も兼ねて、ショールーム兼カフェをつくったのです。今では、従業員と地域の方とのコミュニケーションの場にもなっています。

倒産寸前から一転、ホームページの開設と丁寧な対応で取引先を7,000社超に拡大

ーー入社の経緯について簡単にお聞かせください。

男澤誠:
私が大学生のときに父が会社を立ち上げました。大変な思いをしている姿を見ていたので、経営者には絶対になりたくないと思っていました。しかし、父が大病にかかり少しでも元気になってほしいという思いから跡を継ぐことを考えるようになりました。意を決して2000年にシステムエンジニアから転身して入社したというわけです。

ーー入社して苦労されたことはありましたか?

男澤誠:
大手企業から家業に転職したため、会社の規模もやることも給料面も、なにもかもにギャップを感じましたし、職人さんとの衝突もありました。また、主要な取引先が焦げ付いたときには、倒産寸前になったこともありました。

そんな中、前職のITのスキルを活かし、自社ホームページを開設したことが大きな転機となりました。当時はまだ珍しかったこともあり、お客さまの問い合わせが次第に増えていったのです。お客さまからのご連絡に一つひとつ丁寧に対応していたら、顧客が自然に増えましたね。

倒産危機の経験から、一社からまとめて大きな金額を集めるのではなく、一社あたりの金額を減らしてでも取引する数を増やしたほうが良いという結論に至りました。最高では、年間600社ぐらい新規顧客が増えたこともあるくらいです。

ヒーター製造の担い手を増やし、海外に「温める」技術のフィールドを拡げたい

ーー今後の展望をお聞かせください。

男澤誠:
国内の産業は、製造業のサプライチェーンが崩れ、徐々に空洞化していくと思っています。私たちのヒーター製品の売上も下がると予測して、3年ほど前から海外への販売を考えています。

最初は寒い地方をターゲットにしようと考えましたが、需要が見込まれたため現在は東南アジアを中心に少しずつ営業を行っています。弊社の強みはやはり対面営業なので、それをいずれは海外でも活かしたいと思っています。

製造業は今後先細りしていく時代に入ります。だからこそ、担い手となる人を増やさなければなりません。日本のような資源がない国がどうやって生き残ればいいかというと、やはり技術を輸出するしかないと思っています。弊社は「世界中を温める」ことをビジョンとしているので、みんなで社会を温めて、事業を活性化していきたいと思っています。

ーー最後にメッセージをお願いします。

男澤誠:
父親が病気になったり倒産寸前まで追い込まれたり、いろいろありましたが、投げやりにならなくて良かったなと本当に思います。社会のせいにするのは簡単だけど、そこで踏ん張って一歩ずつ成長できたことが、今振り返ると自分の中で大きな経験になったと感じます。

自分たちの強みをしっかりとお客さんに発信して、社会から必要とされる会社として、これからも頑張っていきます。

編集後記

畑違いの業界から先代の会社を引き継いだ男澤社長。前職の通信建設企業で培ったスキルが奇しくも会社を危機から脱し、飛躍させる原動力となった。時代の流れを読み取り、国内だけではなく海外のマーケットも視野に入れていると語る社長が、どのように地域を、日本を、世界を温めていくのかぜひ注目したい。

男澤誠/1969年生まれ。大学卒業後、大手通信建設企業に入社。通信システム開発に従事。2000年、父が創業した株式会社スリーハイに入社。2009年、代表取締役に就任。