※本ページ内の情報は2025年1月時点のものです。

三和梱包運輸株式会社は、お客様の製品製造から梱包、運送までを一貫してサポートする物流のプロフェッショナル集団だ。同社は創業以来55年以上にわたり、シャッター製品の安全な輸送と製造を支え続けてきた実績を持つ。

現在は製造部門を独立させた株式会社ウエルドをはじめ、複数のグループ会社を抱え、多角的に事業を展開している。2代目である父から経営を引き継ぎ、新たな挑戦を続ける専務取締役の竹村公作氏に話をうかがった。

数々の困難を乗り越えて芽生えた経営者としての自覚

ーーこれまでのご経歴をお聞かせください。

竹村公作:
三和梱包運輸は私の実家の家業であり、幼少期から日常的に仕事の話を聞いていたことから、私もいずれは継ぐのだろうという思いがありました。

大学卒業後に海外留学を経て、弊社に入社しました。後を継ぐにしても、まずは他社である程度経験を積んでからと考えていましたが、日本に帰ってきたときにはすでに26歳でした。弊社はグループ会社も多く、各社を経験するのに時間がかかるだろうということで、他社には行かず最初から弊社に入社したのです。

まずは製造の現場を3年経験してから、メインの会社である三和梱包運輸に入りました。係長を3年、常務取締役を2年務め、今は専務取締役です。

ーーターニングポイントとなった出来事を教えてください。

竹村公作:
父が亡くなったことですね。私がまだ常務取締役だったときです。何が変わったかというと、社員との関係性や接し方が変わりました。現場にいると、社員から会社に対する不満などを聞くことがあるのですが、まだ私が経営層にいなかったときは、それらの意見に共感し、「社員寄り」の立場で返事をしていたのです。

しかし、父が亡くなったことで「自分がしっかりしないといけない」という意識が芽生え、不満をそのまま受け止めるだけではなく、会社側から伝えないといけないことをきちんと伝えるようになりました。しっかりと社員に向き合い、話し合えば社員の方もわかってくれます。その時期に、お互いに納得できる着地点が見つかったと思います。

ーーこれまでで一番苦労したエピソードを教えてください。

竹村公作:
群馬県にある製造部署を立て直したときです。その部署は大幅な赤字を抱えており、社員のモチベーションが低い状態でした。私はそのとき常務でしたが、群馬に行って現場で一緒に働き、週末だけ岐阜に帰る日々を送っていました。父は病気でいつ亡くなるかわからないような状態で、私の子どももまだ1歳になっていなかった時期です。そんな中、毎日必死に働いていました。

そうして目の前の課題に一生懸命取り組むうちに、お客様の工場長・課長など、周囲の人々までもが助けてくれるようになり、だんだんと現場が活性化してきたのです。すると、人間関係まで良くなっていきました。その結果、約2ヶ月で部署の体制が整い、今では利益も出せるようになっています。大変でしたが、とてもいい経験になりましたね。

3代にわたり築き上げた梱包・運送・製造の事業基盤

ーー貴社の事業内容について教えてください。

竹村公作:
お客様の製品の製造・梱包仕分け・運送などを手掛けています。弊社の創業者である祖父は昔、大阪の木材店で働いていました。大阪を拠点としたお客様が岐阜に新たな工場をつくるときに祖父が手を挙げてついていき、シャッターの梱包・配送を任されることになったのが弊社のはじまりです。

そのまま規模が大きくなっていくにつれて梱包・運送だけでなく製造もすることになり、製造部署が発足しました。製造の技術もだんだん確立されてきて、今は株式会社ウエルド・AZ工業株式会社というグループ会社になっています。

社員とともに切り開く事業発展への道筋

ーー福利厚生について具体的な取り組みを教えてください。

竹村公作:
社員なら誰でも利用できる、トレーニングルームや休憩所があります。受付を置かず、24時間使えるようにしてあるため、気兼ねなく利用できるのが特徴ですね。弊社は栃木や九州からドライバーが来るので、そこでシャワーを浴びて仮眠をとったり、時間があればトレーニングをしたりして、リフレッシュしてもらっています。

これが本社の横にあったら少し利用しにくいかもしれませんが、離れた場所にあるので、気軽に利用しやすいようです。社員にはちゃんと休んでほしいですし、病気になってほしくないので健康管理に役立ててもらえたらいいなと思っています。

ーー今後どのような会社にしていきたいですか?

竹村公作:
お客様は海外展開しているので、それについていけるような会社になりたいと思っています。そのためには、人材も確保していかないといけません。人数を増やすというよりは、人材の教育を通じてスキルを充実させて、生産性を上げるという方向性ですね。

弊社には機械をつくれる人材がいるので、作業を効率化するための設備機械をお客様に販売できるようにしたいと思い、少しずつ始めています。本業とは別の路線で新たな仕事につながっているので、より大きな事業へと育てていきたいと思っています。

編集後記

父親の死をきっかけに経営者としての覚悟を決め、現場の声に耳を傾けながらも、会社としての方針をしっかりと示していく。群馬の製造部署立て直しの経験は、社員とともに歩む経営者としての原点となったに違いない。社員を思う真摯な姿勢は、24時間利用可能なジムや休憩所の設置にも現れている。お客様の海外展開を見据えた次なる挑戦にも、その姿勢は確実に生きていくはずだ。

竹村公作/1980年、岐阜県生まれ、帝京大学卒業。2年の海外留学後に三和梱包運輸株式会社に入社。係長、常務取締役を歴任し、現在は専務取締役を務める。