IT技術の発達につれて、今や気軽に国境を越えた仲間たちと働けるようになった。特にIT業界では、コミュニケーションの障壁がどんどん薄くなっているように感じる。
システムやWebサイトの開発を手掛ける、SUN株式会社の代表取締役社長兼CEOである仲宗根俊平氏は、そんな変わりゆく社会構造を味方に付け、オフショア開発(※)事業を始めた。なぜ仲宗根氏は世界を股にかけた働き方を選んだのか。事業に込められた思いや実現したいビジョンなどについて聞いた。
(※)ソフトウェア開発やシステム開発などのIT関連業務を、他国にある企業や拠点に委託すること
幼少期の海外生活を原体験に、人と人をつなぐために起業の道を選ぶ
ーー仲宗根社長の経歴をお聞かせください。
仲宗根俊平:
私は幼少期に約3年間アメリカのカリフォルニア州とニュージャージー州に住んでいました。小学校3年生の夏に帰国して、それ以降は日本で暮らしています。
起業は学生の頃から考えており、大学卒業後はまず営業力を身に付けるために、2006年から保険会社と広告会社で営業として働きました。2012年になると、さまざまな業界との掛け合わせの可能性が豊富なIT業界へ道を変えます。それまで培った営業力を発揮し、入社から4年で取締役に就任しました。
弊社を起業したのは2018年のことです。節目と考えていた35歳を迎えたことを契機にSUN株式会社を設立し、今に至ります。
ーー仲宗根社長が起業を考えたきっかけを教えてください。
仲宗根俊平:
「世界中の人と人をつなぐ」という思いを実現しようと思ったからです。これまでの人生で海外との接点が多かったので、自然と「日本と世界をつなげる仕事がしたい」と思うようになり、一念発起して起業しました。
思いを実現できるなら方法にはこだわらなかったのですが、思いをダイレクトに表現できる方法を探した結果、起業にたどり着いたというわけです。
グローバル人材を採用するため、起業して数カ月後にはJICA(国際協力機構)のプロジェクトでバングラデシュに向かいました。社員となってくれる仲間も見つかり、国際的な会社の一歩を踏み出したのだと嬉しさがこみ上げました。
「海を隔てる難しさ」に翻弄されつつも、日本を選んでくれた方のため情熱的に働く
ーー起業後に苦労したエピソードや、やりがいを感じたエピソードをお聞かせください。
仲宗根俊平:
特に苦労したのは、コロナ禍に伴う渡航停止によって、来日するはずだった7人の社員たちが約2年間足止めされたときです。日本でのキャリア形成を予定していたので、そもそも日本に来られないというのは痛手でした。ただ、弊社には現地でも研修や仕事を用意できる体制があるので、状況に応じた臨機応変な対応でこの危機を乗り越えました。
一方でやりがいとなっているのが「IT」の最先端技術に触れながら働けていることです。日々進歩する技術を自社で開発する日本語教育サービスに活用することができ、何より日本に来てくれた方に、教育を通じて日本の魅力を発信できるという点に大きなやりがいを感じます。
世界6カ国のメンバーが活躍し、オフショア開発や外国人支援事業に取り組む
ーー貴社の事業内容を教えてください。
仲宗根俊平:
日本を含む世界6カ国のメンバーで、システムやWebサイトの開発事業、オフショア開発事業、および在留外国人支援事業に取り組んでいます。
人口減少や人材不足が叫ばれる日本において、DX(デジタルトランスフォーメーション)のニーズはますます高まっています。こうした背景からもシステム開発事業やオフショア開発事業では、業種や規模を問わずに幅広い顧客からご相談を受けています。在留外国人支援事業では、外国人向けの日本語学習コンテンツを自社で開発しています。
さらに、外国人向けの日本語学習アプリを2種類提供しています。1つは、日本の生活をテーマにした「くらしスタディ」、もう1つは外国人社員向けの「話す」スキルに特化したオンライン日本語学習サービス「はなすプラス」です。外国人を雇用している会社や、日本語支援が必要な生徒がいる学校などに対してデジタルを活用した日本語教育の導入を支援しています。
ーー貴社独自の強みは何でしょうか?
仲宗根俊平:
まずシステム開発では、依頼に対してシステムのリリース率が100%である点が強みです。受注したプロジェクトは、顧客と折衝してでもやり遂げる意気込みで取り組んでいるので、100%という数字は、顧客のニーズに真摯に向き合った成果であると思っています。
在留外国人支援事業では、アプリに搭載されたコンテンツの質の高さが自慢です。言語だけでなく日本のルールや文化、空気感なども学べるので、教科書では学べない生きた日本の文化を知ることができます。
システム開発会社、そして在留外国人を支援する者としてのこれから
ーー今後、特に注力したいテーマを教えてください。
仲宗根俊平:
まず必要だと感じているのが特定の業界に特化することです。弊社は幅広い業界に対応できる体制がありますが、これは裏返すと「特定の業界に刺さるサービスを持っていない」とも捉えられます。
たとえば中小の製造業に焦点を当てれば、非効率な現場へのDXによる変革や、海外進出を見込む製造業に対する語学支援などを提供することが可能でしょう。
英語圏における海外拠点の新設も課題です。これが実現できれば、海外で受注したプロジェクトを日本で開発する働き方が可能になります。この業界は世界に挑戦する会社が少ないのでポジションをとれる見込みがあると考えています。
また、在留外国人支援事業では、日本語教育が十分でない子どもたちへの対応が急務です。現状は地域によって対応に差があるので、そのギャップを弊社が埋めねばならないと感じています。
日本と世界をつなげ、日本の素晴らしさを世界へ発信していきたい
ーーこの記事の読者にメッセージをお願いします。
仲宗根俊平:
弊社はさまざまな文化が共存するグローバルな社風が特徴です。また、働き方の自由度が高く、育休取得率100%で携わるプロジェクトによっては在宅勤務も可能。社員の7、8割が在宅勤務であり、誰もが自分に合った働き方を選べます。場所にとらわれずに働けるので、いろいろな場所に住んでみたい方にはおすすめです。
欲しい人材は、Web系やインフラの開発経験があるエンジニアです。働き方の柔軟性だけではなく、ライフスタイルにあわせて選べる給与制度も用意していますので、ぜひお声がけください。
日本には多くの素晴らしい人やサービスがある一方で、世界への発信は不十分な現状があります。だからこそ、弊社は日本と世界をつなげ、日本を世界にアピールしていきたいのです。
私と同じように、日本の素晴らしさを世界へ発信したい方は志をともにする「仲間」になれるはずです。私と一緒に夢を見て、そして実現に向けて努力してみませんか?
編集後記
日本が世界へ打って出るには、それぞれの「足がかり」が必要だが、自ら用意できる者は多くない。だからこそ仲宗根社長のような存在が必要だ。日本国内の障壁を取り払い、海外へ挑もうとする人の背中を押す。仲宗根社長が人と人をつなげた先にはどんな未来が待っているのだろう。
仲宗根俊平/1983年、大分県生まれ。親の転勤に伴いアメリカに移住し、カリフォルニア州とニュージャージー州で幼少期を過ごす。帝京大学文学部を2006年に卒業後、保険業と広告業の営業を経験。2012年にIT業界に転職。業績が認められ入社から4年で取締役に就任する。2018年にSUN株式会社を設立。ITを軸として世界に社会貢献をすることを目標に掲げ、現在は在留外国人支援事業の推進に励む。