※本ページ内の情報は2024年7月時点のものです。

確かな技術を持つ職人に恵まれ、取引先の厚い信頼を得て、着実な経営を続けてきた下町の町工場に、売上の8割を占めていた仕事が突然途絶えてしまう出来事があった。そんな危機を「チャンス」ととらえ、事業の構造改革に取り組んだのが、精密板金加工を手掛ける株式会社トネ製作所の代表取締役社長、利根通氏だ。

現在自社製品の開発、製造、販売にも注力している。従来の取引先に依存する事業形態から脱却してBtoC製品の開発に転換し、ヒット商品を作るまでの道のりをうかがった。

仕事に追われていた日々にぽっかりと穴が開き、会社の変革が始まった

ーー会社の継承を意識したのはいつ頃でしたか?

利根通:
弊社の創業は、私が生まれる1年前の1961年でした。当時は四畳半くらいの部屋にプレス機械が数台あって、機械の大きな音が子守唄の代わりでした。工場が身近にあった環境だったので、振り返ってみると、会社を引き継ぐことを特に意識したことはなかったですね。

ーー貴社の強みを教えてください。

利根通:
弊社の強みは、職人の高い技術力を裏付けに、お客さまの注文に対して技術的な改善案を提示できる点です。この強みを維持するために大切なことが、情報を集め、考える力だと思います。弊社のような小規模な企業で、これを担うのは社長の役割です。そのためにも、情報を得て、あらゆることに好奇心を持ち続けたいと思っています。

ーー以前は下請けが中心でしたが、消費者向けの製品も手掛けるようになったきっかけを教えてください。

利根通:
リーマン・ショックの2年前に、売上の8割を占めていた企業からの仕事が突然途絶えました。同社の仕事に追われて他社の仕事をお断りせざるを得なかった状況が一変し、30人ほどいた社員を半分に減らすことになったのです。本当に申し訳ない気持ちでした。

私はそこから這い上がるために、新しい取引先の開拓にも積極的に取り組みました。取引先の幅を広げることにしたのです。それと並行して、BtoBだけでなく、自社で製造し販売するBtoCの製品の開発も考えるようになりました。

「ときここち」誕生秘話と反響

ーーそうして生まれたのが、大ヒット商品「ときここち」なのですね。

利根通:
卵とき器「ときここち」を開発したきっかけは、私の妻が生卵の白身のドロドロ感が苦手だったことでした。「白身を滑らかに混ぜることができるツールがあれば食べられるだろう」と考え、2018年に商品開発を始めて、2019年10月に発売しました。

コロナ禍の影響で経営が厳しい状況だったので、「ときここち」のヒットは弊社にとって大助かりでした。当時はステイホームが推奨され、在宅時間が増えたことも追い風になったのです。

発売を始めたばかりの頃は、周りから注目されませんでしたが、それがかえって「知ってもらいたい」という闘志が湧くきっかけにもなりました。デパートが開催する展示会に出展したところ、テレビでも放映されるようになり、「ときここち」は発売から4年半で約2万3千本売れるまでに成長しました。

初めは卵かけご飯専用の商品として発売しましたが、苦労して性能が良いものをつくったので、茶碗蒸しやすき焼きなどにも使っていただいているようです。

ーー大ヒットを経て、職場に変化は生まれましたか?

利根通:
BtoC製品を手掛けたことで、職場にも活気が戻り、多くのお客さまから直接うれしいお便りをいただくようになりました。

卵かけご飯専用の商品として発売した「ときここち」ですが、左利き用も開発するなど板金加工の技術を結集し細部にわたってこだわり抜いたおかげで、納豆を混ぜたり、粉ものを溶くなど、卵以外の用途にも活用を広げていただいているようです。

弊社全体の売上においてのシェアは、まだ大きなものではありませんが、この商品をきっかけにして、お客さまの不便さを解消し、喜んでもらえる製品づくりにこれからも挑戦しようという気持ちが湧いてきました。

製品を見ればおのずと会社の技術力が伝わる

ーーBtoCの製品をどのように位置づけますか?

利根通:
基本的には受注生産で、経営の安定や社員の意欲向上などを踏まえると、売上を全体の20%くらいまでに引き上げたいですね。

オリジナル商品があるというのは、従業員にとっても自分たちの技術力が目に見える形になり良い影響があります。いろいろな方から「おたくの製品を使ってるよ」と声をかけていただけるので、モチベーションも上がりますよね。

ーー今後の経営についてはどのように考えていますか?

利根通:
何よりも重要なのは、会社の経営が骨太になることです。取引先の開拓に努めて売上の安定を確保し、BtoC製品の開発によって売上の拡大を図れるのです。経営が安定する中で、新しい人材を迎えて、新しい技術も取り込んでいくという循環をつくっていきたいと考えています。

弊社は社員数19名(※2024年現在)の小規模企業ですが、自社製品の開発には力を入れていくつもりです。この技術を使って「部品製造を頼みたい」といった話をいただけるように、さまざまな機会を通じて、多くの方々に弊社の技術力を見ていただきたいと思います。

編集後記

これまで、自動ドアの駆動金具といった硬派の製品をつくってきた技術者たちが、懸命にプログラミング修正を重ねて「ときここち」を完成させていった。その光景を思い浮かべると、ものづくり技術者のしなやかな感性と技術力に驚かされる。BtoCの製品づくりをもっと展開したいと語る利根通社長。トネ製作所の職人の方々の感性がどんな新製品を見せてくれるのか楽しみに待ちたい。

利根通/1962年東京都生まれ。安田学園高等学校卒業後、1980年有限会社トネ製作所に入社。2002年代表取締役社長に就任。2003年株式会社トネ製作所に組織変更。