※本ページ内の情報は2024年8月時点のものです。

1889年創業の株式会社坂角(ばんかく)総本舖は堂々の「100年企業」である。同社の看板商品である海老せんべい「ゆかり」は、地元の名古屋をはじめ全国で愛され続け、総販売数は35億枚を超えている。また、2番手商品として人気のひとくち揚げ煎「さくさく日記」も2024年に総販売数が4億袋を突破したという。

長い歴史の中で、同社はどのような理念で発展してきたのか。「ゆかり」の誕生秘話や今後の戦略について、代表取締役社長の坂泰助氏にうかがった。

5代目の視点から見る、坂角の歴史と成長

ーー貴社の歴史について聞かせてください。

坂泰助:
弊社は1889年に創業しました。創業者の坂角次郎(ばん・かくじろう)は私の曽祖父にあたり、祖父、父、いとこ(現会長)と続き、私は5代目になります。1960年代後半、まだ「ゆかり」が命名・発売される前は、自宅に工場と店舗が併設されていました。1966年に「ゆかり」が命名・発売され、6年後には量産化のために加木屋工場を新設しました。

私は当初から会社を継ぐつもりでした。1989年から4年間、銀行に勤務しましたが、それは修業の一環でした。営業の技術を得ながら、さまざまな企業の方に会うことができ、お金の動きについても学びました。

ーー坂角総本舖の社長に就任するまでの経緯や思いについて教えてください。

坂泰助:
弊社に入社して2年間、私は製造の現場で働いていました。弊社は製造と販売の両方を行う会社ですが、私は文系出身で、ものづくりはあまり得意な分野ではなかったので、基本をしっかり学んでおきたいと考えていました。当時の私にはまだ「坂角」とは何かが見えておらず、「全部を見て理解したい」という気持ちでいっぱいでした。

その頃、社内で経営改革を主導していた方が辞めてしまい社内は混乱しました。しかし、その方から薫陶を受けてきた私は、これも頂いた試練と理解し、その意思を引き継ぎ改革を続けていく決意をしました。

「ゆかり」の魅力とは。海老せんべい「ゆかり」の歴史と人気の秘密

ーー看板商品の「ゆかり」について教えてください。

坂泰助:
私が生まれた頃、弊社ではごく一般的な海老せんべいを販売していました。ある日、父が取り引きのあった百貨店の方から「これからは高くても美味しいものを売らなければいけない」と言われ、どうすれば良いかを考えながら帰宅したところ、ちょうど祖父が七輪で何かを焼いていました。

それは何かと父が尋ねると、曽祖父から伝わるレシピで、自分たちが酒を飲むときに特別に焼いている海老せんべいだと言うのです。そのレシピでは、殻を取った「エビ」が原材料の約7割を占め、販売すると通常の海老せんべいよりも高額になってしまいます。だからこそ、それまで自家用しかつくっていなかったのです。

百貨店の方からの「これからは高くても美味しいもの」という言葉があって、「それならばこれを売ろう」と父が考えたことが、「ゆかり」の始まりです。

最初は価格が高いために売上は伸び悩みました。しかし、当時はお中元・お歳暮用のギフトを百貨店が中心となって積極的に提案し始めた時代だったこともあり、ギフトとしての地位を確立してからは大きく広まっていきました。

ーー「ゆかり」はなぜ現在でもこれほど売れているのでしょうか?

坂泰助:
海老せんべいは、数あるお菓子の中でもニッチな商品です。さらにその中で百貨店でも取り扱われるブランドとなると全国的にも少なく、美味しければ人気がある程度集中するところがあります。

また、「ゆかり」というネーミングはご縁を意味し、贈答用という位置づけでも効果を発揮していますね。海老せんべい「ゆかり」は、ご縁をつなぐ贈答文化において、地元の名古屋ではお土産として、全国的にはお中元・お歳暮などの贈答用として親しまれています。

ーー今後は、どのような取り組みをしていく予定ですか?

坂泰助:
若年層向けのアプローチに課題があります。お中元・お歳暮の贈答需要が減少している中で、日常のギフトシーンにも利用できる商品の開発が求められています。若年層が利用する商業施設が変わってきているため、どのような施設にどのような提案をしていくかが問題になっています。

そこで、開発を進めたのが、「ゆかり」が4枚入った「ゆかりプチギフト」や、あらかじめ割った「ゆかり」にピーナッツを加えた「YUKARIco(ゆかりこ)」などです。

「YUKARIco(ゆかりこ)」

さらに、「BANKAKU KITCHEN(バンカクキッチン)」というブランド名で、「海老のプロ」として、海老カレーパンや海老カツサンドなどを提供する事業を開始しています。

「BANKAKU KITCHEN(バンカクキッチン)」海老カツサンド

現在はポップアップの出店が主ですが、2024年秋には常設店舗の出店を計画中です。今後は、若年層が利用する商業施設への出店も考えたいと思っています。

100年ブランドを目指して

ーー人材不足が叫ばれる中、採用で気をつけていることは何ですか?

坂泰助:
近年、新卒だけを毎年採用する時代ではなくなってきていると感じます。弊社では、第2新卒や中途採用にも積極的に取り組むことで、優秀な人材を確保しています。さらに、残業0時間、有給休暇取得率100%などを目指し、働きやすい職場環境を整えて魅力を高めています。現在、自ら考えて行動できる組織を目指し、全社員で取り組んでいるところなので、そのような行動力のある人材が来てくれたら嬉しいですね。

ーー今後、会社をどのように発展させたいとお考えですか。

坂泰助:
「ゆかり」は2024年に58周年を迎えました。私は、この「ゆかり」を100年続くブランドにしたいと考えています。私は100周年を迎えるときには101歳であり、100周年を見届けることはできないかもしれませんが、だからこそ「次につなげていきたい」と強く願っています。

そのためには、現在のままではなく、商品や組織に対して時代に合ったさまざまな付加価値を加え、「ゆかり」や「坂角総本舖」を進化させていきたいですね。さらに次の時代にもつなげてもらえることを願っています。

編集後記

会社を継ぐことを念頭に置いて生きてきてもなお、修業と称して自ら外部に経験を積みに行き、さらに「得意ではないから」と製造の経験も積みに行く、坂泰助社長の謙虚な姿勢に感銘を受けた。変わりゆく時代の流れを決して否定することなく「付加価値をつけていってほしい」と願うところにも、その謙虚さがにじみ出る。

穏やかでありながらも外側に開かれている社長の思いは、「ゆかり」の100年ブランド達成を強く後押しするに違いない。坂角総本舖がどのような付加価値をつけていくのか、今後の展開が楽しみだ。

坂泰助/1965年、愛知県生まれ。愛知学院大学卒業。1989年、東海銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、4年間の「修業」を経て、1993年に株式会社坂角総本舖に入社。1999年に取締役営業部長、2006年に専務取締役、2016年に代表取締役社長に就任。