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中堅・中小企業向け生産管理システムで高いシェアを誇る「Factory-ONE(ファクトリー・ワン)電脳工場」シリーズの最初のリリースは1995年で、開発・販売を担当する株式会社エクスはその前年の1994年に設立された。なぜ生産管理システムに取り組むことになったのか。そして、今後どのような展開を考えているのか。創業者であり代表取締役社長でもある抱厚志(かかえ あつし)氏にうかがった。

奇跡的な回復を遂げ、シェア第2位のブランドへ

ーー会社を立ち上げた経緯について、お聞かせください。

抱厚志:
父親が事業を営む姿を見て育ったため、学生時代から「経営を通じて社会というキャンバスに自分を表現したい」という強い思いを抱き、いずれは経営者になると決めていました。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というドイツのビスマルクの格言に共感し、大学では文学部で社会学と歴史を学びました。

農耕社会では農業技術が、工業社会では工業技術がその時代の優位性を創りました。私が就職した1985年にはすでに情報社会が到来していたため、情報技術を扱う会社を設立しようと決めました。

情報技術といえばコンピューターですが、当時の私はコンピューターに触れたことがなく、その価値を知らずにセールスすることに抵抗があったため、文系でもプログラマーになれる教育システムを持つ三菱事務機械株式会社(現・日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ株式会社)に入社しました。

当初は5年で独立することを想定していましたが、やはり学ぶことは多く、独立するまで10年かかり、1994年にようやく株式会社エクスを設立したのです。

ーー設立当初に阪神・淡路大震災があったと聞きました。どのように困難を乗り越えたのですか?

抱厚志:
1994年に会社を設立し、システムの開発に1年を費やして、1995年1月に電脳工場は完成しました。プレスリリースを配信し、注文も順調に入り出したのですが、販売開始1週間で阪神・淡路大震災が発生したのです。社員4人のうち2人が被災し、すべての注文がキャンセルになりました。

「日本の製造業をITで復権させることが自分の天命だ」と信じていた私にとっては、非常に辛い時期でしたが、「高く飛ぶには膝を折らなければならない」「志あるもののみが正しく膝を折れる」と自分に言い聞かせ、とりあえず3月末まで事業を続けることを決意しました。

すると、3月に前払いという好条件の商談を受注することができ、何とか会社を継続することができました。その際、自分には経営者として天から与えられた使命、天命があると確信しましたね。

ーーなぜ、生産管理システムという分野に注力することを決めたのですか?

抱厚志:
生産管理システムはその奥行きが深遠であり、顧客の納得や満足を得るのが難しいため、多くのIT企業が敬遠します。でも、私は「誰も近づきたがらないことこそがビジネスになる」と考え、三菱事務機械でも生産管理システムのチームへの所属を希望しました。当時の三菱事務機械は大手製造業中心にシステムを提供していましたが、私は業界の大半を占める中堅・中小製造業こそが未開の大きな市場であると考えたのです。

人・モノ・金の経営リソースが豊富な大手製造業向けには設計変更などコスト上振れを想定し、予備コストを含む余裕を持った見積を提示することが可能でしたが、リソースの限られた企業向けには、価格を抑え、提供範囲を明確にしたうえで、追加料金が発生する部分は都度見積とさせて頂いています。

その結果、「Factory-ONE 電脳工場」シリーズは中堅・中小製造業向け生産管理システムで、システム単体では国内シェア2位を獲得しました。私たちはシステム販売会社というより、ITを活用して問題解決を行うソリューションベンダーであり、日本の製造業の復権を自らの使命としています。

ーーシェア2位を達成するために、重視していたことを教えてください。

抱厚志:
私はプロフェッショナル思考が重要だと考えていて、これは高い技術力、コミュニケーション能力、そして現場志向のアプローチを意味します。常に営業もエンジニアも現場志向を持ち、問題や課題に真摯に向き合ってきた姿勢こそが、ベンチャー企業でありながらシェア2位を達成できた理由だと考えています。

社内では生産管理システムや製造業の現場知識を習得するため、座学とOJT(On the Job Training)のバランスを重視しながら教育を行っています。座学で学んだ知識を現場で実践し、現場では座学通りにはいかないことを学び、対策を考えることが、現場志向です。

社員提案から生まれた充実の福利厚生

ーー社員の声を活かした社内制度は、どのようにして実現しているのですか?

抱厚志:
弊社の行動理念は「Study、Practice、Evolution、Enjoy、Empathy、Dream」の頭文字を取った「SPEEED」で、この理念に基づき、資格取得への報奨金や、外国人社員による英語教室などを用意しています。

私は月に一度、ラジオ配信のような形で社員からの提案を募集し、その声を反映しています。最近ではまた、年2日のボランティア休暇や、勤続5年ごとに5日間の休暇と5万円の報奨金を付与するトリプル5という制度も、配信の中、社員からの提案で実現しました。

他にも、DE&I(多様性、公平性、包摂性)を重視し、採用・育成・活躍を一体的に推進するプロジェクトも進行中です。これにより、さまざまな人材が活躍できる場を創出し、そのための教育を行い、次世代を担う人材を採用することが統合的にマネジメントされることを目指しています。

ーーその次世代を担う人材として、どのような人を採用したいと考えていますか?

抱厚志:
新しいもの好きの方、自立心と自律心の二つのジリツを持ち、自走できる方を積極的に採用したいですね。どこへ行っても勝負できる人材を育てたいですし、人がジリツしている故に辞めやすい会社でありたいと考えています。弊社から新たな人材を輩出しながら、他方では外部を経験してエクスに戻りたい方のためのカムバック制度(アルムナイ採用)も用意しています。また、必要で有用な制度があれば提案していただきたいですね。

アジアナンバー1を目指し、グローバルな展開を視野に

ーー海外展開の具体的な計画について、教えてください。

抱厚志:
現在、海外での製品販売や、オフショア開発などのグローバルビジネスも進めています。ただし、日系企業に限らず現地ローカル企業への販売はまだ十分ではなく、今後は東南アジアを中心に、現地企業にもシェアを広げたいと考えています。特に、弊社での修業を経て、現地法人を立ち上げ、営業やサポートを担当してくれる起業家精神のある外国人人材を育てることが重要だと考えています。

ーーこれからの目標について、お聞かせください。

抱厚志:
10年後には、生産管理システム分野で、アジアナンバー1を目指しています。そして、経営人材を輩出できる企業となり、子会社も増やしていきたいと考えています。また、これまで2度挑戦しましたが、リーマン・ショックや東日本大震災などで実現しなかった、株式上場も改めて視野に入れているところです。

編集後記

抱厚志社長は、経営者として生きることを決意し、さまざまな試練を乗り越えながら信念を貫いてきた。その信念が、阪神・淡路大震災を乗り越えたときのように、今後も良い取引先やチャンスを引き寄せるだろう。多様な人材の声を活かし、中小企業向けのサービス開発や海外展開に力を注ぐ株式会社エクスの未来は明るい。抱社長が日本の製造業を復権させるという使命に向かって突き進む姿に、注目したい。

抱厚志/1960年、大阪府生まれ。同志社大学卒。1985年、三菱事務機械株式会社(現・日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ株式会社)に入社し、約10年間勤務(エンジニア、営業)。1994年、株式会社エクスを設立し、代表取締役社長に就任。