株式会社熊魚菴たん熊北店は、昭和初期創業の老舗京料理店「たん熊」の流れをくみ、1993年に独立した経営体として設立された。四季折々の旬の食材で伝統的かつ洗練された和食を創作しながらも、経営スタイルは決して旧態依然とはしていない。
時代にマッチした和食店を目指す名店は、東京や大阪、福岡などの主要都市に積極的に出店を手がけ、ビジネスチャンスを追求してきた側面も併せ持つ。総指揮をとるのは、料理人としての厳しい修業を経験して同社を創業した代表取締役社長の宮慎逸氏。外食企業としてロジカルな管理体制を敷きながらも、従業員を大切にする経営が信条という同氏に、詳しく話を聞いた。
「石の上にも三年」の修業を経て新店舗の店長を託され独立へ
ーーいつ頃から料理の道に進むことを考えていましたか?
宮慎逸:
母が小さいスーパーを経営するかたわら、お惣菜を自らつくっていた影響を受け、中学生くらいから料理人を目指そうと考えていました。
石川県金沢市で次男として生まれた私は当然家を出るものと思っていました。そこで「職人になって1番を目指したい」と、調理学校に1年間通って手に職をつけようと決めたのが、この道の入口です。
ーー修業時代にどんなことを経験しましたか?
宮慎逸:
就職した株式会社たん熊北店の同期入社は19人と、大勢いたので競争は厳しかったです。はじめは名前すら覚えてもらえずに洗い物ばかりさせられ、少しでもいい仕事は奪い合いという感じでした。
当時は京都のお茶屋さんなどに自転車で料理を出前すると、行くたびにご祝儀でタバコがもらえました。それを先輩に渡して気に入ってもらうとようやく包丁を握れるのですが、レシピも渡されず見て覚えるしかない。そんな日々です。
休みは半年に1度くらいで、成人式にも行かせてもらえません。皆がきれいな着物で食事する姿をそばで見ていたことを今でも覚えています。それでもいずれは独立したいと夢を描いていましたから、とにかく3年はやってみようと、辛抱して努力を続けていました。
ーー独立開業までの経緯をお聞かせください。
宮慎逸:
粘り強く修業を続けて10年以上経った頃、京都東急ホテルの店舗がオープンすることになりました。その際に求人募集からメニューづくり、ホテルとの交渉のすべてを私1人に任された経緯があります。実はたん熊北店の社長の長女である妻と結婚したのもこの時期で、先代の社長から直々に命を受けて新店の店長に就任しました。
その後は新神戸オリエンタルホテルでも店長を担当したのち、京都市のハーベストホテルに出店する話が持ち上がり、私が代表として立ち上げたのが現在の弊社です。
働く人を思う経営方針で32名の独立経営者を輩出
ーー経営者になった後に経験した大きな困難は?
宮慎逸:
東日本大震災が発生した当時、私は仙台市にあるウェスティンホテルの37階にいました。とてつもない揺れを経験したあと部屋の窓から遠くで燃える家を見ながら、その先のことを大いに憂いました。
東京・六本木の店舗でいくつかの予約がキャンセルとなり、本体も危うくなりかねないと、やむを得ず閉店に追い込まれています。
もちろん新型コロナウイルスでも甚大な被害を受けました。ホテル自体を閉めきってクローズしている間に、どんどん赤字が膨らんでいきましたからね。ですが、お店を閉めても2〜3日に1度は社員を集めて教育実習やテストの機会を設け、1人も退職者を出さずに満額の給料を出していました。
しかし本当に痛かったのはアフターコロナです。同じことが起こるのを恐れて、もっと安定した仕事を求めたのでしょう。コロナ禍が落ち着いて複数の従業員が辞めたことがなによりもつらかったですね。
ーー経営で大事にしていることを教えてください。
宮慎逸:
働く人を幸せにしたいという気持ちが1番にあります。働く人が楽しくないと、お客様にもそれが伝わってしまいます。
従業員がやりがいを持って働けるように、経営者のノウハウと考え方を教え、いつでも独立できるように育ててきました。実際に現在、32名がすでに独立開業して全国各地で活躍しています。それぞれが閉店もせずに営業を続けている姿をみると、間違っていなかったことを実感し心から喜ばしく思います。
拡大路線に走らずに既存店舗の質を高めることに注力
ーー人事管理面ではどのような施策をとっていますか?
宮慎逸:
全社をあげて取り組んでいるのは、年に1回の全店会合です。「同じ方向を向いて1年やっていきましょう」がコンセプトで、会社の方針を発表するとともに、店長がつくった予算案を共有し、皆で原価率や人件費を検証しています。予算を達成した成果やできなかった反省も行っています。
もう1つは店長の下の中堅ミーティングです。3年目から5年目くらいの社員ミーティングを毎月各店で開き、店舗の現状や不満、改善点を提案してもらいます。
さらにその下のチェックミーティングでは、たとえば「お客様のお迎え、お見送り時に笑顔ができているか」といった基本的な項目のチェック作業です。冷蔵庫の温度管理や毎日の清掃などをチェックシートに記入することで管理を行っています。いずれの会合やミーティングも、従業員の自主性を高めて楽しく働いてもらうことを意図したものです。
ーー今後の展望をお聞かせください。
宮慎逸:
新規の店舗展開を積極的に行う考えはあまりありません。昔は売り上げばかり追い求める風潮もありましたが、今はそういう時代ではないと感じています。それよりもそれぞれの店舗の価値を向上させたいと考えています。
東京でも京都でも、そこで働く人が「ここで仕事ができて良かった」と思う店舗づくりをする。働く人が幸せになり、そのうえでお客様から「この店があって良かった」と高評価をいただく。そうして社会的な地位を上げることを望んでいます。
編集後記
宮社長は料理人が同社店舗で大手企業のトップと会話できる特典に触れ、「そんな方々に喜んでもらうために料理に腕をふるうのは、普通の会社員にはないこの仕事ならではの醍醐味」と、若年層へのメッセージとして語った。
若い頃、夏に休みがあれば丑の日にウナギをさばくアルバイトをし、身体で包丁さばきを覚えたという宮社長。料理人として技を磨いて仕事を極めるという道が、究極の働き方の1つであり生きる喜びだと背中で物語っているようだ。
宮慎逸/1954年石川県金沢市生まれ。阿倍野調理学校を卒業後の1973年、株式会社たん熊北店に入社。京都東急ホテルの店長を経て1988年、新神戸オリエンタル店の店長に就任。1993年、株式会社熊魚菴たん熊北店を設立し、代表取締役社長に就任。2000年、東京ドームホテル店を開店。2003年、横浜店をホテルニューグランド本館に開店。2010年、「京のおぞよ一舞庵」をウェスティンホテル仙台に開店し、現在に至る。