※本ページ内の情報は2024年7月時点のものです。

オリジナル健康食品や化粧品が並ぶ通販ブランド「ていねい通販」を運営している株式会社生活総合サービス。代表取締役社長の古賀淳一氏は、幼少期から起業家になる夢を抱いていたと振り返る。同社のオリジナル商品「すっぽん小町」は、発売開始から2023年までの累計売上数が2,600万袋。リピート顧客の多いロングセラー商品として、同社のシンボルとなっている。

健康食品の通信販売という分野で存在感を放つ同社が生まれた背景には、いったいどんな思いがあったのか。創業者の古賀社長にうかがった。

起業家の父の影響を受けて立ち上げたホームセキュリティサービス

ーー古賀社長が起業したきっかけや思いについてお聞かせください。

古賀淳一:
一代で質屋事業を築き上げた父の影響で、幼少期から起業家を夢見ていました。「何かビジネスのヒントが得られれば」という期待を持って、大学卒業後は、総合商社に入社。5年は勤めるつもりでしたが、結局3年半で会社を辞めて起業の道に進むことを決意しました。

ーー起業時にはどんなビジネスに取り組みましたか?

古賀淳一:
最初に注目したのは、ホームセキュリティサービスです。毎月3,000円という料金で、自宅に緊急通報ボタンを設置し、何かあれば24時間センターに通報できるサービスをスタートしました。

ーー健康食品や化粧品の通販事業に転換した経緯をお聞かせください。

古賀淳一:
ホームセキュリティサービスは時代のニーズはあったものの、実際に契約が取れたのはごくわずかだったことが、転身を考えるきっかけになりました。訪問営業で足を運んだ8割ほどのお宅に、同じ訪問販売で売られていた何十万円もする健康食品があることに気がついたのです。

このとき、「3,000円の安心安全なサービスよりも、何十万円もする健康食品が選ばれるのだ」という気づきがありました。それならば、低価格で安心な健康食品をつくり、お客様と良い関係を築くことで、いつかホームセキュリティサービスも利用してもらえるかもしれないと思うようになりました。

ーーどのような商品企画や販売拡大をおこなったのですか?

古賀淳一:
まずはじめに、黒胡麻や黒豆、昆布・梅肉という栄養食品を粉末にして固めた「くろ源」というサプリメントを製造し、販売をスタートしました。ホームセキュリティーサービスの営業の傍ら、「実はうち、こういうものもあるんです」と「くろ源」を出すと約7割の方がご購入くださりました。これには驚きでしたね。

ーー本格的に通販事業に参入したきっかけと経緯をお聞かせください。

古賀淳一:
きっかけは、徐々にリピート顧客が増える中、訪問販売で直接手売りするだけでは採算が合わないと感じるようになったことです。

そこで2〜3万部ほどの地域誌に広告を出すと、驚くほど反響がありました。訪問販売よりも通販にした方が圧倒的に売上が伸びましたね。

同様の小さなテストを繰り返し、徐々に「これならいける」という確信に変わったタイミングで、会社もホームセキュリティから健康食品通販へと大きく舵を切ることになりました。1997年に「生活総合サービス」という社名で通販事業を本格的に立ち上げることになったのです。

累計販売2,600万袋!ロングセラー商品「すっぽん小町」の誕生

ーー大手企業も健康食品産業に次々と参入しています。ご苦労もあったのではないでしょうか?

古賀淳一:
大手の参入で市場が大きくなった反面、競合が増えました。広告への反響が半減した時期もありました。ただ、新規広告をストップしても既存のお客様はほとんど減りませんでした。

これは弊社のスタッフや商品とお客様との関係がしっかりと築かれていたからであり、自信にもつながりました。また、2001年に売り出した「すっぴんべっぴん黒せっけん」という商品が支持され、売上高も3年間で3億円から32億円と爆発的な成長を遂げました。

ーー事業の転機となった出来事は?

古賀淳一:
「すっぴんべっぴん黒せっけん」のヒットなどで事業が軌道に乗った時期は、とにかく必死でした。そんな折、2004年の元旦に心筋梗塞で緊急搬送されてしまい、1カ月半入院することになったのです。入院期間中に私の頭をよぎったのは、「事業は軌道に乗り、売上もある、でもなぜ自分はこんなにつまらないと感じているんだろう」という思いでした。

目先のことしか頭になかった私は、そのときに、少ないお客様に対して数人の社員で対応していた創業当時を振り返ったのです。当時、1件の注文電話が入ればみんなで喜んでいました。「せっかく電話をいただいたのだから、少しでも長くお客様とお話ししよう」「商品と請求書だけを送るのでは味気ないから、手紙を添えよう」「サプライズでお誕生日をお祝いしてはどうだろう?」と、お客様を大切に考えるのが当たり前だったわけです。おかげで、大手が参入して新規注文が激減したときも、既存のお客様は私たちの商品を使い続けて支えてくださりました。

一般的に、経営資源は「ヒト・モノ・カネ」だと言われますが、こうして初心に立ち返って思うのは、弊社の経営資源は「人・心・絆」であるということです。目先の売上だけにとらわれるのではなく、お客様やビジネスパートナー、私たちに関わってくださるすべての人との心のつながりを大切にしたいと思いました。

こうして思いを新たにして1年かけてつくり上げたのが、「すっぽん小町」という商品です。「すっぽん小町」は、2006年の発売開始以来、おかげさまでロングセラー商品に成長しました。お客様とのつながりを大切にし続けたからこそ、94%というリピート率の高さにもつながったのだと思います。

30周年のタイミングで社長の座を退くと社員に宣言した理由

ーー貴社の採用サイトでは「30周年で社長を引退」と公言されています。その理由は何ですか?

古賀淳一:
もともと同族経営はしたくないと考えていたからです。いつかは社長を退任すると公言していました。創業20周年を迎えた2017年、組織もある程度でき上がり、「すっぽん小町」の知名度も全国的に高まっていたときに、改めて社内を見渡すと、「みんな、もっとやれるのでは」という感情が湧き起こりました。

そこで、創業20周年のパーティのラスト10分で私から社員に対してスピーチをしました。「今のみんなは自分の力を出し惜しみしているようにしか見えない。もっとやれるはずなのに余力を残しているのではないか」と問いかけたのです。

ーー社員のみなさんの反応はいかがでしたか?

古賀淳一:
社員は驚いていたと思います。ただ、私がそのときに「決してこれは君たちを叱っているわけではない。原因はいつまでも社長としてここにいるとみんなに思わせていた私にある」と伝えました。同時に、10年後の創業30周年には社長を退任すると宣言し、頭を切り替えて、頑張ってほしいという思いをぶつけたのです。退任を宣言している30周年まで、あと数年です。これからの社員みんなの頑張りに期待しています。

編集後記

ホームセキュリティサービスの訪問販売で得たヒントをもとに健康食品の通販事業をスタートさせた古賀社長。顧客から支持される商品を生み出してきた背景には、良い商品を届けたいという強い思いとビジョンがあった。

日本が超高齢化社会に突入した今、健康への意識はますます高まっていくことが予想される。成長産業である健康分野で、同社が今後どんな成長を遂げていくのか楽しみだ。

古賀淳一/1969年、福岡県生まれ。1992年に福岡大学卒業後、株式会社山善に入社。営業部配属。1997年に株式会社生活総合サービスを設立し、代表取締役社長に就任。