
さまざまな色やデザイン、装飾品で手足の爪を彩るネイルアート。株式会社TATは、ネイル用品の卸売事業で業界のフロントランナーとして成長を続け、現在は「サービスの提供」にとどまらず、サロン運営やネイリストの地位向上を支えるインフラ構築へと事業を拡大している。社内においては、従業員が自ら意思決定を行う組織モデル「セムコスタイル」の導入や従業員への株式分配といった型破りなアプローチで「みんなの会社」づくりを推進。ネイルケアを通じた社会課題の解決から未来のリーダー育成まで、業界の常識を覆し続ける髙野氏に、TATの現在地と今後の展望を聞いた。
時代は就職氷河期 芸術好きの若者が経営の道へ
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされましたか。
髙野芳樹:
弊社は父が創業した会社です。私の父は『破天荒!サウスウエスト航空―驚愕の経営』という本を読み、米LCC(格安航空会社)の先駆者となった会社の経営手法に感銘を受けました。父が脱サラして1998年に起業するきっかけとなった本であり、まさに弊社の原点といえます。父が始めたのは、当時まだ日本未上陸だったネイルのプロ用商材を卸す事業でした。
大学を中退した私も、父の事業を手伝い始めました。フリーター時代は人生が終わったような心持ちでしたが、バンド活動をしたり絵を描いたりと、今振り返ると大好きな芸術を満喫できた時間でもありました。当時は就職氷河期にあたり、多くの人が暗い気持ちで働いていました。私は「サラリーマンになりたくない」という思いから、父の会社に携わるようになったのです。
ーー入社当初はどのような業務を担当していたのですか。
髙野芳樹:
数字には強いほうでしたが、当時は貸借対照表も見たことがなく、ビジネスについては何も知りませんでした。電話やFAXで注文された商品を集めて発送するほかは、Excelで在庫状況や価格表を管理するくらいでした。経営面を任されるようになったのは26歳頃からです。
数字よりも大切なグッドサイクル――働く仲間との関係性
ーー経営を任されるようになり、どのような困難がありましたか。
髙野芳樹:
2014年から2016年にかけて減収、減益に陥ったことがあります。私は一般的な経営術ばかりを学びすぎて自分らしさを失い、会社も企業理念とは真逆のルールや制度に囚われていました。「世のため人のためにビジネスがあり、目的を達成するために経済(エコノミー)が必要なのだ」と経営理念を改め、“自分たちらしさ”を取り戻そうと社員に呼びかけました。
1年かけて社員に会社の好きなところを聞き回り、幹部を集めて60時間ほどディスカッションを重ねました。現在は2017年1月に定めた「LOVE!ENJOY!WOW!」をコアバリューとして「この価値観で突き抜けよう」と社内に広く訴求しています。
ーー困難を打破するために取り組んだことを教えてください。
髙野芳樹:
現状をなんとか打破したいという一心で参考にしたのは、マサチューセッツ工科大学のダニエル・キム教授が提唱した「関係性の質」の法則です。この法則は、結果の質だけを追い求めると人間関係がぎくしゃくして思考の質が落ち、行動の質も低下することで、さらに結果の質が悪くなるという悪循環を示したものです。社内では営業政策を見直すことなど、戦略的改善に取り組むべきだという声もありました。しかし、この悪循環を断つためにも、まずは「関係性の質」を高めることから始めました。
一緒に働く仲間としてコミュニケーションをきちんと取り、相互理解に力を入れればみんなの思考の質が上がります。良いアイデアや前向きな気持ちが生まれて、社内では行動や結果の質が上がりました。この成功体験によって関係性の質をより高めることができたのです。もともと弊社が持っていたポテンシャルを取り戻すことができ、グッドサイクルの威力を実感しました。
常識を疑う姿勢とみんなの会社づくり
ーー会社を運営する上で、大切にしている価値観を教えてください。
髙野芳樹:
大きく分けて、2つの価値観を大切にしています。一つは、「常識を疑うこと」です。世の中の一般常識を、そのまま素直に受け入れることはしません。たとえば、ネットの記事を読もうとすると消し方の分からない広告が出てきたりしますよね。私は、ああいった「生活者の不便をあえて生み出し、そこからお金に換える」という現代では当たり前になっているビジネスモデルに対して、強く疑問を持っています。
もう一つは、「性善説に基づき、制限するようなルールは設けないこと」です。会社運営において、ごく一部の人が引き起こすかもしれない問題を防ぐために、その他大勢の行動を縛り、幸せを奪うようなルールづくりには反対です。共に働くメンバーを信頼する「性善説」を大前提とし、より多くの人が心地よく働ける、制限の少ない組織運営を心がけています。
ーーその価値観を反映した具体的な施策をお聞かせください。
髙野芳樹:
直近の取り組みとして、従業員持株会を組成し、メンバーが株主になれる仕組みをスタートさせました。みんなの会社にしたいという思いを形にするために、私が保有している株式を従業員に少しずつ分配しています。
近代経営学では所有と経営と労働を分離させることが正解とされていますが、私たちはあえてそれらを一体化させようとしているのです。働く従業員に株を分け与え、そこで働く人たちの会社をつくっていく試みは、現代の会社法や資本主義経済に対する一つのアンチテーゼになるかもしれません。
セムコスタイルの導入で目指す自己意思の決定と従業員の幸せ

ーーみんなの会社をつくるため、日々の組織運営ではどのような手法を取り入れていますか。
髙野芳樹:
セムコスタイル(管理やコントロールを取り払って信頼関係をベースにするブラジルのセムコ社の組織運営手法)の導入を進めています。この手法は、社員がまるでバンド仲間と良い音楽を奏でるかのように自律的に働くことを目指すものです。現在は、専門のコンサルティング会社の支援を受けながら、まずは人事チームや幹部がそのエッセンスを体験し、現場を牽引する社内コーチを育成している段階にあります。
セムコスタイルには5つの原則と15の柱が存在します。原則の一つである信頼には、フィルターをかけない透明性やパワーギャップの縮小、そしてメンバーの思考を停止させるようなルールをなくす大人対応が含まれます。これらを実践するため、月次の振り返りでみんなが議論し、特権を見直す取り組みを始めました。
ーー社内での特権を見直した具体的な事例を教えていただけますか。
髙野芳樹:
まだ話し合いを進めている段階ですが、たとえば「グリーン車の利用」に関する特権の見直しです。私は出張移動が多いのですが、社内には明確な規定がなく、実質的に私だけの特権のような状態になっていました。しかし、それでは信頼関係を築く上でフェアではありません。そこで、「たとえば45歳以上になったら誰でも利用できるようにしてはどうか」と提案し、現在メンバーと議論を交わしているところです。
また、一部の役職者だけで意思決定を行う官僚主義を取り払い、関心のあるメンバー全員が業務運営に関与する「シェアドコントロール」の考え方を取り入れています。わかりやすい例として「社内旅行」です。通常なら総務などが決められた予算内でプランを決定するところですが、それでは「行き先が微妙だ」といった不満が出がちですよね。しかし、シェアドコントロールの考え方では「決められた予算内で、みんなが楽しめる最高の旅行を企画することに興味関心がある人」を社内から募ります。対立しがちな課題に対して、このように肩書きに関係なく純粋に興味のある人たちが集まって解決していく。そういった組織としての成功事例を、これから少しずつ積み上げていきたいと考えています。
ーー自律的な組織づくりを進める中で、人事評価制度では何か新しい試みはありますか。
髙野芳樹:
現在実験的に、上司が部下を一方的に評価するのではなく、近くで働いているメンバー同士が互いに評価し合う仕組みを取り入れています。チームの目標に対して互いに期待を伝え合い、最終的な評価は自分自身で決めるというアプローチです。上司はあくまでそれが正しい数字に基づいているかをチェックする役割にとどまります。
ウェルビーイング(心身の健康と幸福)の研究において、人間の幸せに関わる重要な要素として選択肢の複数性と自己意思決定の幅が挙げられていました。自分で決めることが多ければ多いほど人は幸せになれるという仮説を、会社組織の中で実証していくつもりです。
卸売に特化した強みとインフラへの進化

ーー事業が大きく成長したターニングポイントを教えてください。
髙野芳樹:
2000年頃に普及しはじめたインターネットを早くから活用し、事業を成長させたことが大きいですね。さらに3PL(Third Party Logistics:物流業務を第三者に委託)を採用して、物流作業をアウトソーシングしたことも経営の安定に寄与しています。
社風がトップダウンのワンマン体制ではなく、チーム主体であることも他社と大きく異なる点です。業界全体が落ち込んだ時期であっても、弊社の離職率はわずか2%程度に抑えられていました。また、商材が少ない時代から少しずつ取り扱いを広げてきたことで、膨大かつ特性が複雑な商品群にも的確に対応できていることが弊社の最大の強みだといえるでしょう。
ーー今後の展開として、新たに取り組まれていることはありますか。
髙野芳樹:
ネイルサロンに向けたサービスの拡充ですね。プロのネイリストやサロンが使う材料の提供が軸ですが、それに加えてサロンの運営に関わる周辺業務のサポートも拡充しています。自社のサービスにこだわらず、外部と連携しながら電子カルテの提供や、採用支援を行っています。
採用に苦戦されているサロンとそうでないサロンには、決定的な違いがあります。「いつかあんな場所で働けたらいいな」と憧れられる魅力的なサロンづくりを、私たちはサポートしていきます。いずれはサロンの運営からネイリストの働き方まで、ネイル業界を支えるあらゆるインフラを網羅していく計画です。
アートからケア・予防へ ネイル業界の社会的な価値を向上
ーーネイル業界に対しては、今後どのような価値を提供していきたいとお考えですか。
髙野芳樹:
ネイルサロンが提供できる価値には、アート以外にもまだまだ大きな可能性が秘められています。たとえば、足の爪のトラブルが原因で歩行が困難になり、要介護状態になるリスクを抱えている方は全国に約700万人いるといわれています。これが足爪フレイルと呼ばれる課題です。
症状が悪化する前の段階で、高い技術と知識を持つネイリストが適切なケアを行い未然に防ぐことができれば、歩けなくなる人を劇的に減らせるはずです。要介護者の増加を防ぐことで社会的コストや税金の負担を削減し、消費の落ち込みも防ぐことができます。
ーーその構想は、ネイリストの社会的地位向上にどう結びつくのでしょうか。
髙野芳樹:
爪に疾患がある場合は医療機関での治療が必要ですが、診療報酬の問題や、日常的な爪のケアに対する経験値の違いなどから、対応が難しいケースがあるのも事実です。そこを医療や行政と連携し、専門的な技術を持つネイリストが予防の観点でお役に立てれば、極めて社会的意義の高い職業として認知されるでしょう。
また、日本の繊細で優れた「ネイルアート」の技術は、海外の方々からも「非常にクールだ」と高く評価されています。さらに「Jビューティー(日本の美容技術や製品の総称)」として世界に発信する成長戦略の一つとして期待されています。ケアとアートの両輪で、日本のネイル業界は今後さらにグローバルな価値を生み出していくはずです。
次世代リーダーの育成と新卒学生へのメッセージ

ーー社内における次世代リーダーの育成についてはどのようにお考えですか。
髙野芳樹:
実践の中で学びや失敗を重ねるうちに、私なりの経営の型が見えてきました。しかし、現在のボードメンバー(役員などの経営陣)は私と同世代の者が多いため、将来的な世代交代に備えて、組織内に年齢のグラデーションとなる層をつくっていく必要があります。
その取り組みの一つとして、目標となる偉人や優れた経営者をまとめた「ファンタスティックリーダー」のリスト作成を進めています。偉人の生き方やピンチの乗り越え方に触れ、「こんな人になりたい」と憧れることが、自らを奮い立たせる原動力になります。「人を幸せにする」という当社の経営理念を、誰に言われるでもなく自律的に体現していけるリーダーを育てていきたいですね。
ーー最後に、これから社会に出る学生や若手人材へメッセージをお願いします。
髙野芳樹:
ネイル業界は、業界団体が発足して約40年という、まだまだ発展途上の若い業界です。システムが完成された大企業に身を置くのとは違い、未開拓の領域が多い今のフェーズだからこそ、自らの手で「歴史の0ページ目」を刻むようなダイナミックな挑戦ができます。
私たちが求めているのは、周囲を巻き込み、組織全体をポジティブな方向へ牽引していく力を持った人材です。用意された制度の上で働くのではなく、意欲あるメンバーが躍動できる環境そのものを一緒につくり上げ、業界の未来をともに切り拓いていける仲間をお待ちしています。
編集後記
徹底した関係性の質の向上と、従業員の自己決定権を重んじる組織づくりで進化を続ける株式会社TAT。所有と経営と労働の一体化に挑む姿勢からは、働く人の真の幸福を追求する髙野氏の強い覚悟が感じられた。ネイルアートの枠を超え、未病領域から社会課題の解決に直結するインフラへと事業を昇華させる同社の躍進に、今後も注目していきたい。

髙野芳樹/1978年、兵庫県生まれ。兵庫県立鳴尾高等学校卒業。神戸学院大学を中退。バンド活動、芸術活動を経て、1998年に父親が起業した事業に加わる。2001年に有限会社タカノ・アメリカン・トレーディングを設立。2004年株式会社TATへの組織変更にともない取締役に就任。副社長を経て、2016年12月に代表取締役社長に就任。NPO法人日本ネイリスト協会の理事としても業界発展に注力している。