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横浜中華街で明治中期(1892年)に創業した中国料理レストランの株式会社萬珍樓(神奈川県横浜市)は、横浜大空襲や関東大震災を乗り越えながら、街を代表する老舗店として地域に貢献してきた。昭和の時代に代表が林兼正氏に代わってから家族経営だった店舗を拡張し、現在では160人超の社員を抱える一大レストラン法人としての地位を確立している。

店舗を名店に育てることと並行して、横浜中華街発展会協同組合の理事長を20年務め、地域発展の立役者となった林兼正氏。1970年代から、長きにわたって中華街をけん引してきた林代表に、経営方針や展望について聞いた。

観光地・横浜中華街を盛り上げるために、春節祭を企画

ーー入社の経緯から、代表取締役に就任するまでのご経歴を教えてください。

林兼正:
1960年代にアメリカンスクールを卒業し、22歳で社員20〜30人だった株式会社萬珍樓に入社しました。高校時代からお正月や夏休みに萬珍樓の調理場でアルバイトをしていたので、馴染みの場所に戻ったという感じです。

調理場で6年以上働いて他店でも修業したあと、本店に戻り、営業や経理を担当しました。そのうち専務として、父に代わって多くのことを任されるようになり、1975年に代表取締役に就任しています。

ーー調理場の経験は、どのようなところに生かされていますか?

林兼正:
私はシェフ兼オーナーの立場で、料理を理解したうえで経営に臨んでいます。今でも調理場で築いた自分の味とつくり方で店を運営しているので、お客様が20年前に食べたものと変わらない味を提供できます。

父が鍋を振っていた時代から規模が大きくなっても、料理人が変わっても同じ味が出せるのは、料理の指揮者がいずれも代表であるからです。代表である私自身がおいしいと感じ、クオリティの高い料理を出し続ければ、お客様はちゃんとついてきます。

ーー「街づくり」にも力を入れていると、お聞きしました。

林兼正:
横浜中華街「街づくり」団体連合協議会会長を務めるほか、横浜中華街発展会協同組合の理事長を20年間務めています。その中で、伝統的な行事を当地で再現しようと、春節の祭りを企画してスタートさせました。

横浜中華街は非日常的な空間であり、わざわざ中国まで行かなくても東京から電車で1時間で、本場の中国を味わえるのが魅力です。それを肌で感じてもらうために、街全体を盛り上げる活動も積極的に手がけています。

日本人にとっての「おいしい」を追求した、中国広東料理を提供

ーー料理に対して、どのようなことにこだわっていますか?

林兼正:
弊店は昔から営業スタッフを置かず、お得意様の口コミに支えられてきたので、料理の味には当然こだわっています。本場中国の味をそのまま持ってくるのでなく、日本人に合う味を求めてきました。

あるとき、大手しょう油メーカーの方から「中国ではどのような卓上しょう油が売れますか?」と聞かれ、「中国では売れませんよ。調理したものにしょう油をつけませんから」と答えたことがあります。両国の食文化は別物なので、日本の味覚を尊重しながら、アレンジした伝統広東料理を提供しています。

もちろん、料理長に任せきりにせず、しっかり料理をチェックしています。味の基準が人によってブレないよう、代表である私が「ベンチマーク」を示すことで、弊店らしい味を維持しているのが特長です。

ーー冷凍食品も、店の味を再現していると話題ですね。

林兼正:
冷凍食品が生まれたきっかけは、コロナ禍でした。外食は「「4人以内か同居家族、2時間まで」と要請されていたので、お店は開店休業の状態でした。

対策として、知り合いの協力で株式会社テクニカンが手がける最新の冷凍技術「凍眠」を使ったところ、つくり立てと比較しても遜色のない、立派な冷凍食品ができあがりました。大がかりな工場生産ではなく、調理場の手づくりであることも、「味がいい」とオンラインショップで好評をいただく所以でしょう。

独立したい人の教育も可能

ーー人材について、理想の人物像はありますか?

林兼正:
強いて言うなら、自立したい人を応援します。一生ここで働かなくても、技術を覚え、それを自分のために使ってほしいですね。料理人に限らず、ホールスタッフでも、その道のプロになって独立したいという意欲的な人が入社してくれることこそ理想的です。

実際に腕を磨いて店を開く人もたくさん出ており、ここで厳しく鍛えられたなら、どこで何をしても通用するでしょう。

ーー具体的な人材の教育や労働環境について、お聞かせください。

林兼正:
従業員を教育してしっかりトレーニングしてこそ、厳しい時代を生き抜く組織になれるのです。そのため、朝礼や社内報を教育の場として活用し、年に数回は「おもてなし研修」のプロを招いて社員教育を実施しています。

もちろん、安心して働くための環境づくりも欠かせません。基本は週休2日ですが、たとえば親の介護がある人には週休3日にするなど、勤務体制にバリエーションを持たせています。有休をとりやすくし、サービス残業をなくすといった、プライベートを犠牲にしない働き方の導入にも積極的です。

ホスピタリティに欠かせない「ロイヤルスマイル」にしても、8時間も続けられません。3~4時間働いて食事して、また職場に戻った時にいい笑顔になれるように、社員食堂もつくりました。いつも気持ちよく働いてもらうための工夫を凝らしています。

ーー今後の目標を教えてください。

林兼正:
会社として持久力をつけて、パンデミックや地震、洪水が起こっても、つぶれない体力を蓄えていきます。

現在は従業員の給料を上げるために、価格転嫁を進めています。物価が上昇する中で、いかに商品価値を上げて、働く人の所得に反映させるか。これを第一のテーマとして取り組んでいきます。

編集後記

「競争相手は自分。他店のことなど、一度も調べたことがない」と言ってのけた林代表。豪快な語り口の一方で、「第一印象を左右する外観はとても重要。ピカピカに掃除してお客様をお迎えします」とも口にし、ホスピタリティと礼節を重んじるお人柄だった。熱心な教育と報酬アップを目指す社員思いの林代表が、1970年代から横浜中華街を引っぱってきた功績は計り知れない。

林兼正/1941年生まれ。かつて神奈川県横浜市に存在したインターナショナルスクール、セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジを卒業後、跡継ぎとして萬珍樓に入社。1975年、代表取締役に就任。横浜中華街で中国の伝統文化を再現し、1993年には横浜中華街「街づくり」団体連合協議会会長に就任。同年に就任した横浜中華街発展会協同組合の理事長を20年間務める。現在、横浜関帝廟、横濱媽祖廟の代表理事を務める。