
世界中で日本食への関心が高まる中、食肉業界は大きな転換期を迎えている。グローバル化による競争激化、食の安全性への意識の高まり、そして後継者不足など、課題は山積みだ。そんな中、和歌山の地で半世紀以上にわたり培われてきた食肉文化を守りながら、新たな挑戦を続ける企業がある。
株式会社Meat Factoryは、伝統的な和牛の取り扱いからジビエまで、地域に根差した食肉ビジネスの可能性を追求している。父から受け継いだ精肉卸売業を再建し、「和歌山から世界へ」を掲げ、ECサイトの展開や海外輸出にも積極的に取り組む予定の同社の北川美智也代表取締役に、これまでの歩みと未来への展望を聞いた。
アメリカ留学から一転、家業立て直しへ
ーーアメリカ留学の理由を教えてください。
北川美智也:
実は、ちょっとした確認不足がきっかけです。私は和歌山県の出身で、中学生時代からギターが好きで、将来は東京に出てミュージシャンになりたいと思っていました。そのためにも、まずは東京に行きたくて、東京の大学を学部も気にせず片端から受験し、母から帝京大学の合格通知が来ていると聞いたときには安堵したものです。
ところが、それは帝京大学のグループ校でアメリカにある「帝京ロレットハイツ大学」の合格通知だったのです。驚きましたが、アメリカのハードロックに興味があったため、せっかくだからと留学しました。
しかしその後、父が経営する精肉卸会社が倒産の危機に瀕したため、中途退学して家業を手伝うことになったのです。
ーー貴社設立に至るまでの経緯を教えてください。
北川美智也:
父の会社で営業や仕入れに携わったのですが、約3年で倒産が決まりました。その際、取引先の社長が、「もしあなたがこの業界で頑張る覚悟があるなら支援する」と言ってくださったのです。再びミュージシャンを目指すつもりでしたが、両親や未成年の弟のことを考え、家族を支えるためにこの道を選ぶことにしました。こうして設立したのが、弊社の前身となる株式会社マルマサミートです。
株式会社マルマサミートは、食肉の卸売りを行う会社でしたが、2016年、ハムやソーセージ、スライス肉などの加工肉製品の製造販売を手掛ける子会社、有限会社蒼生舎ミートと、弟が立ち上げた焼肉のタレや餃子の皮をつくる会社、株式会社イワソウフーズが、株式会社マルマサミートと合併することになりました。こうして、3社の事業をすべて行う、現在の株式会社Meat Factoryが誕生したのです。
毎月返済額450万円からの起死回生

ーーミュージシャンの夢を諦めたことについて、どのように考えていますか?
北川美智也:
当時はとても悩んで決めたことでした。実際に会社を立ち上げてみると、創業資金や父の会社の借金で毎月の返済額が450万円にものぼり、目の前のことに精一杯で、過去の夢を考える余裕はありませんでしたね。父の会社の取引先を訪ね、名刺を渡すと、温かい励ましの言葉をいただくこともありましたが、名刺を破られたこともあります。20代という年齢もハードルになりましたし、父の会社から引き継いだスタッフも半減していました。
しかも、設立した2000年に狂牛病問題が発生し、最初の3年は本当に苦労の連続でした。大変な思いをしましたが、今振り返れば、音楽で生きていくのは難しいことも分かりますし、この道を選んだのは良い決断だったと思います。
ーー苦しい時期を乗り越えられた要因は何だと思いますか?
北川美智也:
狂牛病問題では、最初かなりの打撃を受けましたが、国の買い上げ制度によって、本来価格の約半額の補償を得ることができました。それを元手に、消費が落ち込んで10分の1まで下がった価格で仕入れを行った結果、利益率が上がり、何とか乗り切ることができたのです。
狂牛病問題も含めたさまざまな苦難を乗り超えることができたのは、最後まで支えてくれたスタッフのおかげです。また、焼肉店や精肉店など、肉を扱う取引先が多かったので、肉の需要を高める意識を共有できたことも幸いしました。さらに、私自身が営業し、新規顧客を開拓して信用を積み重ね、利益を確保できるようになったことも要因の1つであると思います。
提携牧場から多彩な販売チャネルまで
ーー貴社の事業内容と、貴社の強みをお聞かせください。
北川美智也:
食肉の卸売りを主軸に、無添加の加工肉製品の製造販売も行っています。地域への感謝を示し、貢献するため、地元の特産肉の販売に注力することをコンセプトに据えました。和歌山県内に提携牧場を持ち、買い付けた熊野牛や紀州和華牛の子牛を出荷できる年齢まで育ててもらっています。
また、和歌山ジビエの加工品製造も始めました。製品や育てられた子牛の販売先として、卸売りだけでなく、自社で経営する小売店や焼肉店、ECサイトと、多様な販売チャネルを展開している点も弊社の強みです。
ーーお客様との印象的なエピソードはありますか?
北川美智也:
会社設立当初、関西では流通していない特別な牛を求めて東京市場を訪れた際、競りで争った新潟の卸業者の方から声をかけられたことがありました。話をしている中で珍しいものはないかという話になり、大阪市場で特殊な豚を購入して送ってほしいと依頼されたのです。
当時その豚は、関西市場でも珍しいものでしたが、私が頼み込んで集めてもらい、今では大阪市場の目玉商品の1つになっています。それから今も、その新潟の卸業者さんとは良好なお付き合いが続いています。
食肉を和歌山から全国へ、世界へ

ーー今後、どのように顧客を開拓していきますか?
北川美智也:
ECの強化と輸出を進める方針です。インターネット通販の利点である、商圏を全国に拡大できる点と、注文を受けてからパックをつくるので無駄が出ない点を活かして強化したいと考えています。また、世界に向けて、品質もブランド力も高い和牛を輸出したいです。日本食人気の高まりもあり、ジャパニーズ・レストランなどの販路が見込めます。
小売や焼肉店はブランドのアンテナショップとして位置付けていますが、やはりメインは卸売りです。卸売業のお客様の邪魔にならないよう、小売や焼肉店はあくまでも消費の裾野を広げるための展開として続けていきます。
ーー今後、注力したいテーマは何ですか?
北川美智也:
後継者や幹部人材の育成です。肉は個体ごとに品質や味が異なるため、仕入れの目利きや加工には熟練の技術が求められます。技術を継承するには、上に立つ人材が高い技術を持っていなければなりませんが、現状でその水準に達しているのは数人に限られます。今後、能力を持つプロを育成し、技術を継承するための具体策を模索していきたいです。
ーー5年後、10年後のビジョンを教えてください。
北川美智也:
和歌山県の地場の食肉を広めたいという思いは、今後も変わりません。5年後、10年後も、ECや輸出を通じてより多くの方に知っていただきたいと考えています。
編集後記
合格したのがアメリカの学校だったから行くことにした。そんな驚きのエピソードとは裏腹に、その後の北川美智也代表取締役の会社経営は、地道な努力の積み重ねであることが際立つ。和歌山県という地域の特色を活かし、独自の戦略で成長を続ける株式会社Meat Factory。
今後も着実に歩みを進め、全国へ、世界へと夢を叶えていくに違いない。5年後、10年後には、同社が世界に誇るブランドの一つとして成長した姿を見るのが楽しみだ。

北川美智也/1974年生まれ、1993年近畿大学附属和歌山高等学校卒業。1994年、アメリカ合衆国コロラド州にて語学留学、2年半後、父が経営していた協業組合阪和ミートセンターに入社。2000年に父の会社が倒産し、株式会社マルマサミートを設立し代表取締役に就任。2016年、株式会社Meat Factoryを設立。