家庭用のソースを扱う企業として、古くから愛されてきた神戸のオリバーソース株式会社。2023年に創業100周年を迎えた老舗ソースメーカーが歩んできた道は、決して平坦なものではなかった。阪神・淡路大震災によって工場や社屋を焼失し、従業員の命を失うという困難を乗り越えてきたのは、代表取締役社長の道満雅彦氏だ。どのようにして被災の困難を乗り越えたのか、また経営者としての思いや展望をうかがった。
過去最大の売り上げを達成した直後に阪神・淡路大震災が勃発
ーー入社した頃の印象的な思い出はありますか?
道満雅彦:
私はどちらかというと技術畑の人間です。子どもの頃から複雑な楽器を分解したり、エンジンを調整したりと、手先を動かすことが大好きでした。ですから、1975年にオリバーソース株式会社に入社し、工場に入ったときに大きな喜びを感じたことを、今でも覚えています。
私の入社日に、当時、製造部の担当者が他界したことをきっかけに、残されたレシピをイチから見直し、試行錯誤して商品をつくり上げる必要が生じました。商品化するまでは大変でしたが、おかげさまでオリバーソースの濃厚なとんかつソースが完成して、それがヒットし、その後、お好み焼きソースなども主力商品として成長しました。
ーー製造から営業の現場へと職種を移した後、成功体験はありますか?
道満雅彦:
会社として一番インパクトが大きかったのが、関西の男性お笑い芸人を起用したコマーシャルです。「オリバーソース!」という掛け声に、一度聴いたら耳に残る短い音楽を入れ込んだコマーシャルを16年間にわたり、夕方の帯番組で放映していました。このコマーシャルが契機となり、家庭での知名度が大幅に上昇しました。
ーー阪神・淡路大震災により、大きな被害を受けたとうかがっています。
道満雅彦:
1995年の阪神・淡路大震災では甚大な被害を受け、ニュースや業界誌には「オリバーソース再起不能」と書かれたこともありました。
実は、震災直前の1994年12月に、弊社は過去最高の売り上げを記録しました。新商品の「どろソース」もヒットし、コマーシャルによる知名度もあいまって、会社としては順風満帆。最大の売り上げをいざ回収しようというタイミングで震災に遭いました。当然、売り上げは回収できず、社員も1人が犠牲になり、7人が怪我をするという、悲しい現実と向き合わなければなりませんでした。震災をきっかけに、会社の方向性を大きく変えるという大転換機を迎えることになったのです。
震災から10年の月日を経て「どろソース」が会社に奇跡をもたらす
ーー震災以来、苦難が続いたそうですが、再起のカギは何でしたか?
道満雅彦:
「どろソース」です。もともと弊社の「どろソース」ができたのは、震災前の1993年でした。ウスターソースを製造するタンクの底には、「どろ」と呼ばれる沈殿物、副産物ができます。この「どろ」には、ソースの原料である野菜や果実などの成分が詰まっており、濃厚で旨味が強いので、これを売ってみようと思いついたのが「どろソース」の始まりです。
阪神・淡路大震災では、このどろを生み出す「クライマックスソース」の原液タンクが奇跡的に火災から免れて残っていました。新しい工場に、原液タンクを移し、2005年に10年寝かし続けたままだったこのソースを売ってみることになったのです。「クライマックス10年仕込みソース」という製品を1995本限定で製造販売したところ、メディアに大々的に取り上げられました。
ーー「クライマックス10年仕込みソース」が、メディアに取り上げられた後、貴社の変化はあったのでしょうか?
道満雅彦:
震災で命を落とした弊社の従業員が生前最後に仕込んだ「クライマックスソース」を、10年後に世に送り出したという心温まるストーリーに共感した方々が多かったのかもしれません。ニュースが流れたことをきっかけに「オリバーは元気なのだ」と思ってくださり、新たに注文が入り、結果的に売り上げは震災前と比較して2倍になりました。まさに「どろソース」が会社の窮地を救ったのです。
マーケットインではなくプロダクトアウトによって成功をつくる
ーー大切にしてきた経営信条は何ですか?
道満雅彦:
他社が手がけていない独自のソースをつくり出すことです。それが弊社の勝ち筋だと考えています。自社の技術力で新製品を市場に提供するという、プロダクトアウトの考え方で、オリバーソースにしかつくれないものを世に送り出すような経営を続けていきたいですね。「どろソース」や「クライマックスソース」は、まさにその考えを踏襲した商品といえるでしょう。
ーー今後もプロダクトアウト型経営は継続しますか?
道満雅彦:
もちろんです。マーケットインで展開すると、価格競争では大企業に太刀打ちできません。オリバーソースは阪神・淡路大震災の後で、一度は再起不能ともいわれた会社ですが、震災の苦労があったからこそ、弊社にしかないものを売っていくという独自の戦略が生まれたのだと思います。
ーー今後、取り組んでいきたいことは何ですか?
道満雅彦:
かつて各家庭のテレビで流れた「オリバーソース」のCMを、再開したいと思っています。現在の弊社の主流は業務用のソースですが、このまま続けていると「オリバーソース」というブランドは消えてしまうでしょう。
だからこそ、オリバーソースとしてのブランドを次世代に継承するために、ブランドの再構築が必要です。売り上げは震災前と比べて2倍となりました。その次に私たちがしなければならないのは、ブランドを育てることです。そのためには、他社と同じアイテムで、値段だけ安い商品を製造販売するのではなく、商品開発にも力を入れ、新しい取り組みにも果敢に挑戦していくつもりです。
編集後記
神戸で生まれ育ち、オリバーソースの後継者として生まれた道満社長。インタビューではソースへの愛はもちろんのこと、地元・神戸や従業員を大切にする思いが伝わってきた。同社が世に送り出してきた「どろソース」は今やSNSやYouTubeでも話題になっている。ユニークな視点で生まれた商品が会社を助け、未来をつくるというプロダクトアウトの経営の強さを目の当たりにしたインタビューとなった。
道満雅彦/1952年、兵庫県神戸市生まれ、甲南大学卒。1975年にオリバーソースに入社し、製造部に配属される。その5年後、営業部に転属。1991年、代表取締役社長に就任。1995年、阪神・淡路大震災により、本社・工場ともに焼失。2年半の休業期間を経て移転し、業務を再開。器楽による市民文化の振興と、ヨット競技による海洋教育の啓蒙活動にも注力している。