※本ページ内の情報は2024年10月時点のものです。

三宅建設株式会社は、1932年に創業し、兵庫県で90年以上の歴史を誇る老舗建設会社だ。この長い年月を通じて、同社は地域社会に深く根ざし、数多くの建築プロジェクトを手掛けてきた。高い技術力と信頼を培いながら、地元の発展に貢献し続ける存在だ。

代表取締役の三宅伸介氏は、建設業界が大きく変動する時代を乗り越え、3代目社長として会社のさらなる発展を目指している。三宅氏に同社のこれまでの歩みと、今後の展望についてお話をうかがった。

激動の時代の波に揺られ、公共工事から民間工事へ舵を切る

ーー貴社に入社されるまでの経緯を教えてください。

三宅伸介:
祖父が創業し、父が2代目社長を務めていた弊社では、叔父や義理の伯父も働いていました。親戚が集まると自然に会社の話題が出る環境だったので、子どもの頃から「いずれはこの会社に入るのだろうな」と漠然と感じていましたが、父の兄弟が多かったこともあり、自分が継ぐという強い意識はありませんでした。

建設専門学校では施工管理を学びましたが、卒業後は周囲の勧めもあって、まずは設計事務所に入社しました。資格取得のため、そして現場に出る前に設計の経験を積むほうが良いと考えたからです。しかし、1日中図面を引く仕事は資格取得には役立ちましたが、自分には合わないと感じ、以前から興味を持っていた、現場での経験を積みたいと思うようになりました。そこで、設計事務所での3年半の修行後、弊社に入社したのです。

ーー社長になるまで、どのような経験を積まれたのですか?

三宅伸介:
入社後は現場監督として現場に足を踏み入れました。当時、弊社は公共工事を中心に手がけていましたが、バブルの終わり頃には職人が不足し、私も監督でありながら夜中まで職人を手伝うこともたびたびありました。

しかし、阪神・淡路大震災の復興が終わった頃から公共工事が減少し始めます。父やその兄弟たちは引き続き公共工事に注力する中、私は民間工事なら営業努力次第で仕事をとるチャンスがあると考え、自ら志願して営業に転じました。

初めはマンション管理事務所に訪問し、「何かあれば見積合わせに参加させてください」と声をかけ、修理などの小さな工事を獲得することからのスタートでした。最初の大きな仕事はビジネスホテルの建設でした。建築の資格や施工管理の経験があったため、営業として商談しながら技術的な話もでき、時間をかけてついに施工受注に至ることができました。

ーー社長として舵をとるようになった頃、特に困難だったことは何ですか?

三宅伸介:
2008年、リーマン・ショックが起きて会社は大不況に直面し、親戚の年配者が次々と退職したため、結果的に私が社長に就任することになりました。その頃は、周囲の建設会社が次々に倒産していく中、「次は我が身かもしれない」と必死でした。

民間工事へのシフトを早くから進めていたおかげで何とか耐えることができましたが、非常に厳しい時期でした。建設工事は、終了後すぐに次の仕事があるわけではなく、1件契約がとれてもすぐに次を考えなければならないため、常に不安がつきまとっていました。

50年以上続く「三友会」!協力企業が支える現場監督の仕事とは

ーー現在の事業内容について、詳しくお聞かせください。

三宅伸介:
弊社では、土木工事と建築工事を主に手がけています。割合としては、土木が3割、建築が7割です。土木工事は主に道路や河川に関連するものが多く、その内8割が公共案件ですが、建築工事は民間案件が7割を占め、全体で見ると民間工事が7割、公共工事が3割を占めています。

近年の建築工事では、兵庫県内の企業の工場や事務所がメインで、保育園の新築工事でも多くの実績をあげています。企業向けの仕事は、修繕や基礎工事などが定期的に発生するため、以前から魅力を感じて積極的にアプローチしてきました。その結果、地元の企業と多くのつながりを築くことができています。

ーー会社を運営する中で、特に重視していることは何ですか?

三宅伸介:
弊社の業務は、職人を指導・管理する現場監督の役割が中心です。職人を抱える協力企業が欠かせない存在であり、50年以上続いている「三友会」という施工協力会社の団体を通じて、良好な関係を維持するために、合同新年会や三友会ゴルフコンペ、旅行など毎年イベントを開催しています。

営業がお客様から話を聞いてきて技術担当に伝えるのではなく、私が最初に行ったように、自分で計画を進め、最終的に受注まで持ち込むのが理想です。そのため、社員にはできるだけ現場経験を積んだ後に営業を担当してもらっています。

弊社のキャッチコピーは「輝いてるって言われたい」です。現場でお客様と接する立場にあるからこそ、お客様や地域の方々に「輝いている」と思ってもらえることが重要です。社員全員が周りから「輝いている」と言われるような存在であってほしいと願っています。

現状に甘えず既存顧客とのコンタクトを絶やさない

ーー現在、社内ではどのような取り組みを進めていますか?

三宅伸介:
地元企業のお客様は多く抱えていますが、それに安住せず、新たな企業を開拓していかなければなりません。また、既に取引のある企業とも、より深い関係を構築するため、営業活動が重要です。長年の取引があると、つい「次も声がかかるだろう」と油断し、待ちの営業になりがちですが、それではいけません。営業会議では、訪問できている企業とできていない企業をリスト化し、抜け目なくアプローチするように徹底しています。

ーー今後の課題と展望についてお聞かせください。

三宅伸介:
採用が最も大きな課題です。建設業界全体、特に現場監督を抱える会社は人手不足が深刻です。地元の工業高校からの採用を続けてきましたが、最近では建設業を選びたがらない卒業生が増えており、保護者が「厳しい・危険だ」と反対するケースもあります。少しでも興味を持ってもらえるよう、学校の授業の一貫として現場体験の受け入れや、建設業協会主催の学校イベントへの参加を通じてPRを強化しています。

人材の問題を解決し、「待ちの営業」から「攻めの営業」へと転換してきた実績をさらに高め、地元の民間企業から常に声がかかる会社にしたいと考えています。

編集後記

「地域密着」といった言葉は使われなかったが、「協力企業との関係が大切」「地元の民間企業から声をかけられたい」など、地域に根ざした企業であることが随所に感じられた。

地元での成功を目指すには、地域の人間関係の中で地道な努力が求められる。50年以上にわたり「三友会」を維持してきた三宅建設株式会社の強みは、他社には容易に真似できない信用構築と維持のノウハウを持っていることだ。課題を乗り越えた先にある同社のさらなる飛躍が楽しみだ。

三宅伸介/1964年兵庫県生まれ。修成建設専門学校卒業。1985年、二神建築設計事務所に入社。3年間の勤務を経て、1988年に三宅建設株式会社に入社。2009年に同社代表取締役に就任。加古川商工会議所常議員、元兵庫県建設業協会加印支部支部長。