電信柱や信号柱、電車線柱、さらには公園の防災無線柱など、私たちが日常的に目にする多種多様な「柱」を手掛けるトップメーカー、ヨシモトポール。同社の製品は日本人の生活に欠かせないインフラを支える上で重要な役割を果たしている。
2024年正月に発生した能登半島地震や、8月に発表された南海トラフ地震臨時情報など、インフラの重要性が改めて認識されている今、その基盤を築き上げるヨシモトポールの代表取締役社長の石原晴久氏に、その思いとビジョンについて話をうかがった。
ルーティンワークから飛び出して切り拓いた新境地
ーー入社の経緯についてお聞かせください。
石原晴久:
私がヨシモトポールに入社したのは昭和53年、第二次オイルショックの真っ只中でした。当時、中東で紛争が起こり、石油が不足したことで世界経済が混乱し、インフレーションが加速。日本の経済成長にも急ブレーキがかかり、暗雲が漂い始めた時代です。
とあるご縁で、ヨシモトポールの入社試験を受けたのですが、受けたその日に、創業者であり当時社長の由井克巳から「うちに来なさい!」と言われ、入社することになったのです。良い意味で他の企業とは雰囲気が異なる会社だと感じたことを今でも覚えています。たまたま父が電力会社に勤めていたので、インフラ設備の重要度はなんとなく理解していました。
ーー社長に就任するまでのどのような経験が特に印象に残っていますか?
石原晴久:
入社して最初に配属されたのは財務部でした。しかし、財務部の仕事はルーティンが多く、正直あまり面白さを感じられませんでした。2年ほど経った頃ある日、直接社長に「部署を変えてください」とお願いしたところ、弊社の最も重要なお客様であった電電公社(現NTT)の担当を任されることになりました。
当時は随意契約が主流で、弊社は電電公社のメインサプライヤーではありませんでしたが、それでも電柱のシェアは3割ほどありました。電電公社は成長期にあり、さまざまな面白い人たちと出会うことができました。特にベテランの方からは、学生時代には経験し得なかった人間関係や、実社会での生きた人間学を学ぶことができ、今でも私の財産になっています。
ーー大阪で勤務していた際のエピソードを教えていただけますか?
石原晴久:
7年間NTTの担当を務めた後、また社長に「NTTの仕事は一区切りついたので、次の部署に行かせてください」と申し出たところ、次の勤務地は大阪になりました。弊社の主戦場は東京だったため、西日本での営業は新規開拓が中心。残業続きで休みもほとんどなく、孤軍奮闘した日々を思い出します。
今振り返ると本当に厳しい環境で、2年目を迎えたころには、さすがに意気軒高とはいきませんでした。それでも、今となってはあの時代の経験は貴重なことであったと感じています。大阪時代に学んだ、勇気を持って正直に、愚直にお客様と向き合い課題解決を目指すというスタイルは、今の経営者としての考え方に繋がっています。困難に遭遇したときは社内外の人々とのご縁に助けられることが幾度もありました。人の大切さ、有難さを身に染みて学びました。
今、次代を担う世代が続々と入社し、それぞれのキャパシティで働いてくれています。人は誰しも弱い部分を持っていて、感じ方もさまざまなので、適切なアドバイスをするのは難しいですが、彼らの気持ちは理解できます。社員が独りで思い悩むことがないような環境づくりを常に考えています。
7年間の大阪時代で、最後にはこの地に骨を埋めようと考えたこともありました。いつの間にか大阪がとても好きになっていたのです。
スチールポールを主力に多岐にわたる製品を展開
ーーあらためて、貴社の事業内容について教えてください。
石原晴久:
創業家である由井家はもともと与志本林業株式会社という材木の会社を経営していました。しかし、高度経済成長期を迎え、木材市場がコンクリート製品に急速に移行し始めました。その情勢に応じる形で、農村地区での需要が伸びていた有線放送用コンクリートポールの製造販売を目的とし、昭和36年にヨシモトポールを設立しました。
全く新しいジャンルであるコンクリート二次製品を次世代の事業にするという挑戦でした。ちなみに、現在は与志本林業とヨシモトポールの資本関係はありません。
コンクリートポールメーカーとしてスタートした弊社ですが、今日の主力製品はスチールポールとなります。この変遷は時代のニーズに応じた結果とも言えます。電力分野では配電柱や引込柱、道路分野では信号柱、標識柱、照明柱、通信分野では防災無線柱やアンテナ柱など、多岐にわたる製品を展開しています。
現在は電車線柱や鉄道信号機柱など、鉄道分野のシェア拡大に特に注力しています。また、建築関連資材の研究開発を進めています。その他、DX化や脱炭素対策など、次世代の為の新たな経営基盤を確立するべく多様なテーマに取り組んでいます。
日本のインフラを担い、社会に貢献する会社を目指す
ーー今後の展望について、どのようなビジョンをお持ちでしょうか?
石原晴久:
弊社は公共インフラ事業を通して、需要家のニーズに応えることで、社会に貢献する企業を目指しています。このスタンスは創業以来変わらず、今後も変わることはありません。
また、この姿勢は、グループ企業であるヨシモトアグリ株式会社で展開する畜産プラント事業にも共通しております。
ヨシモトアグリでは、欧米をはじめとする海外から優れた機材やシステムを導入・アレンジして、最先端の養豚・養鶏プラントの設計・施工を行っています。この事業を通じて、日本の畜産業の発展に寄与し、ひいては食の安全と安心に貢献することを目指しています。
編集後記
石原社長は終始真摯な姿勢で、ものづくりに対する強い情熱と確固たる信念を語ってくれた。その背後には経営理念である「災害に強いくにづくりに良い品を」という揺るぎない使命感がある。インフラ事業における技術革新や未来への展望も、確かな計画に基づいており、社会全体に対する深い責任感が感じられた。
こうしたしなやかさと強さを併せ持つ姿勢が、今後もヨシモトポールを日本のインフラづくりの最前線へと導いていくことだろう。石原社長のリーダーシップのもと、企業のさらなる発展と、日本の社会基盤のさらなる強化が期待される。
石原晴久/1954年岡山県高梁市生まれ。1973年岡山朝日高等学校卒業。1978年中央大学卒業。同年、ヨシモトポール株式会社に入社。2015年に代表取締役社長に就任。