※本ページ内の情報は2025年1月時点のものです。

株式会社アンティー・ファクトリーは、「デザインで社会を創造する」をビジョンに掲げ、ブランディングやプロモーションなどの戦略立案から各種コンテンツ制作、マーケティングリサーチ、ビジネスモデルの立案まで幅広く手がけている会社だ。

同社の代表取締役である中川正樹氏は、学生時代をアメリカで過ごし、広告デザインなどを学んだ経歴を持つ。アメリカの有名出版社のデザイナー職に内定するも、日本を活動拠点として選んだ中川社長の事業にかける情熱や、今後の展望について話をうかがった。

ポップアートカルチャーに魅了され、アートや広告をアメリカで学び日本で起業

ーーアートや広告に興味を持ったきっかけを教えてください。

中川直樹:
親が教員だったこともあり、会社経営とは全く無縁の環境で育ちました。親戚が集まるたびに「先生になれ」と言われていましたが、その反動で学校の先生になることには抵抗を感じていました。

高校時代はバンド活動と洋服を買うためにアルバイトに明け暮れる日々で、勉強が疎かになった結果二浪しました。そんな私に影響を与えたのが、アメリカのポップアートカルチャーです。故キース・ヘリング氏や故アンディ・ウォーホル氏の作品は、キャッチーでシンプルでありながらも、鮮やかな色使いが印象的で、強く魅了されました。

ーーニューヨークで学ぶきっかけは何でしたか?

中川直樹:
2つあります。1つ目はアルバイト先の先輩です。ニューヨーク大学(NYU)に進学したアルバイト先の先輩が帰国し、話をする機会がありました。当時の私はデザインや絵を商用化することに興味があったため、「絵や音楽が好きなら、ニューヨークに来ればいいじゃん」という先輩の一言に背中を押されて留学を決意したのです。ただ、最初に入学したのはオハイオ州の大学でした。

2つ目は親のすすめです。私が就職する頃は、ちょうどバブルが崩壊したタイミングでした。帰国しても就職先がないということで、親に「専門的なことを学ぶべきだ」とアドバイスされ、ニューヨークの大学に編入して広告を学びました。

有名出版社のデザイナーの内定を現地でもらっていましたが、アメリカでキャリアを積むには国際企業の広告や雑誌のエディトリアルデザインに携わりたいという思いがありました。そうした中、たまたま日本に帰国した際に、東京のデザイン会社とご縁があり就職したのです。

ーーアメリカから日本に帰国してまもないタイミングで起業した経緯をお聞かせください。

中川直樹:
当時の私は、仕事は仕事、プライベートはプライベートというアメリカナイズな考えをしていました。会社の人と付き合うことに抵抗を感じていたので、当然、社長をはじめとする上司ともうまくいかず、すぐに退職し、自分で事業を立ち上げました。それが弊社の前身となるアンティー・デザインです。

デザインは主張するものではなくユーザーの行動を助けるもの

ーー事業を継続させるために取り組んだことを詳しく教えてください。

中川直樹:
創業当初はアメリカに戻ることを考えていましたが、事業を展開していくうちに日本でやりたいことが増えていきました。2000年前後には、国内の大手化粧品メーカーのWebページや、大手電機会社のアートディレクションをしてみたいという思いを抱いていました。

また、創業してから4、5年経った頃から大手広告代理店と仕事をする機会も増えてきました。広告代理店を通さず企業全体のWebページを構築できるような仕事をするにはどうしたら良いかを必死に考えていましたね。

そのためには、デザイナーにエンジニア、マーケターなどさまざまな分野のスペシャリストが必要だったので、会社の従業員数を増やすという結論に至りました。将来はWeb戦略が当たり前になると予測していたので、主にWebを使った事業に注力するようになったのです。

ーー戦略立案やコンサルティングにも事業を広げた理由は何ですか?

中川直樹:
かつてはかっこいいWebサイトを制作することが評価の全てでしたが、時代の流れとともに、かっこいいWebサイトを制作しても高い評価をされなくなりました。このような背景もあり、2001年にワンストップでWeb制作ができる会社として現在の株式会社アンティ・ファクトリーを設立したのです。2004年にはシステム会社を設立し、アンティー・デザインも加えた3社体制が確立しました。

私が経営哲学として掲げ続けてきたのが、「Great design is Invisible」という言葉です。本来、デザインというのは、目立ってはいけないものであり、人々の行動をサポートする人為的なものにすぎません。ストレスなく人を誘導したり、人の気持ちの深層心理にとどかせて行動変容を促すことが重要なので、弊社はその考えを大切に事業を展開し続けてきました。

ーーデザインはあくまでも人のアクションを促すためにあるものだということでしょうか。

中川直樹:
そうです。水道の蛇口を例として挙げると、「デザインがかっこいい!」と思って使っている方はほとんどいないですよね。普段、私たちはデザインのことをとくに考えずに蛇口を回して水を出してしています。つまり、デザインは水を飲むという行為を手助けする蛇口にすぎません。この考えが、今のWebサービスの考え方にも通じています。

事業を通じて社会を創造することで貢献したい

ーー経営において大切にしてきたことを教えてください。

中川直樹:
人生は楽しむためにあります。だからこそ、仕事もやりがいがあること、そして一生懸命やった結果、苦しかったことも含めて「楽しい」と感じられるものであるべきです。会社は物理的に存在するものではなく、働く人たちが何らかの価値を世間に提供している存在にすぎません。だからこそ、働く人たちとその会社が提供しているものを享受する人たちとの関係性が非常に重要だと思っています。

それを踏まえて、弊社が目指すものは何かと考えると、パーパス経営という考え方であり、デザインで社会を創造する集団であるべきだという答えに至りました。

ーー今後の展望や経営ビジョンをお聞かせください。

中川直樹:
Web業界というものが生まれて30年ほどが経ち、Webを生業にしてきた人間の中で、私は最年長のグループにいます。これから大切なことは、事業やお金を残すことではなく、人を育てることでしょう。

弊社には幹部社員が20数人いますが、彼ら彼女らにいつも言っているのは「人は会社を辞めていくものだけれど、落ち込んではいけない。きちんとしたことをやって、それなりのことができるようになって会社を去るということであれば、喜んで送り出してほしい」ということです。この会社で育てた人が、巣立って大活躍してくれれば、世の中のためになるのだと信じています。

まだ構想段階ではありますが、この先10年を目処に自社事業として教育、リクルート分野で世の中に役立つサービスを開発していきたいと考えています。例えば、現在の転職サービスは、手数料が年収の30%を取るというサービスがほとんどですが、企業側に金銭的な負担を一方的に課すでなく、社会人としての専門職教育代行含め法人、個人を応援するなど、自社が手がけるWeb制作のノウハウを大いに活用し、形にしていきたいですね。

編集後記

事業に対して、そして従業員に対して情熱を持って向き合ってきた中川社長のビジョンはまさに刺激的な知見に満ちていた。ユニークな経歴を持ち、Web黎明期から業界に身を置き続けてきた中川社長が、次に打ち出す事業や経営には目が離せない。

中川直樹/1969年静岡県浜松市生まれ。ニューヨーク州立大学(F.I.T)広告デザイン学科卒業。1996年に帰国の翌年、有限会社アンティー・デザインを設立。2001年Web戦略・制作を行う株式会社アンティー・ファクトリー設立。2004年システム開発を行う株式会社アンティー・システム設立。2009年社団法人JWSDA(現JWA)会長就任(〜2014年)。専門学校・大学講師、雑誌連載、寄稿、講演多数。