
愛知県名古屋市を拠点に、弁当店、飲食店、ケータリングなど、多様な飲食サービスを展開する株式会社黒潮。2022年には有料老人ホーム事業にも参入し、事業領域を広げている。1950年に創業し、1977年に法人化された同社を2005年に30歳という若さで引き継いだのが代表取締役の岡本博貴氏だ。なぜそのタイミングで社長に就任したのか。また、幅広い事業はどのような理念に支えられているのか。同社の歩みとこれからの展望について話をうかがった。
突然の経営危機を支えた家族の絆と信念
ーー入社までの経緯を教えてください。
岡本博貴:
家業を営む家庭に育ち、小学生の頃から自然と家業を継ぐつもりでいたため、卒業文集には、「チェーン店の社長になりたい」と書いたほどです。子どもながらに、どうせやるなら大きな夢をと考えた結果でしたが、その想いは大学卒業が近づいても変わりませんでした。そこで、まずは飲食店で使用する食材に関わりのある仕事をしようと考えたのです。いずれチェーン店を運営するのであれば大手の卸売り事業者と人脈があるほうが良いと考え、名古屋では名の知れた魚類卸売りの商社に内定をもらいました。
しかし入社直前に祖父が体調を崩し、家業を支える必要に迫られたのです。内定を辞退するのは残念でしたが、家族経営の厳しさを知っていたため、迷わず家業に専念することを選びました。
ーーどのような経緯で社長就任が決まったのですか?
岡本博貴:
家業に加わった当時、日本料理に特化した3店舗を運営していました。しかし、幅広いメニューを提供し続けたためにコストが増大し、給料などを支払うと利益が数万円しか残らない状況に陥っていたのです。
私が30歳になった2005年、60歳を迎えた父から「資金が尽きて続けられない、事業を畳むつもりだ」と告げられたのですが、内定を蹴って家業を選んだ私にとって、ここで事業を辞めて他に就職するという選択肢は考えられませんでした。
そこで、店舗の一部を貸し出して父の生活費を捻出しつつ、残る事業を私が引き継ぐ形で社長に就任することを決めました。
ーー苦しい時期の社長就任から今まで、支えになった考え方は何ですか?
岡本博貴:
妻を幸せにしたいという想いが、私の原動力となりました。30歳で突然経営危機に直面しましたが、そのとき私は結婚したばかりでした。妻も3店舗を展開する飲食店なら経営は安定していると信じていたため、危機を知ったときの驚きは大きかったはずです。それでも一切文句を言わず、離婚の話も出さず、ずっと支えてくれたのです。
私の考え方を大きく変えてくれたのも妻です。大学で経営学を学んでいた私は、机上の空論を振りかざす評論家のようでした。「こんな店なら儲かる」と語るばかりでしたが、ある時、妻に「知識はあっても、行動していない」と指摘され、悔しくて行動を改めたのです。その結果、知識と行動が一致すれば物事が進むと気づきました。この経験から、「知行合一」という言葉を知り、今でも大切にしています。
「おいしい」へのこだわりで広がる事業領域
ーー事業内容と強みについて教えてください。
岡本博貴:
コロナ前は日本料理店や居酒屋、焼き鳥店など、夜の営業が中心の飲食店に注力していました。しかし、コロナ後は昼営業を主体とする弁当店や、そばやラーメンといった麺類の店舗に力を入れています。また、2022年からは住宅型有料老人ホームの運営も始めました。業態が変わっても変わらない弊社の強みは、「おいしい」を追求している点です。たとえば、弁当のだし巻き卵は機械ではなく、職人が一つひとつ手巻きしており、だしパックも使用していません。
ーーなぜ老人ホームを始めたのですか?
岡本博貴:
コロナ禍において大宴会場の需要が減少した際、介護施設への弁当提供で新たな可能性を感じたことや、社内に介護施設の経験者がいたことから、介護分野への展開を決めました。弊社は経営ビジョンとして「地域のインフラになること」を掲げ、地域に必要とされる存在を目指しています。介護分野進出のきっかけになった弁当提供においても、「おいしい」を基軸にし、地域に貢献できるため、大きく異なる分野に進出した感覚はありません。
「笑顔」「応援」の理念を共有し、働きやすい職場環境へ

ーー会社の運営上で心がけていることは何ですか?
岡本博貴:
社の理念を浸透させることですね。弊社の理念は、「おいしい」「笑顔」「応援」の3つです。特に「応援」は、「応援されるような人になろう」という考えを含んでいます。以前は理念をもっと長文で定めていましたが、パートやアルバイトを含め、全員に浸透させるために、あえてシンプルな単語にしました。
理念が共有されていなかったころは、職場の統制が取れず、離職率も高いことに苦労しました。現在は、面接時からこの3つを伝えるようにし、共有を図っています。その結果、社員に「応援」や「笑顔」の文化が少しずつ浸透し、職場環境が改善されたことを実感していますね。
ーー今後取り組みたいことについてお聞かせください。
岡本博貴:
評価制度の構築と採用強化、他の地域への事業拡大です。現在、昇進の条件を明確にした評価制度がないため、構築を進めています。その制度を通じて、正社員の採用強化にもつなげたいと考えています。事業面では、名古屋で成功している弁当店の運営方法を他の地域にも拡大する計画です。名古屋では、1つのセントラルキッチンを拠点として、オフィス街を中心に12店舗を運営しています。
このモデルを東京や大阪にも展開し、栄養バランスの取れたおいしい弁当を提供することで、各地域で欠かせないインフラとなることが目標です。そのために、セントラルキッチンの効率化を図り、品質と生産力の両面でさらなる向上を目指していきます。
編集後記
理論に頼るだけでなく、実際の現場で得た経験や家業への深い愛情を行動に結びつけ、数々の困難を乗り越えてきた岡本社長。その迅速な行動力と、環境の変化に即応する柔軟な判断力こそが、岡本社長の卓越した経営センスの表れだといえる。
株式会社黒潮といえば、日本全国で名が知れる弁当店や飲食店。そんな日が訪れるのも遠くないのではないか。同社の歩みは地域に密着した事業の成功例として、他の企業にも多くのヒントを与えるだろう。

岡本博貴/1975年、愛知県名古屋市生まれ。愛知学院大学を卒業し、家業の株式会社黒潮に入社。2005年、代表取締役に就任。