エネルギー自給率が低い日本にとって、石炭火力発電はメリットが大きく、今日まで日本の経済を支えてきた。2020年時点でも石炭火力発電は日本の発電量の3割を占めている。
そんな石炭火力発電を陰で支えているものづくりの企業が、井河原産業株式会社だ。同社は確かな技術力と創意工夫により、石炭火力発電のプラント関係の部品製造といった金属加工・製造業に従事してきた。クリーンエネルギーが求められる時代背景の中、同社は今後どのような事業を展開していくのか。代表取締役社長である井河原敏夫氏にお話をうかがった。
先代の急逝により、社長に就任した直後から会社の危機に
ーー井河原産業の社長に就任されるまでの経緯を教えてください。
井河原敏夫:
私は大学卒業後、京都で別の会社に就職していたのですが、先代社長である父の説得を受けて1988年に井河原産業株式会社に入社しました。当時はバブル経済期で景気がよく、依頼された仕事をどうやって断ればよいか悩むほどでした。
父の急逝によって私が社長に指名されたのは、2000年のことです。この頃にはすでにバブル経済が崩壊して久しく、翌2001年にはアメリカの大手エネルギー企業であるエンロン社が経営破綻して、業界全体に激震が走っていました。
ーーその当時の経営はどのような状況でしたか?
井河原敏夫:
私が社長に就任した直後が、会社にとって最大のピンチだったと思います。父が亡くなる直前に新工場と設備を発注しており、その支払いが必要だったのです。しかし、丸1年ほどはまったく仕事がなく、経営は非常に厳しい状況にありました。かつ、父の代から勤めてくれていた全員年上の部下達は、ワンマン経営者だった父の急逝にとまどうばかりという状況でした。
「なんとかしなくてはいけない」と考えた末、コンサルタントを導入して、部下達に管理職研修を受講してもらいました。そのかいあって、社内で危機感を共有し、無事に会社の危機を乗り越えることができました。
幅広い金属加工の技術を武器にエネルギー関連機器の部品を製造
ーー貴社の事業を詳しく教えてください。
井河原敏夫:
2025年で110周年になりますが、農業用機械の製造販売に始まり、父の代からは舶用機器や大型発電用ボイラーのバーナー等を手掛けるようになりました。米トランプ政権がバイデン政権に代わり、小泉環境大臣(当時)が化石賞を貰った頃から風向きが急変しました。
弊社の主力である石炭ボイラーは超々臨界圧火力発電(USC)から先進超々臨界圧火力発電(A-USC)という水蒸気温度が700℃/エネルギー効率50%以上に移行すべく開発途上でしたが、実用化間近で断念することとなりました。勿論、世界一安価な発電でCO2排出も以前よりもかなり少ない技術です。世界から注目されていました。
近年では、脱炭素の流れと設備の老朽化により全国で火力発電所が次々と閉鎖され始めました。そこでバイオマス発電や燃やしてもCO2を出さないアンモニアを燃料としたバーナーに着手。未だ実験段階ですが順調に行っております。また水素関連にも果敢に挑戦し、少しずつ案件も増えて参りました。
ーー貴社が特に得意とされているのはどのようなところですか?
井河原敏夫:
弊社はエネルギー関連機器の部品製造のほかに、大型製缶加工、大型機械加工、ファブデッキ(作業簡略化のため、床用に敷き込む鉄筋と型枠が一体となったもの)製造の3つの部門があります。近年はSS材以外の非鉄金属の加工も増えて参りました。今後さらに様々な素材に挑戦したいと考えています。今後、伸びていくであろう航空・宇宙の分野にも挑戦したいです。
宇宙開発関連のものづくりを視野に、新たな事業をどんどん生み出したい
ーー「新エネルギー政策」への対応についての考えをお聞かせください。
井河原敏夫:
弊社の事業は長年石炭火力に支えられてきました。世界的にカーボンニュートラルへの関心が高まったことで、弊社の事業も方向転換を迫られています。これまではOEM(※)中心で事業を展開してきました。これからは自社製品の開発にも目を向けたいと考えているので、製品開発のノウハウやスキルを持ったエンジニアが入社してくれると嬉しいですね。
(※)OEM:他社ブランドの製品を製造すること
20代、30代の力も借りて、宇宙開発に関連したものづくりなどもしていく方針です。トレンドを追いかけるつもりはありません。新しい視点でユニークな事業をどんどんやっていきたいと考えています。新しいものを生み出せる情熱を持った人が入社してくれれば、全力で応援し投資するつもりです。
編集後記
カーボンニュートラル実現に向けてエネルギー産業全体に変革が求められている今の時代は、井河原産業株式会社にとって、決して順風満帆とは言えない。社長就任時から向かい風に立ち向かい続け、精力的に活動してきた井河原社長は、新たな時代のものづくりにも意欲的だ。明るい未来に向けて舵を切り始めた井河原産業株式会社の成長に、期待が高まる。
井河原敏夫/芸大(美術学部立体造形学科)卒業後、アートの世界へ。1988年に井河原産業株式会社に入社し、常務取締役を経て2000年に同社の代表取締役社長に就任し、現在に至る。龍野商工会議所副会頭、IHI相生工場協力会会長、石播相生協力協同組合理事長、三井E&S DU生産協力会会長、日本商工会議所エネルギー環境専門委員など数々の役職を歴任する。