
株式会社白寿生科学研究所は、主に医療機器として承認を受けている電位治療器「ヘルストロン」の開発・製造・販売を行っている会社だ。全国に450店舗ある同社の直営店「ハクジュプラザ」では、実際にヘルストロンの体験ができる。
一時は倒産が頭をよぎったという入社直後の苦労や、同社の原点である創業者の思い、今後の展望などについて、代表取締役社長の原浩之氏にうかがった。
入社直後の家業の危機を経て芽生えた経営者としての覚悟
ーー家業を継ぐことは以前から意識していたのですか。
原浩之:
会社経営をしている家で育ったので、いずれ自分が後を継ぐのだと薄々感じてはいましたね。そのため学生時代から、クラス委員長など責任のある役を積極的に引き受けるようにしていました。
大学卒業後は銀行に入行し、やりがいを感じられる仕事に出会え、充実した日々を送っていました。そんな中、当時社長だった父から「仕事を辞めてうちに戻ってきてほしい」と言われます。はじめは居心地の良い環境から離れることに抵抗があり、受け入れ難かったですね。
ただ、自分は後取り息子だからと腹をくくり、銀行を辞めて家業に入りました。
ーー貴社の商品と、入社後に苦労したエピソードをお聞かせください。
原浩之:
弊社は設立当初から電位治療器「ヘルストロン」を取り扱っていました。ヘルストロンは一般の家庭用電化製品でも使用されている、交流式の電気を使用した治療器です。
私たち人間は「自然電界」を受けて、体内の電気のバランスを保ち、健康な状態を維持しています。ヘルストロンは、この自然電界に近い状態を人工的につくり出す医療機器です。
弊社は以前、ヘルストロンの販売をすべて代理店に任せていました。電位治療器は「頭痛・肩こり・不眠症・慢性便秘」の4つの症状の寛解が効果として認められていますが、代理店はこの4つ以外にも効果があると流布していたのです。
売上を意識するあまり、とにかく商品が売れればいいという考えで、商品の効果を誇張するオーバートークを続けていました。
その結果、「あの会社は怪しい商品を売りつけている」と世間に悪評が広まってしまったのです。それが、私が入社して間もない32歳の頃でした。さらには厚労省の知人から内々に「今後、広告規制が厳しくなるので、このままだとまずい」と注意を受けることとなってしまいました。このときは「もしかしたら倒産するかもしれない」と、目の前が真っ暗になりましたね。
ーーそこから、どのように立て直したのですか?
原浩之:
会社の今後の方針を見直すため、一度全店舗の営業を停止しました。そして、社員に対して弊社が置かれている状況を説明するため、全国から責任者を集めました。
集まった社員たちに事情を話し、これからの対策について話しているうちに、「この人たちとこれからも一緒に働きたい」という感情があふれて涙が止まらなくなりました。「私がこの会社を守らなければ」という強い思いが湧いてきたのです。
また、「会社を畳んでしまったら、製品を使っていただいているお客様に申し訳ない」と思い、これを機に全国の店舗を自分の足で回り、コンプライアンスの遵守を徹底し、お客様に寄り添う企業になろうと社員一人ひとりを説得していきました。
そこからは社員の意識も変わり、お客様の気持ちを一番に優先する営業スタイルが定着していったのです。すると、世間の弊社に対するネガティブなイメージも薄れ、ようやくお客様から信頼していただける企業へと生まれ変わることができました。
企業ロゴに込めた「母を助けたい」という創業者の思い

ーー経営者として大切にしていることを教えてください。
原浩之:
弊社の主力製品である「ヘルストロン」は、医学博士で創業者でもある私の祖父・敏之が開発したものです。この製品は「ひどい頭痛や不眠、肩こりに悩む母親を自分の手で治したい」という思いから生まれました。
こうした祖父の思いを大切にするため、「白寿」の頭文字の「H」と「母」という文字を組み合わせ、弊社のロゴをつくりました。これからも会社の原点を忘れず、人への思いを大切にする企業でありたいと思っています。
病気になったときはつらさを分かち合い、それを乗り越えたときは一緒に喜び、お客様の気持ちに寄り添うことを心がけていきたいですね。
また、お客様を第一に考え、コンプライアンスを徹底することも重要です。これは今後も変えてはいけない部分であり、全国の店舗に対しても周知を徹底していきます。
創業100年の節目を迎えた企業の今後の展望

ーー今後の注力テーマについてお聞かせください。
原浩之:
今後は国内だけでなく、海外展開も行っていきたいと考えています。国が変わっても人間の身体は同じなので、私たちの製品は海外でも通用すると考えています。特にヘルストロンをマッサージチェアとしてPRし、商社の協力を得てBtoBを軸に販路を開拓していく計画です。
あわせて注力したいのが、活気ある組織の醸成です。人事評価を見直し、管理職の教育を強化、社員から新しい提案が次々と出てくるような組織を目指したいと思っています。
ーー創業100周年を迎えた貴社の今後の目標を教えてください。
原浩之:
今後はセルフケアの重要性を広めていきたいと思います。「人生100年」と言われる時代、周りの援助なく健康で充実した人生を過ごす「健康寿命」を伸ばしていくことが私たちの願いであり、国や社会が求める姿でもあります。
そして将来的な構想として考えているのが、人々にセルフケアの重要性を伝えることを目的とした新規事業の立ち上げです。世界でいち早く超高齢社会を迎える日本で、健康を軸にした経営を行う100年企業がリードすれば、世界の指針になるでしょう。
新規事業が軌道に乗って拡大したら、いずれは、スタートアップ企業の支援を行っていきたいですね。弊社の自社ビルの一角を事務所スペースとして提供し、経営ノウハウを伝えていければと思います。
弊社が健康産業の中心となり、人々が元気に楽しく過ごせる社会になるよう貢献するのが、最終的な目標です。
全国450店舗を展開している企業で働くメリット
ーー最後に就職・転職活動中の方にメッセージをお願いします。
原浩之:
弊社は全国各地に店舗を展開しているため、地方で働きたい方にもおすすめです。たとえば親御さんの介護で仕事を辞めて地元に戻る場合、就職先がないといった問題があります。
しかし、弊社の場合は中心部以外にも出店しており、実際に売上トップ10位の中には鳥取県倉吉市や福岡県行橋市などの店舗も入っています。そのため、Iターン・Uターンの方々のご応募もお待ちしております。
編集後記
自社の営業方針をイチから見直し、根気強く社員の説得を続け、経営存続の危機を乗り越えた原社長。このお話を聞き、「仲間たちと一緒に働きたい」「弊社に信頼を寄せてくれているお客様を裏切りたくない」という原社長の強い思いを感じた。今後はセルフケアの分野で事業を拡大していくという。世界に先駆けて超高齢社会になる日本が取り組むべき課題に、100年の実績をもつ企業が取り組む意味は非常に大きいだろう。

原浩之/1971年東京都出身。1994年、慶應義塾大学経済学部卒業後、株式会社あさひ銀行(現:株式会社りそな銀行)に入社。1998年、株式会社白寿生科学研究所に入社し、2000年に取締役、2003年に営業本部長、2015年に副社長を経て、2020年に代表取締役社長に就任。Hakuju Hall支配人、一般社団法人日本ホームヘルス機器協会の副会長、早稲田大学総合研究機構グローバル科学知融合研究所の招聘研究員を兼任。