※本ページ内の情報は2024年11月時点のものです。

1948年、鹿児島随一の繁華街・天文館で創業した池田製茶株式会社。厳選した緑茶を仕入れ、加工したのち販売店に卸すほか、国内外の小売り事業も行っている。代表取締役社長の池田研太氏は、お茶を仕上げる「茶師」の最高位を持つ。その仕事内容や池田製茶の事業展開について詳しい話をうかがった。

お茶の香りに包まれて育った子ども時代――社長就任の経緯と祖父への憧れ

ーー社長の経歴をお聞かせください。

池田研太:
大学卒業と同時に、家業である池田製茶へ入社しました。天文館にある本店で3年ほど働くうちに、お客様と接することや商品の企画が大好きになりました。本社へ移ってからは、販売業務ではなくお茶の仕入れに携わるようになりました。茶師として重要な、お茶を「観る」力を養い、専務を経て38歳で社長に就任した次第です。

ーー幼少期からお茶に興味があったのでしょうか?

池田研太:
自宅兼店舗の本店に親子三世代で住んでいたこともあり、お茶の香りを自然に覚える環境で育ちました。祖父の背中を見てお茶の仕事について学ぶ中で、「祖父のような経営者になりたい」と思うようになったのです。

創業者である祖父には経営者としての「強さ」を感じ、家業を継ぐ上で一番の目標にしていました。事業を立ち上げて、ゼロからイチを生み出すことはとても大変だったと思います。祖父の周りには人が多く集まるのですが、人望が厚いからこそ会社を続けられたのでしょう。

柔軟な対応力を強みにして――抹茶ブームに先駆けて米法人を設立

ーー企業の強みを教えてください。

池田研太:
抹茶ブームの可能性が出てきた頃、トレードショー(見本市)で出会った現在のパートナー企業に声をかけられ、アメリカに会社をつくりました。海外輸出においては、食品安全の世界的基準である「FSSC 22000」の取得から取り組みました。未経験の内容でしたが、私の提案についてきてくれるスタッフが社内にいたからこそ、国内とは勝手が異なるビジネスにも対応できた柔軟性の高さは弊社の強みの一つと感じます。

ーー煎茶よりも先に抹茶が注目されたのですね。

池田研太:
今でこそアメリカでの日本茶のイメージはヘルシー&ビューティーですが、当初は「緑の飲み物=エイリアンの血の色」とマイナスイメージを持たれ、「Fishy(魚のように生臭い)」とも言われていました。当時は煎茶だけで海外進出するのは難しかったのです。

しかし、健康志向の高まりや大手コーヒーショップの抹茶商品がヒットしたこともあり、抹茶が海外でもポピュラーなフレーバーとして地位を獲得しました。例えばアイスクリームならば、今やバニラ・ストロベリー・チョコレートに並ぶほどスタンダードなフレーバーです。そのような経緯から、アメリカで販売する抹茶の需要拡大にあわせ、2020年3月に鹿児島県で初であり唯一の「抹茶専用工場」をたてました。

ーー競合に対する優位性についてもうかがえますか?

池田研太:
まずは、全国2位のお茶の産地、鹿児島に本社を構えていることです。抹茶の原料である「てん茶」の栽培面積は日本一で、煎茶に関しても南はフラットな茶園、北は山間地で標高の高い茶園というようにバリエーションがあります。

社内では「今後は生産者の方々とより強固なタッグを組んでいこう」と伝えています。私たちの企業理念に共感してくださる方と一緒に、産地の特徴や農家さんの生産性を活かせる商品をつくっていきたいと思います。

「茶師」の仕事とは――技術伝承プロジェクトもスタート

ーー社長は茶師十段の資格をお持ちですが、茶師の仕事内容を教えてください。

池田研太:
茶師の仕事は、お茶をじっくりと見極めて生産者から買い付けるところからはじまります。最終的な仕上がりをイメージしながら、香りや味が異なるお茶をブレンドし、火入れ(焙煎)をしてうまみを引き立たせます。そして、完成品をお茶屋さんに販売するまでが茶師の仕事です。

シングルオリジン(単一品種)のお茶は、いわばレストランで調理される前の「素材」です。茶師には素材を吟味して、ブレンドする技術があります。同じ素材であっても料理人によって完成する料理が違うように、茶師の違いでお茶の味も変わるのです。

また、お茶のニーズを高めることも大切な役割だと思っています。実際に、お茶の魅力を伝える機会は増えていて、私はクルーズトレイン「ななつ星in九州」で茶室を担当しています。毎週2組限定のスイートルームのお客様に、私が思う一番おいしいお茶を、最高の状態で味わっていただいています。

ーー「技術の伝承」という課題についてはどのように考えていますか?

池田研太:
茶師の仕事にフォーカスしつつ、次の世代にも技術を引き継いでいかなくてはなりません。歴史あるお茶屋さんが減る中で、若い世代がカフェやお茶専門店を開いているギャップを興味深く感じています。

会社としては、「茶師の登竜門」となるような、料理学校に近い仕組みづくりを進めています。私の持っている茶師の技術を伝えて、学びながらマネタイズできるなど、面白いシステムをつくりたいですね。

お茶でみんなを豊かに――変わらぬビジョンとブランディングの強化

ーー今後の展望をお聞かせください。

池田研太:
国内だけでなくグローバルに展開していく予定です。2024年3月にはイタリアに会社を設立しました。ヨーロッパでは価格以上に企業の理念や歴史、生産地の文化が重視されます。合理主義的なアメリカでは「モノ」を売る一方、イタリアでは「体験」を通して日本茶のストーリー性をPRし、「IKEDA」というブランドの価値を上げることが目的です。

弊社は「お茶で豊かに」というビジョンも掲げています。「モノ」よりも「体験」に感動する「グリーンティー・ツーリズム」で地域を活性化し、これからも生産者の方からお客様まで、お世話になっている皆さまが豊かになれる取り組みをしていきたいと思います。

編集後記

「自分のやりたいことについてきてくれる」と、スタッフへの感謝を語った池田社長。経営者でありながら、プレイヤーでもあり続けるからこそ、業界や現場の「今」がしっかりと見えるのだろう。日本茶文化を伝えるのに最適な鹿児島の地から、世界に飛躍していくストーリーを末永く見守りたい。

池田研太/1977年生まれ。2000年、池田製茶株式会社入社。2015年、代表取締役社長就任。日本茶鑑定士・日本茶インストラクターの資格を持ち、茶審査鑑定技術の最高位「茶師十段」を保有。全国茶審査技術競技大会において多数の受賞歴を持つ。