※本ページ内の情報は2025年1月時点のものです。

Tシャツやバッグ衣類全般のシルクスクリーンプリントを主軸とする株式会社坂口捺染は、地域に根差した仕事づくりと働く場の創出にも意欲的に取り組んでいる。コロナ禍において売上90%減という危機に直面しながらも、従業員だけではなく内職を依頼するなどで地域の雇用を支え、その後は駄菓子屋や複合施設の運営にも進出。2024年には従業員200名を抱える企業へと成長を遂げた。十数名の職人とともに同社でのスタートを切り、現在は「人」を最大の強みとして、働く人の魅力を最大限に活かした経営を実践する、代表取締役の坂口輝光氏にお話をうかがった。

売上90%ダウンから一転して成長期に

ーー社長に就任するまでにどのような出来事がありましたか?

坂口輝光:
私の父が弊社の2代目社長だったため、私も高校2年生の頃から漠然と「いつか家業を継ごう」という気持ちでいました。しかし、その頃は「会社を継いで具体的に何をしたいか」ということが見えていなかったのです。そのため、高校卒業後はやりたいことを見つけるためにアメリカの大学に留学し、卒業後に帰国して弊社に入社しました。

入社後の3年間は、14人の職人とともに、一社員として現場で働いていました。当時は、お客さまから注文が入ると3ヵ月ほどは残業ありきでフル稼働し、その後の9ヵ月はまったく仕事がないという極端な状況だったのです。「これではいずれ会社が立ち行かなくなる」と思い、25歳からの2年間は事務仕事をしながら生産管理に携わり、仕事の分業化によって時間外労働の削減に努めました。

業務の効率化に成功した後は専務に就任し、外回りの営業として東京や大阪へ出張し、新規顧客を獲得するために、種を蒔いていきました。そのかいもあって私が30歳になる頃には、アーティストのライブTシャツの製作や学校関係、お土産物屋さんなどからご依頼をいただけるようになり、通年を通して仕事がとれるようになったのです。その後は32歳で社長に就任し、第2工場を建設するまでに会社を成長させることができました。

ーーコロナショックの時期をどのように乗り切ったのですか?

坂口輝光:
緊急事態宣言が発令されたのは、ちょうど弊社が第3工場を建てたばかりのタイミングだったため、売上が90%も落ちてしまいました。当時は、アパレルやイベント関係、お土産物屋さんなどからの仕事がメインだったので、それらが規制され、大打撃を受けてしまったのです。

会社を存続させるためにはどうしたらいいのかを考え、立ち上げたばかりの第3工場に人を集めて内職を始めました。緊急事態宣言によって仕事を失った人は、世間に大勢います。弊社では、そういった人たちのためにも内職を提案することにしたのです。その取り組みは始めてから2〜3ヵ月で軌道に乗り、半年経過する頃にはコロナショック前の売上を超えるほどの規模になっていました。

この出来事をきっかけに「自社の従業員は守れているが、自身の行動によってより多くの人を助けられるのでは」ということに気が付いたのです。そんな思いから、自社ブランド「TWR」を立ち上げ、子どもたちの居場所になる駄菓子屋を、そして親御さんの働き口になる複合施設をつくりました。15億円の投資を行って、第4工場、第5工場、新本社などを開設したのもこの時期です。従業員数も大幅に増えて、2024年の時点で200名になり、結果的に会社を大きく成長させることができました。

「人」こそが会社の魅力であり自社の強み

ーー貴社の強みや魅力はどのようなところにありますか?

坂口輝光:
弊社は、Tシャツやバッグのシルクスクリーンプリントを事業の柱としています。一般的には事業の強みとして、商品やサービスの魅力などを挙げることが多いのかもしれませんが、弊社の場合は「人」が最大の強みだと考えています。今の時代は情報化社会であるため、同じような商品をつくることは簡単ですが、そのような中でも「この会社と取引したい」と思われる魅力をつくっているのは、働く人の力だと思うのです。

前述の駄菓子屋や、弊社のオリジナルブランド「TWR」は、「どうしたら子どもがもっといきいきするのか」「どうすれば企業が雇用を創出できるのか」というところを考えて立ち上げたものです。私は常に相手や自分の周囲の人のことを考えて、本気で仕事にとり組んでいます。本気で相手のことを思う気持ちが伝わって、仕事の成果に結びつく。この姿勢が弊社の魅力であり、他社に負けない強みだと思っています。

ーー社員を雇用するうえでの考え方についてお聞かせください。

坂口輝光:
弊社では社員が自分の働き方を自由に決めることができます。個々の社員の立場や環境、性格によって、正社員が向いているのか、アルバイトが向いているのか、短時間雇用がいいのかは違っています。どの働き方がいいのかを決めるのは、企業側ではなく働く側です。「俺が一生面倒見るからついてこい」という気概をもって、従業員が長く働けるように、これからも会社を引っ張っていきたいですね。

新規事業開拓で広がる雇用の輪

ーー最後に、今後の展望を教えてください。

坂口輝光:
現在の弊社の事業は、プリント業と販売サービス、カフェ・飲食業です。今の仕事だけでは、創出できる雇用は限られていると考えています。将来的には、農業や宿泊施設の運営など、新たな事業を開拓していく必要があるでしょう。具体的にどのような分野に進出するかは未定ですが、あらゆる可能性を考えて、さらに事業を拡大し、雇用の輪を広げてゆくつもりです。

「働く」ということは、社会とのつながりを持つことです。世の中には社会とのつながりを失って、独りになってしまう人もいます。そのような人たちが、再び社会とのつながりを持てるような企業をつくることが、私の課題だと考えています。

編集後記

コロナ禍という未曾有の危機に直面しながら、それを社会貢献の転換点とした坂口社長の決断力に深い感銘を受けた。特に印象的だったのは、自社の従業員を守るだけでなく、地域の雇用創出まで視野に入れた経営判断だ。苦境にあっても「人」を第一に考え、「人」のために行動する。その情熱と決断力こそが、企業を成長させ、社会に価値を生み出す原動力なのだと実感した。

坂口輝光/1982年、岐阜県生まれ。高校卒業後、単身渡米し現地の大学を卒業。2004年、家業である株式会社坂口捺染に入社し、現場作業や生産管理を経験。営業として新規顧客開拓に尽力し、2014年に32歳で代表取締役に就任。コロナ禍を契機に事業を多角化し、駄菓子屋や複合施設の運営にも着手。従業員が楽しく成長できる会社づくりをモットーに、雇用創出と地域活性化に力を入れ、従業員200名を擁する企業へと成長させた。Tシャツプリントでは全国トップクラスのシェアを誇る。