日本のウイスキー業界が転換期を迎える中、独自の視点と情熱で新たな道を切り拓いた株式会社ベンチャーウイスキー。存続の危機にあった家業の原酒を救い、世界で評価される「イチローズモルト」を生み出した同社の代表取締役社長、肥土伊知郎氏にその誕生のきっかけや、エピソード、今後の展望についての話をうかがった。
運命に導かれたウイスキーとの出会い
ーー家業に入るまでの経緯を教えてください。
肥土伊知郎:
大学卒業後にご縁があり、サントリーに入社しました。製造に就きたかったのですが、タイミング的に難しく、営業企画から始めることに。その後、営業の現場に出たいという思いが強くなり、上司に伝えたところ、1年ほどして外に出られるようになりました。最初は本当に緊張の連続で、酒屋さんに入る前に電信柱の陰で深呼吸してからでないと入れないほどでした。しかし、営業の仕事は非常にやりがいがあり、楽しかったです。
その後、「酒造りがしたい」という気持ちが強くなり始めた頃、父から実家の酒蔵を手伝ってほしいと言われました。これがウイスキーとの運命的な出会いになりましたね。
ーーウイスキーとの出会いについてくわしくお聞かせください。
肥土伊知郎:
実家の酒蔵では日本酒のほか、ワイン、スピリッツ、焼酎、そしてウイスキーをつくっていました。ある時、製造現場の人と雑談する中で、「うちのウイスキーは個性的で飲み辛く、売れない」と聞いたのです。実際に飲んでみると、確かに当時主流だった飲みやすいタイプとは違いましたが、私は美味しいと感じました。
そこで、味のわかる人たちに評価してもらおうと思い、バーのマスターたちに飲んでもらうことにしたのです。これが後の「イチローズモルト」誕生につながる重要なきっかけとなりました。
バーテンダーの支持で羽ばたいた「イチローズモルト」
ーー「イチローズモルト」誕生のエピソードをお聞かせください。
肥土伊知郎:
家業の経営状態が厳しくなり、事業譲渡を経て新しいオーナーが入ることになりました。その際、ウイスキーの原酒は廃棄される予定だったのです。しかし、20年近く熟成させた原酒を捨ててしまうのは、あまりにももったいない。そこで、原酒を引きとって独立することにしました。2004年9月3日に弊社を立ち上げ、翌年の春に第一号のウイスキーをボトリングすることができました。商品名は「イチローズモルト」。これは、ウイスキーに創業者の名前を使うことが多いことを踏まえて決めたものです。
ーー「イチローズモルト」はどのように売り出したのでしょうか。
肥土伊知郎:
普通の酒屋さんに置いても売れないだろうと思い、バーに焦点を当てました。バーテンダーは知名度だけでなく、味で評価してくれると考えたのです。2年間で延べ2,000軒以上のバーを回り、6,000杯以上のウイスキーを飲みました。最初の600本を売り切るのに約2年かかりましたが、飲んでくれた人が「面白い、美味しい」と言ってくださり、少しずつ取り扱い店が増えていきました。この地道な活動が、「イチローズモルト」の評価を高める基盤となったのです。
ーー海外での評価はいかがですか。
肥土伊知郎:
海外ではウイスキーの需要が下がっていなかったので、創業当初から現地で代理店が見つかりました。ウイスキーのイベントやセミナーに呼ばれることも多く、積極的に参加しましたね。海外の方々には「日本でウイスキーをつくっているのか」と驚かれることが多かったです。現在はヨーロッパを中心に、イギリスやフランスなどで販売しています。高級バーやホテルバーを中心に取り扱っていただき、感度の高いバーテンダーさんたちに支持されていますね。
苫小牧の第三蒸留所が拓く新たな可能性
ーー今後の展望をお聞かせください。
肥土伊知郎:
14年後、秩父のシングルモルトウイスキーが樽の中で30年物になります。30年物のウイスキーを発売できるということは、それだけの時間をかけなければ味わえない味があるということです。お世話になった人たちと一緒に味わうことが夢ですね。
現在、北海道の苫小牧市に第三蒸溜所を建設中です。原料調達や水質、物流など、さまざまな条件を考慮して拠点を選びました。ここではグレーンウイスキーを生産する予定です。これにより、ブレンデッドウイスキーの生産体制も整い、さらに多様なウイスキーを提供できるようになります。また、秩父蒸溜所では、昔ながらの製法にこだわった製造を行っています。これからも伝統を守りながら新しいことにチャレンジし、世界に誇れるウイスキーをつくり続けたいと思います。
ーー最後に、読者へ向けてメッセージをお願いします。
肥土伊知郎:
皆さんには、好きなことを仕事にするか、仕事そのものを好きになってほしいと思います。好きということは大きなエネルギーになるんです。やらされているのではなく、好きだからやっている状態ですね。私は自分の好きなことを仕事にできたからこそ、今もウイスキーに夢中なのだと思います。
また、ウイスキーは時間のかかる飲み物なので、ぜひ長く見守っていただきたいですね。これからも新たな「イチローズモルト」が生まれるはずです。ウイスキーを通じて、皆さんの人生を少しでも豊かにできれば嬉しく思います。
編集後記
肥土氏の情熱に触れ、日本のウイスキー文化の新たな可能性を感じた。廃棄寸前だった原酒から世界的な評価を得るブランドをつくり上げた物語は、諦めないことの大切さを教えてくれる。肥土氏の「好きなことを仕事にする」という言葉は、多くの人の共感を呼ぶだろう。時間をかけて醸成される味わいのように、同社の未来も楽しみだ。
肥土伊知郎/1988年、東京農業大学農学部醸造学科卒。サントリー株式会社入社を経て、1997年に父の経営する酒造メーカーに入社。経営不振により、その会社が事業譲渡され人手に渡る。廃棄予定のウイスキー原酒を引きとり、2004年に有限会社ベンチャーウイスキーを設立。2005年に残された原酒をもとにイチローズモルトを発売。その後、国内外の蒸溜所にてウイスキーづくりを学び、2008年2月より秩父蒸溜所にてウイスキーづくりを開始。