※本ページ内の情報は2024年7月時点のものです。

福岡市で30年以上にわたって社会インフラに関わるシステムを提供している株式会社ソフネット。そんなソフネットに異業種から転じ、代表取締役社長に就任したのは2代目の田中宏明氏だ。現在に至るまでの道のりやIT業界の展望、組織づくりなどについて様々な話をうかがった。

個人の収入より、「恩を返す」ことを選んで父の会社を継承

ーー田中社長が事業継承を意識されたのは、いつ頃だったのでしょうか?社長就任までの経緯について、お聞かせください。

田中宏明:
私の父が福岡市で弊社を創業したのは1986年のことです。当時、私は小学2年生くらいだったと思います。その後、両親の勧めもあって私立の中高一貫校を卒業し、東京の大学に通いました。幼いころは事業承継を考えることは殆どありませんでしたが、進路について考え始める大学3年生になると、その思いが少し変わり始めたのを覚えています。

実はそれまでも、折に触れて両親からは「後を継いでほしい」と言われていましたが、当時の私にはまだ現実的に考えることができていませんでした。そんな中、父親が倒れてしまい、そのことが私の中で考えを変える大きなキッカケになりました。幸いなことに、大事には至りませんでしたが、将来の事業承継を考慮すると、就職先は地元の福岡がいいと思うようになりました。

当時、私が所属していた體育會競走部のOBには金融業界に就職する方々が非常に多く、ごくごく自然な流れで私も地元の福岡銀行に就職することに決めたのです。

入行して割とすぐに本店勤務となり、その後、東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行)ロンドン支店に出向し、欧州各国の非日系企業向け融資や英国の鉄道ファイナンス案件などを経験しました。帰国後は、愛媛県今治市を中心に船舶融資(シップファイナンス)の新規開拓に従事し、新規先数、融資残高ともに、順調に数字を伸ばしていました。

ぬるま湯に浸かり切った体を叩き直すための生命保険営業で、経営者としてのマインドを学ぶ

ーー家業を継ぐまでにはどのような経緯があったのか、お聞かせください。

田中宏明:
いずれ家業を継ぐことを見据え、33歳のときにプルデンシャル生命保険株式会社に転職しました。というのも、同社はフルコミッションという給与体系で、いわゆる個人事業主になるため、銀行に従業員として勤めるよりも、経営者としての感覚を磨けると考えたからです。

大手企業のサラリーマンとは異なり、経営者の仕事は売上管理、資金繰り、人事管理まで責任を持つことが求められます。同社でも売上と資金繰りの2つに関しては責任を持たなくてはならないため、ゆくゆくの事業継承を見据えると、ぬるま湯に浸かり切った体と心を叩き直すには良い選択だと考え、転職を決めました。

転職当初は、チャレンジはしてみたものの、プルデンシャル生命保険での仕事は思っていたよりも厳しい世界で、加えて自身の認識も甘かったこともあり本当に苦労しました。しかし逃げるように会社をやめたくなかった為、うまくいくまでやり続けました。転職して2年ほど経つと、それまでの努力が徐々に形となり、契約件数が徐々に増えていったのです。

その結果、生命保険業界のトップグループであるMDRTの入会基準の、さらに6倍以上の成績を証明する『TOT資格』も獲得し、当時は年収が上がったことで、生活水準が高くなりました。当初は事業承継を見据えてプルデンシャル生命社へ転職しましたが、この頃には「このまま同社にいた方が幸せだ」と思うことすらありました。

プルデンシャル生命保険で実績を残し資格を得たことで、充実した日々を過ごしていましたが、時折父に連れられて弊社のお客さまとの会食の際には、「宏明さんの代になっても、よろしく」と声を直接かけられることも多々あり、徐々に自身のなかで意識が変わり始めたのを感じていました。

加えて、両親や従業員からも事業継承に関する話を何度ももらい、最終的に事業承継をするのはやはり自分の使命だと感じ、自分自身を“クロージング”しました。

「私を私立の中高一貫校へ通わせ、そして東京の大学にも行かせてくれた両親には感謝しているし、その背景には当時父親に役員報酬をもたらしてくれたソフネット社員のおかげでもある」「この恩を事業継承することで返そう」と原点に戻り、自分を奮い立たせ、弊社の代表取締役社長としての仕事に専念し始めました。

居並ぶ大手を抑えて新規大型案件を獲得

ーー社長就任後は、どのような歩みだったのでしょうか?

田中宏明:
実は社長就任直後にコロナ禍になってしまったので、営業としては実質2年間あまりできることがありませんでした。いわば”2浪”していた感覚です。ですので、その間は従業員に業務のことを聞いて学んだり、社内外の人間関係の構築に注力していました。

そんな中ターニングポイントになったのは、弊社の経営に専念するようになった2021年8月に参加した、ある大きなプロジェクトです。ある大企業の部長さんとお話しする中で、「貴社はサイバーセキュリティもやってるんですか?」と聞かれたことがきっかけでした。

先方の口調は大変優しかったのですが、内心では「やれるものならやってみろ」と言われたような気がして。そうとなれば、返事はひとつ。私はすぐさま、サイバーセキュリティチームを結成し、提案(コンペティション)への参加を決めました。

結果的に大手通信キャリアなど十数社が並ぶ中で、私たちのプレゼンが2位に選ばれました。数字上は2位ではありましたが、主要システムは私たちのものが採用され、その道の名だたる大企業を押さえ、仲間と共に大きな案件を獲得できたことは、私にとって一つの自信になりました。

適応力が高い自分だからこそ、これからの30年を変えていける

ーーこれからの事業展開について教えてください。

田中宏明:
創業から30年以上もの間、会社を安定的に維持できた理由は、弊社が社会インフラ向けのシステム構築を中心に行ってきたからだと考えています。金融機関や医療機関、電力、鉄道・交通など、社会に不可欠な営みをシステム面で支えてきた会社である、という自負があります。

一方で、これまで培ったビジネスモデルのまま、これからの30年も同様に安定して展開していける世の中であれば、私が社長になる必要はなかったと感じています。

世の中は常に変化しており、特にIT業界の変化は著しいものです。たった1年でプラットフォームが変わってしまうケースも少なくありません。そんな中、私が父から舵取りを任されたのは「時代の流れに適応しながら、会社を変えていけるだろう」と期待されているからだと受け取っています。

これからの弊社は、事業の中心を「金融事業」と「法人事業」、そして「サイバーセキュリティ事業」の3本柱に据えています。今まさにそれぞれの事業を拡大すべく、私にはないノウハウや経験を持っている人たちを集めている最中です。

転職をすれば給与だけではなく、人生そのものが変わるかもしれない中で、弊社で勤め続けてくれている従業員には心から感謝しています。

私は彼らに「転職して勤め先を変える」という選択よりも、弊社に勤めてもらいながら、価値に見合った仕事や給料、そしてポジションを得られるような環境を整えることに専念したいと考えています。

会社が発展し、事業拡大や新規販路をひろげ、利益を伸ばしていけば、従業員の給料も上げられます。そうすると社員は、当社に在籍したまま給与を増やし、業務内容を変えていくことができます。いわば「社内で転職を行う」ようなイメージです。

これを実現できれば、もっと魅力ある職場・会社になれると考えています。そのためにも、私に任されたバトンをしっかり握り、役割を果たしたいと考えています。

編集後記

プルデンシャル生命保険勤務時代を含め、これまでのフィールドでもいくつもの大活躍を収めてきた田中社長。インタビューを通じ、金融業界からソフトウェア業界にシフトしても、周囲との調和を大切にする心を持ち、着実に躍進を続けていると感じた。適応力が備わっており、過去にとらわれない視点を持った田中社長が、変化の激しいIT業界の中で企業をどう変革していくのか、これからも注目していきたい。

田中宏明/1978年9月生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、福岡銀行に入行。三菱UFJ銀行ロンドン支店出向などを経験。2012年プルデンシャル生命保険に入社し、その後株式会社ソフネットへ入社、2021年に代表取締役社長に就任。主に金融・医療・交通など、社会を支える業務システムの構築を担い、顧客ニーズに合わせ設計・運用・保守まで行う。現在はセキュリティ事業にも注力する。

2024年9月3日、幻冬舎から著書『SEの悲鳴』を発売。