※本ページ内の情報は2024年6月時点のものです。

1887年に創業し、埼玉県にある小さな工場で味と技を代々守り続けてきた老舗和菓子店「五穀祭菓をかの」。長年にわたって地元の人に愛されながらも、赤字に悩む会社を立て直したのが、六代目女将の榊萌美氏だ。

伝統ある和菓子をつくりながら、独自の商品開発で「まちの和菓子店」の新たな道を切り開いた榊氏に、家業を継いだきっかけや会社をV字回復させた商品開発のアイデアなどを聞いた。

「他者のために貢献したい」という気持ちが原動力となり、家業を継ぐ

ーー家業を継ごうと思ったきっかけを教えてください。

榊萌美:
幼い頃から人のためになりたいと思っていたので、先生になるために教育学部に進学しました。しかし、実習での経験で自分が教師に向いていないことに気がつき教師の道を諦めることに。

一度目標を失ってからは、学校も行かずにアルバイトばかりという生活を送っていたのですが、そんなときに母が入院してしまったのです。

両親が経営していた和菓子店の後継者がいない中、「私が継がないと店がなくなってしまうのかな」と考えてはいたものの、人の後をついて歩くタイプだった私は、「誰かが何とかしてくれるだろう」と思っていました。

ある時、小学校の卒業式のビデオを見返す機会がありました。そこには、何もできなかった小学生の頃の自分が「店を継ぐ」と胸を張って言い切っている姿が。大人になればなるほど自分で自分の限界を定めていたことを感じたのです。

そして教師でなくても、お客さんや家族、従業員のためにお店を継ぐことが人のためになると考え、20歳で入社することになりました。

20歳の挑戦、赤字続きの経営難からV字回復へ

ーー入社当時の経営状況はいかがでしたか。

榊萌美:
あまり詳しくは知りませんでしたが、良い経営状況でないことは聞かされており、入社して4年が経った頃に経営に参画して初めて全体が見えてきました。弊社は従業員20名ほどの小規模な会社ですが、これまで一度も会社の方針について話し合ったことがなかったのです。

会社の将来を考え、経営計画を立てたこともなかったため、経営戦略の雛形のようなものをインターネットで調べて家族と話し合いました。「これで社員と同じ方向を向いて頑張っていける」と思った矢先にコロナ禍になってしまいました。

ーーどのように経営難を乗り切りましたか。

榊萌美:
主力ギフトの売り上げが下がってきた時に、ネット販売を始めました。それと同時に不採算アイテムのカットや手描きのチラシを毎日1000枚近くポスティングしたり、デジタルとアナログどちらにも力を入れ、なるべく資金をかけずに経営改善した結果V字回復することができました。

コロナ禍でネット販売を始めたタイミングでTVに取り上げていただけ、番組内のランキングで「葛きゃんでぃ」が1位にランクインしたこともあり、弊社にとっては本当に幸運なタイミングでした。

試行錯誤の日々、新たな看板商品が生まれるまで

ーー入社後のことで、他に印象に残っていることはありますか。

榊萌美:
以前は商品のロスが多かったので、午後5時以降に値引きをしていました。しかし値引きをしてしまうと、安ければ購入するというお客様が増えて定価で売れなくなります。利益率が下がり、赤字状態が続いて商品の質も落ちてしまうからです。

そして質が下がるほど、商品が美味しいからという理由で買ってくださっていたお客様が離れていきます。それでは良くないと思い、ロスを減らすための商品選定を始めました。

ーー「葛きゃんでぃ」はどのような過程で生まれたのですか。

榊萌美:
母に「小さい頃から、ゼリーを凍らせて食べるのが好きだったよね」といわれたことがきっかけです。それを思い出して葛ゼリーを凍らせてみると、なんとこれが美味しかったのです。

さっそく凍らせた葛ゼリーを地域の夏祭りで販売してみると売れ行きがとても良かったため、正式に商品化を決めました。しかしその後すぐに売れたわけではなく、地元の人が声をかけて買ってくれたり口コミで広まったりして、徐々に売れていきました。

長年愛されるお店であり続けるための新規開拓

ーー主な客層はどのような方なのでしょうか。

榊萌美:
創業時の頃のお客様の子どもや孫の世代が、おじいちゃん、おばあちゃんになっても来てくださり、つながりが脈々と続いていることを実感しています。

私の入社直後の客層は新規のお客様が少なく、顔なじみの年配のお客様がほとんどでした。ずっと贔屓にしてくださる人たちが頻繁に買ってくれることで成り立っている部分が大きかったため、そういった人を失うと厳しいという状況でしたが、新規開拓の大切さも感じていました。

ーー新規のお客様はどのように獲得しましたか。

榊萌美:
夏にかき氷を販売している時期は、普段は和菓子店に来ないような若年層の方が多いことに気づきました。かき氷をきっかけに違う商品を買ってくださったお客様は、その後もお中元やお歳暮に和菓子を買ってくれます。

また、お客様が弊社の和菓子を贈るときに、「地元の和菓子店のものです」といって渡してくれたことがきっかけとなり、食べた人が遠くからわざわざ買いに来てくれたこともありました。

お客様が商品を通じて弊社の良さを伝え、お店に入りやすくなるきっかけをつくってくれる。そして私たちはお客様がさらに喜んでくれる商品を作る。そのような循環をつくることが、商売をする上で大切なことだと実感しました。

失敗しても挑戦し続けるタフさと起業家精神をもつ

ーー今後、挑戦したいことはありますか。

榊萌美:
他の企業とのコラボで、パッケージデザインや宣伝などを手がけたいと思っています。新しいことへの挑戦には失敗するリスクもついてきますが、もし失敗しても次につなげることができるタフさを持った仲間が弊社にはいます。これはとてもありがたいことだと感じています。

また個人的に、「汗をかいたあとにさっぱりしたものが食べたくなる」と感じているので、サウナやスポーツの場へアイスを卸す事業も考えています。

ーー若手に向けてメッセージをお願いします。

榊萌美:
何かに挑戦しようと思ったときに、一番助けになるのは自分自身の経験です。弊社の社員にも、「本業で給料をもらいながら副業や色んな経験をして、どこに行っても生きていけるようになりなさい」と伝えています。

今後の会社や社会の情勢を予測はできません。だからこそどこに行っても生きていける力を付けることで、その人の人生は豊かになり、自信を持つことができると私は思います。弊社にもそのような考えと姿勢を持った社員が増えてくれたら嬉しいですね。

編集後記

大人になると幼い頃の夢を叶えた人の少なさに気づく。そんな中、小学生時代の自分の夢に向き合い、家業を継ぐ決断をした榊氏の勇気と行動力には尊敬の念を抱く。手探りの状態から会社の経営を見つめ直し、新たな会社の羅針盤として奔走する姿は、いまや老舗の若女将そのものだ。

古き良き伝統を守り続ける和菓子業界。変わりゆく時代の中で進化を続ける「五穀祭菓をかの」に今後も注目していきたい。

榊萌美/1995年埼玉県生まれ、東京成徳大学深谷高等学校卒業。20歳で「五穀祭菓をかの(有限会社岡埜本店)」に入社。2019年に副社長に就任。