
1947年に創業した井辻食産株式会社は、スーパーマーケットなどに並ぶ「餃子の皮」において「西日本No.1」のシェアを誇る食品メーカーだ。1967年からは、外食産業にも進出し、中華料理やイタリア料理のチェーン店を展開。2011年には、さらに新店舗として「餃子家 龍」を開店している。代表取締役CEOの井辻龍介氏に、同社の歴史や強み、社会貢献事業、今後の展望についてうかがった。
冷凍餃子の販売と外食事業を成長させた30代の若き社長
ーーまずは、経歴についてお聞かせいただけますか。
井辻龍介:
経営者として常に多忙な父を見て育ったことから、家業は私にとって魅力的なものではありませんでした。「井辻食産を継ごう」と考え始めたのは、周囲で就職活動が本格化し始めた大学4年生の頃です。父に相談したところ、まずは英語を学ぶことを勧められ、大学卒業後はアメリカに1年間留学しました。
さらに帰国後、父が尊敬する方の会社を紹介され、九州の外食チェーン企業にて3年ほど修業しました。2003年に家業に入り、すべての部署と飲食店舗を巡回した後、2年目以降は新店舗の立ち上げに携わりました。外食事業の統括マネージャーや役員を経て、2007年に3代目となった次第です。修業期間も含めて、当時は休む間もなく働いていましたね。
ーー30歳で社長に就任されました。ご苦労はありましたか?
井辻龍介:
創業者である祖父から父に代替わりしたのは、祖父が60歳、父が30歳の時でした。早いうちから社長業に就いた父には「社会人として良い経験ができた」という自負があり、私にも同様のタイミングでバトンを渡したかったようです。
CEOに就任した前後、弊社は業績が右肩下がりでピンチの連続でした。当時は、経営術を磨くために本をたくさん読んだり、セミナーに参加したり、失敗も繰り返しながらいろいろな改革に挑戦しましたね。外食事業は50年以上の歴史がありますが、私の代で、焼き餃子がメインの居酒屋「餃子家 龍」をオープンし、グループのメインブランドに育てることができました。
転機となったのは、2008年に発生した輸入食品の中毒事件です。問題となったのは中国製の冷凍餃子だったため、「安心して食べられる国産品」の一つとして、弊社の冷凍餃子の皮の売上が非常に伸びたのです。業績のV字回復にともない、外食事業にも注力していきました。コロナ禍では外食事業の売上がゼロになった一方で、自宅で手づくり餃子を楽しむ方が増え、メイン事業の「餃子皮」部門が成長したと感じています。
ーー社長として心がけていることをうかがえますか。
井辻龍介:
めまぐるしく変わる時代の中で、私たちは少し先の時流を読むことしかできません。創業者の思いを言語化した企業理念を守りつつ、予期せぬパンデミックのように変化が必要な時は、スピード感を持って取り組むことを意識しています。
弊社の企業理念は、「幸福共有・品性向上・社会貢献」の3つです。「幸福共有・品性向上」は社員の働きやすさと成長を考えたもので、「全ての判断材料は従業員へ」というトップダウンではない社風、社員が積極的にアイデアを出す風土の形成にもつながっています。
餃子の皮づくりを柱に社会貢献にも注力

ーー事業内容をご解説ください。
井辻龍介:
製麺業として、餃子や春巻き、ワンタンの皮を製造・販売しています。主力商品の「ぎょうざの皮」「春巻きの皮」は数種類あり、小麦アレルギー・グルテンフリーに対応した米粉100%の皮を、専用工場で製造していることが強みの一つです。中でも「お米の皮(餃子用大判)」は、国際的品評会のモンドセレクション金賞を3年連続受賞し、話題となりました。
「皮」だけでなく、冷凍食品の生餃子も好評です。店頭販売やオンライン通販のほか、無人直売所、自動販売機など販売方法は多岐にわたります。さらに外食事業として、ご当地食材の焼き餃子が自慢の「餃子家 龍」、イタリアンレストランの「CANADAKAN」を展開しています。
ーー社会貢献事業についてもお話しいただけますか。
井辻龍介:
こども食堂の運営をはじめ、「餃子」を通じて社会の役に立てることに取り組んでいます。「餃子de食育」と称して、親子向けイベントや地域の学校で開催している手づくり餃子体験は、「作るたのしみ 食べるたのしみ」がモットーです。
冷凍食品はたしかに便利ですが、私たちは餃子の皮メーカーとして、忙しい中でも集まって「みんなで餃子をつくる」という「価値の創出」を大事にしたいと考えています。初めて包丁を使うなど、子どもがいろいろな経験をすることにも意味があるでしょう。
また、SDGsに沿ったリサイクル活動をする中で、広島北ビール株式会社とのコラボレーションも実現しました。餃子の皮は、四角いシートから丸形に抜き取る工程で端材が発生します。2024年に発売した「ギョーザビール北乃龍」は、端材を原料にして「餃子に合うビール」をつくれないか、という発想から生まれた画期的なクラフトビールなのです。
海外進出と「広島餃子」を広げる活動の先でさらなる飛躍を
ーー今後の展望をお聞かせください。
井辻龍介:
弊社で餃子づくりを学んだベトナム人の女性をマネージャーとした上で、ベトナム・ハノイに「餃子家 龍」の海外1号店を出店しました。今後は海外展開にも力を入れ、ハノイからホーチミン、東南アジアへと店舗を広げていきたいところです。
また、店舗に続き工場もつくることで、地元スーパーに向けた海外でのBtoB事業も進めていけると考えています。国内工場に関しては2023年に移転し、敷地にまだ余裕があるため、既存事業を活かした新規プロジェクトを模索しています。
故郷の広島を愛している私としては、「『餃子』を広島の新しい食文化にしたい」というのが一番の目標です。広島には、お好み焼きやもみじ饅頭をはじめ、おいしい食べ物がたくさんあります。栃木県の「宇都宮餃子」や静岡県の「浜松餃子」のように、「広島餃子」という食文化を根付かせ、観光で訪れた人が「広島に行く時は餃子も絶対に食べよう」と思うような世界をつくれたら面白いと思います。
編集後記
餃子を手づくりする楽しさを広め、地元で愛される会社となることで、メイン事業の「餃子の皮」に光を当て続けている井辻食産株式会社。本記事を通して、具沢山の餃子をたくさんつくった思い出がよみがえった人もいるのではないだろうか。広島発の「餃子文化」を醸成し、みんなを笑顔にしたいと願う同社の未来に期待が高まる。

井辻龍介/1976年、広島県生まれ。京都学園大学を卒業後、アメリカに1年間留学。帰国後、九州の外食チェーン企業で3年間修業。2003年、井辻食産株式会社に入社。2007年に同社の代表取締役社長に就任。2021年にホールディングス化し、井辻ホールディングス株式会社の代表取締役社長に就任。食育の活動にも注力している。