
持続可能な「植林材」を主軸に、木材専門商社として独自の地位を築く丸紅木材株式会社。同社は8期連続の赤字という倒産寸前の危機から、代表取締役である清水文孝氏のリーダーシップのもと、劇的なV字回復を遂げた。旧来のビジネスモデルを抜本から見直し、「正しい商売」という哲学を掲げて事業転換を断行。現在は、植林材の加工販売事業と、国産ヒノキを活用した木製おもちゃブランド「IKONIH(アイコニー)」の二本柱で成長を続ける。幾多の困難を乗り越え、会社を再生させた清水氏の経営手腕と、その根底にある揺るぎない信念に迫る。
危機からの船出 事業承継とV字回復の軌跡
ーー貴社へ入社された経緯を教えてください。
清水文孝:
弊社は母方の祖父が創業した会社です。しかし、父は別の仕事で家業に関わっていなかったため、私自身に「家業を継ぐ」という意識は全くありませんでした。そのため、中学校を卒業してからは、知人の紹介で建設会社に約1年半勤めていました。
そうした中、創業者の一人娘である母から「帰ってきてほしい」と頼まれたのが、弊社へ入社したきっかけです。最初は熊本の八代支店で倉庫管理や物流を5年間担当し、その後、福岡で5年間営業としてキャリアを積みました。
ーー社長にご就任された経緯について、おうかがいできますか。
清水文孝:
私が社長に就任する直前、会社は8期連続で赤字を計上していました。銀行からの資金調達も困難な、まさに倒産寸前の状態だったのです。そんな中で前任の社長が退任し、創業家であるという理由で、私に白羽の矢が立ちました。
当時の主力事業は、東南アジアからの天然林の輸入販売でした。しかし、その事業は衰退傾向にあり、このままでは会社が立ち行かなくなるのは目に見えていました。
ーー社長就任当初、会社はどのような状況だったのでしょうか。
清水文孝:
就任当初は売上が大幅に減少し、会社の将来を不安視した社員が会社を去るなど、非常に厳しい状況でした。そこでまずは、差し迫った課題であった資金繰りを改善するため、在庫の現金化を最優先で進めました。また、お取引先様にも事情を説明し、支払い条件の調整などで多大なご協力をいただいたのです。皆様に支えられながら苦境を乗り越え、5年ほどかけて事業を立て直すことができました。
「正しい商売」への転換 持続可能な植林材ビジネス
ーー事業を立て直す上で、特に大きな転換点となったのはどのようなことでしたか。
清水文孝:
最大の転換点は、主力事業を天然林から持続可能性の高い「植林材(プランテーション材)」へと完全に切り替えたことです。天然林の伐採は環境への負荷が大きく、私の中では「正しい商売」ではないという思いが常にありました。それに加え、ビジネスとしても供給量が減り、先細りになることは明らかでした。そこで、植えてから数年で伐採できる植林材への移行を決断したのです。
移行を決断した後、商社などを介さない方が効率的だと考えました。そこで私自身が2年間、中国と日本を行き来し、新たな供給網の構築に奔走したのです。しかし、植林材は若いため、反りや曲がりといった「癖」が出やすいという課題がありました。
そこで弊社では、その癖を乗り越えるための加工技術の開発に徹底的に注力しました。癖のある木材を、反らない、曲がらない高品質な建材に生まれ変わらせる。この技術こそが、弊社の強みです。
大手に勝つための戦略と新事業「IKONIH」

ーー貴社ならではの強みや特徴について、お聞かせいただけますか。
清水文孝:
弊社の競合は、大手の総合商社を母体とする巨大な企業です。資金力や規模で劣る弊社が生き残るには、戦う領域を絞り込むしかありません。そこで、特定のニッチな商品に経営資源を集中させ、専門性を徹底的に高める戦略をとっています。
大手が見過ごすような小さな商売でも、弊社にとっては重要です。社員全員でそうした案件を積み重ねることで、年間数千万円の売上となり、会社全体の屋台骨を支えています。大企業には真似のできない迅速な意思決定も、少数精鋭ならではの強みです。
ーー貴社の主要事業である「IKONIH(アイコニー)」は、どのような経緯で始められたのでしょうか。
清水文孝:
「IKONIH」は、日本の森林で使われずに燃やされてしまう短い木材を有効活用したいという思いから始まりました。山に利益を還元する仕組みをつくることも目的の一つです。これも「正しい商売」の一環と捉えています。
また、この事業は企画から販売まで営業事務の女性スタッフたちが担当しています。これにより、従来はコスト部門と見なされがちだった営業事務のメンバーが、自ら収益を生み出す主役となりました。
ーーブランド名にはどのような思いが込められているのですか。
清水文孝:
「IKONIH」というブランド名は、逆から読むと「HINOKI(ヒノキ)」になります。ヒノキは今や世界で日本にしかない貴重な木材です。しかし、国内の山では活用しきれずに余っている現状があります。その素晴らしい価値を、科学的な根拠と共に世界へ伝えたい。そうした思いをブランド名に込めました。
品質の確立を最優先し、これまでは実店舗での販売を中心としてきました。今後はブランディングを強化し、ECサイトなどを通じてより多くのお客様に直接製品を届けていきたいと考えています。
未来を拓く挑戦 後継者育成とグローバルな視点
ーー今後の展望についておうかがいできますか。
清水文孝:
現在は、植林材事業とIKONIH事業という二本柱で成長を続けています。今後はさらにグローバルな展開を加速させていく方針です。「IKONIH」の海外展開も少しずつ始まっており、まずはオーストラリア向けの取引が決定しました。将来的にはアメリカやヨーロッパ市場への展開も目指します。
また、ベトナムに設立した自社工場を拠点に、グローバルな製造・販売体制を整備しているところです。会社としては、AIやシステムも積極的に活用します。業務を効率化し、より生産性を高めていきたいと考えています。
ーー今後、どのような思いを持った方に仲間として関わってほしいとお考えでしょうか。
清水文孝:
最も大切なのは、私たちが目指す事業の意義や価値観を共有できる人材を育てることです。将来的には、性別にかかわらず、最も能力のある人物に会社を託したいと考えています。
私たちは「正しいことをやって成功し、利益を出し、社員に還元する」という哲学のもと、事業を推進していきます。この植林材事業とIKONIH事業という二頭立てで、これからも進み続けます。社員全員が誇りを持ち、物心両面で豊かになれる会社であり続けること。それが私の変わらぬ目標です。
編集後記
8期連続赤字という絶望的な状況から、会社を見事に再生させた清水氏。その原動力は、逆境を乗り越える胆力や先見性もさることながら、「正しい商売をしたい」という、商売人としての純粋で力強い信念にあった。利益を追求しながらも、その根底には社会や社員への貢献という揺るぎない軸がある。持続可能な植林材と、日本の森に新たな価値を与える「IKONIH」。この両輪で未来へと力強く進む同社の挑戦は、多くの企業にとって、これからの時代を生き抜く上での確かな道標となるだろう。

清水文孝/1979年大阪生まれ。中学校を卒業後に建設会社勤務を経て、1996年に丸紅木材株式会社に入社。熊本県八代市にて物流管理を5年、福岡市にて営業・仕入に携わり、2006年より同社代表取締役に就任。