※本ページ内の情報は2025年3月時点のものです。

1924年に溶接加工請負業として創業し、100年近くにわたり日本のモノづくりを支えてきたマツヤ産業株式会社。現在では、配管部品の加工や装置の組み立てをはじめ、溶接材料や産業機器の販売など、加工事業から商社事業まで幅広い事業領域を展開している老舗企業である。

長い歴史の中で時代の変化に応じた進化を続けてきた同社の7代目として、2020年にバトンを受け継いだ代表取締役社長の玉西陽二氏に、就任後に取り組んだ組織改革や事業展開、未来へのビジョンについて話を聞いた。

大手企業でキャリアを積んだ後に家業へ入る

ーー子どもの頃から家業を継ぐことを考えていましたか?

玉西陽二:
学生時代は、中小企業ではなく大きな企業で働きたいと思っていたため、家業を継ぐことは考えていませんでした。ただ、ぼんやりと、「将来は経営者になりたい」という気持ちがあったため、経営者と直接関わるITコンサルができるという触れ込みに惹かれて大塚商会に入社したのです。

実際に入社すると、朝早くから夜遅くまで売上を追いかける毎日で、大変でしたね。それでも仕事へのやりがいを感じ、9年半営業としてキャリアを積みました。

弊社に入社するきっかけとなったのは、祖父の葬儀です。私が29歳の頃、社長だった祖父の葬儀に参列した際にたくさんの人が祖父の功績を讃えているのを見て、改めて祖父が叙勲を受けるような立派な人物だったことを実感しました。子どもの頃の私にとって、祖父がかっこいい存在だったことを思い出し、「マツヤ産業に貢献したい」という気持ちが強くなったのです。

祖父が亡くなってから2年後、当時社長だった父に頭を下げてマツヤ産業に入社させてもらいました。私が入社した頃は、父の次の社長が決まっていたこともあり、自分が社長になることは考えておらず、一社員として会社の力になりたいと考えていました。

ーー社長就任までの経緯を教えてください。

玉西陽二:
入社後、経験を活かし本社営業に配属されましたが、自身の希望をお願いし程なく三重県の伊賀営業所に転属させてもらいました。当時の伊賀営業所は、納期に間に合わせるために社員が徹夜をしなければならないほど、業務が上手く回っていない状態だったため、自分が何とかしたいと思ったのです。私が入って半年後には営業所内の体制を整えることができ、伊賀営業所の所長を任されました。

その後、2016年からは取締役伊賀営業所長として、2018年からは常務取締役として会社全体を管掌するようになりました。その頃に父の同級生である一柳良雄氏が創設した一流塾という経営者塾で本格的に経営について学び、社長になることへの意識が芽生えたのです。

取締役に就任して4年ほど経過した2020年、コロナ禍に見舞われ、業績が落ち込みました。そのタイミングに前社長が退任することになり、私が社長を任されることになりました。

ーー社長に就任してからどのような改革を行いましたか?

玉西陽二:
社長に就任して初めて弊社の財務状況を見たときに危機感を覚え、私自身の報酬カットや、経費の大幅な見直しなどをおこないました。また、人事制度では役職ごとに求める役割を明確にして、評価基準を整備し、社員に分かりやすくしました。

ほかに、前職での経験を活かして社内のデジタル化を推進したほか、新卒採用もスタート。その結果、コロナ禍の業績悪化を乗り越え、現在は3期連続で増収を達成したのです。おかげさまで、売上と営業利益が共に過去最高の状態で100周年を迎えることができました。

モノづくりサポーターとして分野にこだわらず価値を提供

ーー事業内容や強みを教えてください。

玉西陽二:
パイプやホースなどの管を加工する製造事業と、溶接や板金加工の請負事業を手掛けています。また、商社事業として、産業ガスや溶接ワイヤーなど溶接に必要な製品の販売と、継手(つぎて)やバルブなどの配管部品の販売も行っており、モノづくりに関して分野を絞らずにお客様をサポートしています。

私たちの強みは、お客様の期待に誠実に応えようとすることです。自分たちが利益を上げることも重要ですが、お客様にとっての価値を真摯に考え、両面で向き合うことを大切にしています。

私たちの企業アイデンティティとして、創業者が書いた「有難うございます。マツヤ産業です」という言葉が会社の入口に飾られています。これはお客様だけでなく、関わるすべての人々への感謝の気持ちを表す言葉です。創業から100年でさまざまな経験を経て、この気持ちこそが弊社の価値だと感じています。

ーーSNSでの発信にも力を入れているそうですね。

玉西陽二:
社長就任当初、企業としてブランディングしなければいけないと考えていたときに、アルバイトに来ていた学生に「SNSをやった方が良いですよ」と言われ、TikTokとXを始めました。当初は採用活動が目的でしたが、現在は採用に限らず社外の皆様とのコミュニケーションツールとして活用しています。

普段、お客様と接する営業の社員は6人ですが、その裏でたくさんのスタッフが毎日一生懸命働いてくれています。社内の雰囲気をエンターテイメント性を持たせて発信することで、親しみや安心感を感じてもらいたいですね。さらに、入社を考えている方に対しても心理的な垣根をなくす効果を期待しています。

日本の中小企業のロールモデルを目指して

ーー注力していることを教えてください。

玉西陽二:
中小企業と大手企業それぞれのアプローチで、既存のお客様との関係をさらに深めたいと考えています。中小企業向けには、昨今ニーズの高い自動化やロボットの導入に関する提案と、その先のサポートができるよう営業力を強化しているところです。

毎月のミーティングでお客様からヒアリングしてきた課題を持ち寄り、それぞれの課題に対して自動化で解決できる方法を試行錯誤しています。これまで「注文をいただいてから納める」という受け身だった営業体制を見直し、付加価値を与えられるように社内の認識を変えていきたいですね。

大手企業に対しては、提供するサービスの幅をさらに広げる取り組みをしています。現在、既存の事業の中で長い付き合いがあったお客様から新たな作業の協力を依頼され、お客様に技術を教わりながら対応しているケースもあります。今後もできることを制限せずに、お客様の要望に応えていくつもりです。

ーー今後の展望をお聞かせください。

玉西陽二:
中小企業の皆さんに「マツヤ産業にできるなら、うちにもできる」と思ってもらえるようなロールモデルになることが目標です。私は、中小企業が活気付けば、その連鎖が地域に広がり、プラスの循環が生まれると信じています。また、日本を元気にするためには、モノづくりが重要だと強く感じています。モノづくりに携わる一員として、世界に誇れる日本になるために少しでも貢献したいですね。

編集後記

お客様の成長や発展を本気で願う玉西社長の熱い思いがあるからこそ、既存の事業以外にも任せたいと思われるような信頼関係を築いているのだと感じた。創業者が抱いた感謝の心をしっかりと受け継ぎ、100年の歴史を誇る老舗企業として、時代の変化に応じた大胆な改革を実行してきたその姿勢には、確かな覚悟と情熱が宿っている。

モノづくりの未来を支え、日本の中小企業の希望となるロールモデルへと成長を目指すマツヤ産業株式会社の歩みは、これからも地域や産業界に大きな影響を与え続けるだろう。その未来に大いなる期待を寄せたい。

玉西陽二/1978年大阪府生まれ。同志社大学卒業。新卒で大塚商会に入社し、営業職として9年間勤務。2010年マツヤ産業入社後、2016年に取締役就任。2020年、代表取締役社長就任。