
1946年の創業以来、自動車ディーラー業界で歩みを重ねてきた大分日産自動車株式会社。同社は、大分県の人口の大半が集中する大分市と別府市に6店舗を展開する一方で、他社が撤退した地方エリアにも6店舗を配置し、地域密着型の事業を展開してきた。さらに、人手不足という業界課題に対しては、技能実習生の受け入れや整備専門学校との連携強化で対応するなど、積極的な打ち手を講じている。4代目として、同社の代表取締役社長を務める橋本仁氏に話をうかがった。
「先を読む力」を養った日産自動車での10年
ーー社長の経歴を教えてください。
橋本仁:
弊社は来年80周年を迎える企業で、祖父、大叔父、父に続き、私が4代目です。子どもの頃から、ゆくゆくは弊社を継ぐことになるだろうと感じていましたが、私自身はもともと文章を書くことが好きだったため、脚本家に憧れて、大手広告代理店や大手TV局の採用試験を受けたこともあります。ですが、最終的に日産自動車株式会社へ進む道を選び、10年ほど働いた後、弊社に入社しました。
ーー前職ではどのような仕事をしていましたか?
橋本仁:
最初の6年半は部品事業部で、部品メーカーへの発注や在庫管理を担当しました。自動車は2〜3万点もの部品で構成されており、それぞれの在庫をどれだけ確保すればよいかという、需要予測が非常に重要です。発注量が少なすぎれば欠品の危険があり、多すぎれば在庫の無駄になるため、適切な在庫水準を予測し、それを維持する必要がありました。
後の3年半は国内営業として、あらゆるデータをもとに、これから売れる車種や売れなくなる車種の見極めを行っていました。判断を誤ると、何か月もお客さまをお待たせすることになりかねません。月に生産できる台数は限られていますから、優先すべき車をピックアップして全体の生産台数を調整することに注力していました。
幾多の困難を乗り越え前進し続けた日々

ーー貴社に入社してからはどのような経験をしましたか?
橋本仁:
弊社に入社してからは、ディーラーの業務を勉強するためにさまざまな部署を経験しました。社内的な部分はもちろん、ほかのディーラーとの情報交換や、メーカーとのやり取りといった対外的な部分も担当していました。メーカー側の立場を理解した上でディーラーの業務を把握できたため、代表就任に至るまで、順序立てて知識を身につけられたと感じています。
社長になってからは、いくつかの困難に直面することになりました。最初は、日産とルノーがアライアンスを組んだときです。ネガティブなニュースも多く見られましたが、弊社としては、お客さまに対して日々真摯に対応するだけでしたから、メーカーに対してはどっしり構えて欲しいという思いを抱いていました。また、リーマン・ショックの際は、社会全体が不安に包まれましたが、「やるべきことをやっていれば、明けない夜はない」と前向きな気持ちを忘れずにいました。苦しいときに踏ん張って足場を固められたことで、状況が好転した際にスムーズに動き出せたのだと思います。
ーー現在はどのように事業を展開されていますか?
橋本仁:
現在、大分県に新車販売店を12店舗展開しています。大分県の人口分布に比例する形で、県全体の約40%が集中する大分市と、10%強が集中する別府市に、半数の6店舗を配置しており、残りの6店舗は他社が撤退したような地域にも出店しています。公共交通機関が少ない地域では、車がないと生活が成り立ちません。そうした地域の方々の生活の足として、お役に立てるよう事業を展開しています。
今後は、店舗のリニューアルに着手したいと考えています。足の運びやすさにフォーカスし、憩いの場として活用できるようにするなど、楽しい仕掛けをしていきたいですね。おもてなしの心で接客することで、「大分日産って、なんかいいね」と言われるようなショールームづくりを展開したいと思います。
デジタル時代でも変わらない接客の真髄
ーー組織づくりにおいて、どのような取り組みをしていますか?
橋本仁:
弊社は現在、働き方改革を積極的に推進しており、ワークライフバランスを大切にできる環境づくりに注力しています。その取り組みのひとつが、DXの推進です。顧客情報管理や営業のノウハウなどをデータで管理し、随時アップデートしたマニュアルを運用することで営業活動の生産性を高め、社員の負担を減らすことを目指しています。
また、採用面では、海外技能実習生の受け入れや社内紹介制度を導入し、多様な人材の確保に成功しています。これからもさまざまな施策を通じて、会社全体をより良い方向に導いていきたいと思います。
ーー今後の展望についてお聞かせください。
橋本仁:
これからは、特に20〜30代のお客さまにアピールしていく必要があると考えています。弊社を身近に感じていただくために、SNSで積極的に情報発信を行い、お客さまと接点をつくっていきたいですね。同時に、ジムや趣味のコミュニティなど、外出を楽しむ活動的なシニア層も大切なお客さまなので、そういった方々のニーズに合わせた提案も強化していくつもりです。
AIの普及によって、いずれロボットが商談する時代がやってくるかもしれません。ですが、人間にしか表現できないホスピタリティある接客は、むしろ価値を増していくのではないでしょうか。車という商品と心のこもったサービスを通じて、お客さまの人生を充実したものにしていく。そのような達成感のある仕事に、これからも社員一丸となって取り組んでまいります。
編集後記
「店舗がなくなれば、地域の人々の足が奪われる」。そう語る橋本社長の言葉には、企業としての使命感が込められていた。採算性だけでなく、地域のインフラとしての役割を意識した経営判断は、短期的な成果を求められる現代において、貴重な視点といえるだろう。地域に根差した企業として、時代の変化を捉えながら本質的な価値を守り続ける同社の姿勢に、深い共感を覚えた。

橋本仁/1959年、大分県生まれ。1982年に法政大学を卒業後、日産自動車株式会社へ入社。1991年、大分日産自動車株式会社へ入社。常務取締役、専務取締役などを経て、2008年に代表取締役社長へ就任。