2006年に京都大学の山中伸弥教授らが作製に成功した、組織や臓器の細胞に分化する能力を持つ人工多能性幹細胞(通称:iPS細胞)。このiPS細胞を活用し、中枢神経系の難病の治療法と治療薬の研究開発を進めているのが、慶應義塾大学医学部発のベンチャー企業、株式会社ケイファーマだ。
起業の経緯や、経営理念「医療分野での社会貢献を果たす」に込めた思いなど、代表取締役社長の福島弘明氏にうかがった。
iPS細胞を使った創薬と神経再生技術で「アンメットメディカルニーズ」に応える
ーーまずは貴社の事業内容についてご説明いただけますか。
福島弘明:
弊社は慶應大発のバイオベンチャー企業で、「iPS創薬事業」と「再生医療事業」を展開しています。iPS創薬事業では、患者様の血液細胞からつくったiPS細胞を用い、中枢神経系の難病の治療薬に関する研究開発を行っています。
具体的には、iPS創薬事業ではALS(筋萎縮性側索硬化症)や、前頭葉または側頭葉が委縮して起こる前頭側頭型認知症、身体が勝手に動いてしまうハンチントン病などの創薬を手掛けています。
再生医療事業では、iPS細胞から誘導した神経前駆細胞の移植により、損傷した神経を再生させる医療の実用化を目指しています。脊髄損傷や脳梗塞により損傷した神経を回復させ、歩行や会話ができるようにするものです。
国内の慢性期脊髄損傷の患者数は15万人、脳梗塞は130万人にのぼると推定されていますが、この領域の有効な治療法はまだ確立されていません。そこでこれらの病気で苦しむ方々を救うため、再生医療の実用化に向け、研究開発を行っています。
iPS創薬事業でリードしているパイプラインはALS治療薬で、治験フェーズ1/2まで終了しており、国内の製薬会社とフェーズ3を行う予定です。再生医療事業でリードしているパイプラインは亜急性期脊髄損傷です。現在、医師主導臨床研究(フェーズ1/2)段階で、当該試験終了後、ケイファーマで治験を進める予定です。
ーー両事業を同時にスタートした理由を教えてください。
福島弘明:
主な理由はまだ有効な治療法がない疾患に対するニーズ、いわゆる「アンメットメディカルニーズ」に応えたいと思ったからです。神経系の病気の多くは治療が困難で、日常生活の負担が大きい難治性疾患です。
たとえば全身の筋肉がやせていくALSの場合、発症からの平均寿命は3〜5年と言われています。病態が進むと人工呼吸器が必要になり、今も多くの患者様が苦しい闘病生活を続けています。こうした患者様を救うため、進行を抑える、あるいは症状を改善する治療薬をつくりたいという思いがありました。
また、歩行が困難になる脊髄損傷や言語障害や手足のまひが出る脳梗塞を改善する、神経の再生医療の実用化も重要なテーマです。そこでケイファーマの立ち上げメンバーでもある岡野教授と中村教授の研究成果と企業で経験した研究開発力をかけ合わせ、必ず社会実装したいと思ったのです。
さらにビジネスの観点からも、iPS創薬事業と再生医療事業の二刀流で進め、一方の事業展開に時間や費用を要しても、もう一方の事業でカバーできるメリットを追求します。こうした理由から、会社発足時から両事業を同時並行で進めることにしました。
難病の治療薬を開発するため大手製薬会社を退職し経営者へ
ーー福島社長の経歴についてお聞かせください。
福島弘明:
小さい頃から医療やライフサイエンスに興味があり、大学院では生物学を専攻し、免疫分野を学びました。その後製薬会社の研究職として新薬の研究開発を行う探索研究に携わりました。
毎日、深夜まで顕微鏡を覗き込み、研究に没頭したことが何度もあります。約10年間、研究職を経験したのち、研究企画業務に従事します。その後、社長直下の製品戦略部を経て、アメリカ・ボストンにある研究所に4年間、駐在しました。
ーーその後慶應義塾大学に移り起業したきっかけは何だったのですか。
福島弘明:
製薬会社に勤めていた頃から、「人のためになりたい」「社会に貢献したい」という思いが人一倍強くありました。しかし、大手製薬会社では患者数が少ない疾患は創薬研究の対象になりません。社内での神経難病の研究開発は難しい状況でした。
そんな中、慶應義塾大学の岡野栄之教授も、私と同じ思いを持っていることを知ったのです。iPS創薬と再生医療の実用化を目指し、1年以上にわたり事業構想を練り、ケイファーマを立ち上げました。
新しい治療を提供し、医療分野で社会貢献を果たす
ーー経営理念や貴社の強みをお聞かせください。
福島弘明:
経営理念は「医療イノベーションを実現し、医療分野での社会貢献を果たします」です。慶應創業者である福沢諭吉先生や慶應医学部初代医学部長である北里柴三郎先生の教えをもとに、失敗を恐れず、まずは行動し、社会に貢献することを指針にしています。
ケイファーマの強みとしては、世界トップレベルの研究者がそろっているところです。岡野教授は執筆論文数が1,100報を超え、日本再生医療学会理事長や国際幹細胞学会(ISSCR)次期プレジデントを務める再生医療の第一人者の一人です。中村教授は現役の整形外科医で再生医療学会の理事でもあり、岡野教授との20年以上の共同研究でこれまで不可能と言われてきた神経再生という最先端研究に取り組んできました。
さらに、アカデミアや企業での研究経験がある多くの博士研究者が集まっていること、私自身が製薬会社で幅広い経験を積んできたことも強みと考えています。
難病で苦しむ世界中の人々を救うため医療業界の常識を打ち破る
ーー今後の経営方針について教えていただけますか。
福島弘明:
引き続きiPS細胞を活用した治療薬や、神経再生医療の実用化を進めていきます。商品化までには5~10年はかかると思います。非常に大きな市場規模が予想されています。
また、会社として長期的な成長を目指し、第三の事業モダリティーを立ち上げるため、米国ボストン・ケンブリッジ地区にラボを設置する検討を開始しました。世界中から優秀な人材が集まるライフサイエンスの中心地で、新たな事業の種を見つけたいと思っています。
ーー最後にケイファーマが目指す姿について教えてください。
福島弘明:
弊社の第一段階の目標は、これまで治療法がなかった難病に対し、新しい治療法を提供することです。医師や患者様家族は、患者様の症状の進行を遅らせ、命を救うため日々闘っています。私たちはiPS細胞を活用した医薬品や再生医療を提供することで、医療の発展に貢献したいと思っています。
また、国内に限らず海外展開も視野に入れています。病気には国境はなく、世界中に同じ病気で苦しんでいる方々がいるからです。多くの患者様に同じ治療を提供できるよう、各国での承認を得ることと、経済的負担を軽減するため保険適用も実現したいと考えています。
ベンチャー企業ならではの機動力を武器に医療業界に風穴を開け、多くの患者様を救うべくこれからも尽力します。
編集後記
難病で苦しむ患者様を助けたいという思いから、大学教授とともに起業した福島社長。今も闘病を続ける多くの人にとって、まさに希望の光だ。未だ治療方法が確立されていない領域に挑む株式会社ケイファーマは、画期的な医療技術で世界中の人々を救うことだろう。
福島弘明/1988年、広島大学大学院 生物圏科学研究科 博士課程前期修了。同年エーザイ株式会社に入社。つくば研究所での創薬研究、本社での製品戦略などを経て、2006年から4年間、米国Eisai Research Institute of Boston, Inc.に駐在。その後、本社人事部での業務を歴任後、2014年にエーザイを退職し、慶應義塾大学に移籍、2016年に株式会社ケイファーマを設立、代表取締役社長に就任。現在、慶應義塾大学医学部訪問准教授を兼任。1999年3月に広島大学大学院同博士課程後期修了(Ph.D.)、2020年3月に慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了(MBA)。