※本ページ内の情報は2024年10月時点のものです。

クオリティの高い日本製のドールやフィギュアは海外からも人気が高く、購入を目当てに来日する観光客も多い。株式会社アゾンインターナショナルは、大部分が”ままごと用”など純玩具しかなかった着せ替え人形を本格的な大人のコレクター向けに提案し、ドールブームを起こした企業だ。

起業したきっかけやベトナムでの生産を始めた経緯、常識を覆してきたこれまでの功績などについて、代表取締役社長の早園正氏にうかがった。

苦労を乗り越え自分で起業の道を切り拓いた過去

ーー起業家になろうと思った経緯をお聞かせください。

早園正:
私の父は横浜の地場産業であるスカーフやハンカチの染に使うプリント型を製造する会社を経営していました。事業拡張の際に大きなトラブルに巻き込まれ会社が多額の負債を抱えてしまったのです。父は逃げることも頭によぎったものの「胸を張って歩ける生き方をしよう」という気持ちで、今後の生活と債権整理のため再び起業をしました。そんな起業精神を持つ父の影響がありました。

ーー起業するまでどのような経験を積んだのですか。

早園正:
技術を習得するため、Tシャツやステッカーなどにプリントを施すシルクスクリーンの会社でアルバイトをさせていただきました。

その後お世話になったバイト先の社長に独立の相談をしたところ、有難いことに不要な機械や余った材料を持たせていただき、小さな商売を始めました。その頃、事業の再興をしていた父の病気が判明し、父の会社と合併することを決めます。父は一年で他界しましたが、培ってきた技術とバブル経済の影響でスカーフやハンカチの製版業は絶頂期を迎え、売上は急成長しました。

起死回生を図るためドール用の服づくりに挑戦

ーーその後事業は順調だったのですか。

早園正:
バブル崩壊とクライアントの生産拠点が中国へシフトしたことで売上は全盛期の30%にまで落ち込みました。当時30人ほどいた従業員たちにも来月から給料が払えなくなり、「申し訳ないのですが次の職を探してください」と伝えました。

ところが、うちの居心地がよかったのか誰も辞めなくて「気持ちは嬉しいけど困ったな」と思い、規模を維持できる業務の確立に挑戦することになりました。

ーー危機を乗り越えたきっかけを教えてください。

早園正:
次の商売の模索のため、まずは以前から取り引きのあった台湾や韓国などのアジア雑貨を扱いましたが大きな商売にはなりませんでした。そんなときに「一緒にベトナムで仕事しましょう」というベトナムの方に出会いました。

当時(90年代)のベトナムはドイモイ政策の影響が大きく、日本でいうところの高度経済成長期のような時代で多くのベトナムの人がビジネスを語ると乗ってくる雰囲気でしたので刺繍コースター、サンダル、ウエディングドレス、コーヒー豆、ヤシの木の食器など思いつく商材を片っ端から作ってもらい輸入卸しを開始をしました。

そんな中、大手玩具メーカーから「ドール用の服を縫えないか」という依頼を受け、ベトナムで素質のありそうな工場を探して生産を始めました。日本の職人の高齢化で困っていたメーカーから続々とオーダーがあり、何とか会社の危機を乗り越えることができました。

ーー現地でビジネスをする上で苦労したことはありますか。

早園正:
今は日本の会社が現地で商売をするために支援をする団体や財団がありますが、当時は日本の会社が単独で正式な許可を得て事務所を持つことがとても難しかったですね。

当初は現地の人(現:駐在員の奥さん)を社長として立て開業しました。それでも「ここで仕事をしているよ」ということが既成事実になってくると地域社会に認められるようになりました。

ベトナムの人は親族・身内で助け合う習慣があるので、工場を一つ立ち上げるとその親族の方たちが協力し合って働いてくれるので、おかげさまで今では主に14工場が弊社の人形服を専門でつくっています。

今の事業の基盤となるオリジナル商品の開発

ーーオリジナル商品の開発を始めたきっかけを教えてください。

早園正:
現地の従業員の定着率の向上と、会社のブランディングのためです。せっかく育てた工員さんが辞めてしまうのを防ぐため、一年を通して安定的に仕事がある状態をつくろうと考えました。また、自分たちの技術を評価してもらいたいという思いから、OEM(※)事業とは別にドール本体のない着せ替え衣装セットだけをオリジナル商品として開発・販売を始めました。

(※)OEM:依頼を受けて他社の製品を製造すること

ーーそれからオリジナル商品事業はどのように成長していったのですか。

早園正:
無名のメーカーがプロダクトした製品が売れるのか心配もありました。しかし90年代終盤は大人のコレクター向けの玩具市場の黎明期ということもあり、本物志向の企画を高価な素材で本物の衣服や靴の職人が手間暇かけてドール用にダウンサイジングしたリアルな造りにすれば売れると確信しました。運よくインターネットの普及と多くのホビー専門誌の創刊が追い風となり、売上は順調に伸びていきました。

また「着せ替え用衣装だけのセット」だけではなくオリジナルの人形をつくりたいと思いドールアーティストの方に依頼し、それまでなかったアニメ顔のドールを造りました。インターネット上で話題になり、発売後は30分で完売。その後は数々のオリジナルキャラクタードールをエントリーしていきました。

ドールのキャラクター性を際立たせ舞台化やアニメ化を実現

ーーその後どのように事業を展開してきたのですか。

早園正:
ドール市場は規模が小さいため、特定のファン層を飽きさせないために次々と新しい商品を出さなくてはいけません。そのため毎月ドールを5〜8種、衣装単品もカラーバリエ含め40〜50種類は発売するようになりました。

ただ、取り扱い店様では棚に限りがあるので全種を並べていただけない。そこで作った製品全種をご覧いただける直営店の運営も始めました。

また、ドールはオブジェクトとして楽しむだけでなく、キャラクター性や背景ストーリーを設定することにより小説化や舞台化、地上波でのアニメ化、アプリゲームなどのクロスメディア展開に発展するシリーズも存在します。ドール製品からスタートしたコンテンツがアニメやアプリゲーム化するという、これまでと逆の流れが起きたわけです。一つの商材から多岐のジャンルに商材の幅を広げることが出来ることは、あらゆる面で有利な展開が出来ると思っています。

ーー最後に今後の展望をお聞かせください。

早園正:
今後も自社製品を題材にしてあらゆる媒体やジャンルへ展開していきたいと思っています。また十数年後には、ドールの概念を超え、会話ができるドールが誕生していると思います。癒しを与えてくれる存在として、ドールはよりおおきな存在になるでしょう。

これからも新しいテクノロジーを取り入れながら、ドールの可能性を広げていきます。

編集後記

ドールからスタートしたコンテンツを舞台化やアニメ化を進歩させるなど、起業家として新たな道を模索し続けてきた早園社長。一から道を切り拓いてきたからこそ、新たな世界が広がっていったのだと感じた。株式会社アゾンインターナショナルはこれからも既存の枠を飛び出し、ドール市場を拡大していくことだろう。

早園正/1965年生まれ、横浜市出身。日本文化とベトナムの技術力を合わせ新しい価値観を提案する。亡き父に代り捺染型製版業の「湘南スクリーン」を引き継ぎ1990年に法人化。1996年ホーチミン市に事業所を開設、人形服の生産を開始。1998年「アゾンインターナショナル」設立、自社企画ドールの製造を開始。5店舗の直営店を出店。ドールからスタートさせたコンテンツのTVアニメ、アプリゲーム、演劇などのクロスメディア展開にも取り組む。