
1981年に設立したユニファースト株式会社(東京都台東区)は他社ブランドグッズのOEMをコア事業とし、中国をはじめアジア諸国に生産拠点を構えるファブレスメーカーである。長いキャリアで磨かれた企画力とアイデアで差別化を図り、名だたる大手企業と取引実績を築く同社。スポーツグッズ、コスメ、アパレルや、キャラクターグッズ、ノベルティまで、多くの企業の“つくりたい”という思いをカタチにし、「今までにない新しい商品」を生み出し続けている。
2019年に創業家のDNAを継承して代表取締役社長となり、早くから改革路線を敷いてきた橋本敦氏に、経営方針やビジョンについて聞いた。
入社直後に父の不幸にあい、経営の空白を補うことに
ーー貴社に入社した経緯を教えてください。
橋本敦:
大学時代は米国カリフォルニア州で音楽とアートを学ぶため留学し、卒業後はそのまま現地で就職して住み続けるか迷っていました。社長だった父に相談すると「ウチのビジネスの世界はかなり面白いと思うよ」と諭され、ユニファースト株式会社に入社しました。最初は上海に赴任し、日中は中国語を学び、夕方から出勤するというライフスタイルで一定期間働きましたが、さらなる学びを求めて広告代理店に転職しました。
他社で働きながらさまざまな経験をし、外から見たユニファーストの良さも見えてきたので、はっきり「継ぎたい」と決意して、2014年に再び弊社に復帰しました。ところが、営業担当としてスタートした矢先、会長だった父が急きょ亡くなるという不幸がありました。
ーー会社復帰した後、どんな行動を起こしましたか?
橋本敦:
戻った当時は会長が経営全般を担い、創業時から支えていた叔父が社長を務め、財務を中心に携わっていました。そこへ急な不幸が襲ったことで、経営に対する学びを父から受ける機会を逸してしまったのです。このままではいけないと、経営を学べる機会やネットワークを自分で見つけ、一流の先輩社長から学ぶべくどんどん飛び込んで吸収しようと試みました。
一方で経営陣をはじめ、その頃の会社は、成長することに一定の難しさを感じていた時期で、社員にも消極的なマインドがあることに気づきました。そもそも僕が本心からこの会社を継ぎたいと思ったのは、このビジネスフィールドと人財をさらに発展させたいと考えたからです。
そのために考えた様々な改革施策には、反発もあった中、まずは社風の軌道修正から手をつけようと思いました。
ーー具体的にはどのような改革を行いましたか?
橋本敦:
復帰後はしばらく社長代理の立場でしたが、最初に着手したのは社員一人ひとりとの面談です。そこで気づいたのは、会社がミッションや経営理念をうまく言語化できていなかったことです。そのため、外での学びと社員とのコミュニケーションをもとに「“つくりたい”を形に。アイデアの力で常識を変え、世界を変える」というキーワードをつくり、5年後の中期的なビジョンを社員の中に浸透させていきました。
もう1つは、リーダーが先陣に立って行動するべきと考え態度を示したことです。ある期間、自ら「100件のテレアポを行い、何件アポが取れて何件受注につながったのか」を検証する実験に挑戦しました。
結果、受注できたのは2件だけでしたが、自分が先にやることで「みんなでやってみよう」と指示することができたのです。経営のヒントをつかむターニングポイントになったので、このことはよく覚えています。
マーケティングサポートを強化し顧客のイメージを形にする

ーー貴社の強みや新規顧客の獲得方法を教えてください。
橋本敦:
弊社は主にOEM企業として、企画から納品までを一貫して提供するサービスを行っています。言い方を変えると、単なるモノづくりではなく、「お客様の漠然とした希望を形にする会社」と表現することができます。
顧客はありとあらゆる業種業界に及びます。40年以上の歴史を持つ会社はグッズ制作業界では少なく、誇りに感じています。
取引先の90%以上はリピート顧客です。新規の割合は5〜10%ですが、年々数字を伸ばしています。新規顧客はSEO施策をはじめ、リスティング広告など新しい手法から、展示会への出展やテレアポ、メルマガといった伝統的な営業まで駆使して獲得しています。
また最近では取引の幅を増やすためにも、商品制作前のマーケティングのサポートサービスや広告のアドバイスなどにも力を入れています。今後はモノづくりの上流から下流まで、トータルで多くのサービスを提供したいと考えています。
若いクリエーターを応援する受け皿でありたい
ーー人材の育成と評価制度についてお聞かせください。
橋本敦:
社内教育に関しては、さまざまなテーマで講習や勉強会を月に2〜3回実施しています。特に重点を置いているのは、若手社員が社会的視野を広げることです。営業だけ、デザインだけの仕事だと頭が固くなっていくので、社会人としてのリテラシーなど定期的に学びの場を設けています。
管理職の研修はもっと大がかりです。北海道から高知県に及ぶ「優良企業バスツアー」といった研修に2〜3人の管理職を参加させ、“他流試合”のように他の企業を見て学んでもらっています。
評価制度は数字でしばる定量型ではなく、上司を交えたクオーターごとの面談で、社員の成長度合いを確認し、反映する形をとっています。点数制の管理は過去に試したのですが、成長フェーズにおいては必ずしも相応しくないと判断し、今のところ実施していません。
ーー人材として求める人物像はどのような人ですか。
橋本敦:
素直で明るい人が望ましいですね。強いて挙げるならば利他の精神、チャレンジ精神が強く、逆境を楽しめるくらい諦めない粘り強さを持つ人が理想です。
採用は中途だけでなく新卒にも力を入れ、2024年度は5名、2025年度は8名が入社する予定です。弊社はデザインやファッションなどのクリエイティブな勉強を熱心にしている学生たちが、ぜひ入社したいと思い、実現できるような就職の受け皿になる会社でありたいとも考えています。
ーー5年・10年後の経営ビジョンをお聞かせください。
橋本敦:
長期目標では売上高100億円を目指しています。そのためにもグッズの企画・制作という位置づけにとどまらず、商社のように川上でも取り扱いを増やすなど、いま以上に活動の幅を広げていきたいと考えています。
また弊社は成長の途上にあり、経営の具体策が随時変動する可能性もあります。その過程で困惑する人もいるかもしれませんが、ビジネスの基本になるクリエイティブな精神と、社名の由来である「Unique+Fast」の精神を持ち続け、高付加価値を追求していくことに変わりはありません。
編集後記
現在、ユニファースト社が扱う主なOEM商品は、バッグ・ぬいぐるみ・アパレルなどの雑貨と成型品(ステンレスボトルやシリコン雑貨)だという。橋本社長はこれらに加え「3種目の柱としてカレーやクッキーなど食品にチャレンジする予定です」と、新商品開発について触れている。アイデアの豊富さに加え、入社時の社風改善の取り組みなど、会社を成長させることに対する橋本社長の高いモチベーションを感じたインタビューだった。

橋本敦/1982年生まれ。東京都立墨田川高校卒業後、アメリカ西海岸に留学。米国カリフォルニア州立大学でデジタルメディアアートを専攻後、帰国して広告代理店で中食や菓子メーカーのメディア制作に従事。2014年にユニファースト株式会社に入社し、2019年に代表取締役社長に就任。2019年からはSDGs関連の商品開発にも挑戦している。