ビルやマンションの管理業務は、建物を安全に使用できるよう守る重要な仕事であり、信頼関係が不可欠な業界だ。メインテック株式会社は、35年間にわたり積極的な営業活動を行わずとも、仕事の依頼が途切れることがない。その秘密とは何か。今回は、代表取締役社長の三代善彦氏に、会社設立の背景や思い、成功の秘訣、そして今後の展望について詳しく話をうかがった。
「人を大切に」したいという思いが生んだビル管理会社
ーー貴社を設立するに至った経緯をお聞かせいただけますか?
三代善彦:
高校卒業後、労働省に就職し、芦屋市教育委員会に出向しましたが、職業安定所から紹介されて前職である日本管財株式会社に入社しました。そこで働いているうちに、人の気持ちを大切にするビル管理会社をつくりたいと思うようになり、会社を立ち上げることに決めました。
江戸時代の米沢藩の藩主、上杉鷹山の考えに感銘を受け、会社設立時には、社員で勉強会をしたことをよく覚えています。彼は飢饉などで借財を抱える藩を立て直すために、自らも木綿の羽織袴を着てともに働いたそうですが、その姿勢に心を打たれ、私も同じように会社を動かしていこうと決意したのです。
ーー設立当初、どのような会社にしたいと考えていましたか?
三代善彦:
人に優しい会社です。社員を「商品」としてではなく、大切な「人」として考えること、しっかりとした生活ができるだけの給与を保障することを重視していました。また、人が増えると派閥などの問題が生じることもあります。可能な限り、人間関係の問題を吸収できる体制をつくり、社員が落ち着いて働ける会社にしたいと思いました。
ーー創業後、現在に至るまでどのような苦労がありましたか?
三代善彦:
神戸の学生さんと一緒に行った事業で赤字を出したことがあります。その中で「メインテックのパン屋さん」も行いましたが、収益が上がらず長くは続けられませんでした。しかし、学生さんと一緒に進めることは非常に楽しく、社内の活気づくりにもつながったので、結果としては良かったと思っています。
一歩先ゆく対応で信頼を勝ち取り、つなぐビジネスリレーション
ーー会社が軌道に乗り始めた契機は何だったのでしょうか?
三代善彦:
最初の大きな転機は、株式会社電通さんから受託した大阪ドームの運営企画案作成業務です。この仕事が成功し、他の依頼も増えていったおかげで、1997年に分社することになり、これが最大の分岐点となりました。分社後、本社には全体の売上の4割しか残らず、再出発となりましたが、現場での信用・信頼を築くことで、新たな仕事につながっていったのです。
ーーお客様から信頼や信用を得るために、普段どのようなことを心がけているのでしょうか?
三代善彦:
何かあればすぐに駆けつけることを心がけています。ビルの不具合があれば、即座に対処し、特に水漏れの場合はビル全体に影響するため、迅速な対応が求められます。あるビルの管理の話が入ってきた際も、そのビルのオーナーがトラブル対応の遅さに悩んでいたため、弊社の「迅速対応」の姿勢を評価され、管理を任されました。
新規事業で街づくりに命を吹き込み、都市空間の創造を担う存在に
ーー今後、どのような取り組みを考えていますか?具体的な計画や新しい挑戦についてお聞かせください。
三代善彦:
新しいことにチャレンジし続けることが重要だと考えています。ビル管理で培ったノウハウを活かし、内装工事部門を立ち上げました。今後も強みを活かした新事業を展開していきたいです。新しい取り組みのきっかけになるかもしれないこととして、再来年に、ある会社の新ビルの設立に伴い、食料提供の計画が進んでいます。社員食堂の運営もしていますので、そのノウハウなどを活かして取り組む予定です。
ーー今後の展望についてお聞かせください。
三代善彦:
さまざまな経験を持ち、「自分ならどうするか」という考えを持つ方と一緒に働きたいです。ビル管理の仕事は華やかさに欠けるかもしれませんが、街づくりや都市空間の創造に関われる魅力があります。20〜30代の積極的な方々に応募してほしいですね。
そして、35年間の経験とノウハウを活かし、ビル管理を続けていくとともに、新しい事業にも前向きに取り組んでいきたいと考えています。
編集後記
三代善彦社長の経営理念は、人を大切にし、信頼を築くことにある。営業を置かなくても仕事が途切れない背景には、社員を大切にし、迅速に対応する姿勢が根付いているからだ。会社設立後の苦労を楽しさに変え、信頼を基盤に事業を拡大してきたメインテック株式会社は、今後も新たな挑戦を続けることで、さらなる成長を遂げるだろう。ビルメンテナンス業界の未来を切り拓く同社の動向に注目していきたい。
三代善彦/1947年兵庫県生まれ。兵庫県立兵庫高校を卒業後、労働省に入省し、芦屋市教育委員会へ出向。1979年に日本管財株式会社に入社。社長秘書、技術本部副本部長を最後に、1989年メインテック株式会社の設立と同時に代表取締役就任。