※本ページ内の情報は2025年5月時点のものです。

傘の企画から製造までをワンストップで提供する株式会社カムアクロス。創業から30年の歴史を持つ同社は、中国に自社工場を構え、提案型OEMを主軸に事業を展開してきた。小ロット対応や傘以外のトートバッグ、ポーチ製作まで手がけ、顧客の困りごとを解決する柔軟な姿勢を強みとする。代表取締役社長の今中光昭氏に、創業の経緯や今後の展望について話を聞いた。

偶然の出会いから倒産を乗り越えて、傘の道へ

ーー傘業界に入った経緯をお聞かせください。

今中光昭:
私は高校卒業後、「これからの時代はコンピューターだ」と感じ、コンピューター関連の専門学校に進学しました。しかし、あるとき傘屋さんで働いていた親戚から「人手が足りないから手伝ってくれないか」と誘われたのです。他業種よりも時給が高かったため、学校に通いながらアルバイトとして東大阪市の傘屋さんで働き始めました。

私の実家は、高度経済成長期にファスナーを製造して輸出する会社を営んでおり、モノづくりの現場を子どものころから目の当たりにしていました。傘屋さんも基本はモノづくり、仕事の流れをすぐに理解できました。そのため他の人よりもスムーズに仕事ができて、周囲から褒められることも多く、次第に仕事が面白いと感じるようになっていったのです。

ーー創業に至ったきっかけは何だったのでしょうか。

今中光昭:
アルバイトから1984年に正社員として入社し、27歳のときには仕入計画から販売まで任されるようになっていました。しかし、1995年に突然会社が倒産してしまったのです。次の就職先を探しましたが、以前ほどの待遇は望めない状況でした。ちょうどそのとき、前職で取引があった海外の仕入先様や国内のお客様から「商品、何とかならないか」という相談をいただきました。そこで私は「これなら出来る!」と考え、弊社を創業し、事業をスタートさせたのです。

「できない」を「できる」に変える、自社工場を持つ強み

ーー現在の事業内容について教えてください。

今中光昭:
弊社は傘づくりを手がけている会社です。創業当初は自社商品を世に送り出すことを主軸に事業展開していましたが、工場を持っていることを強みに、OEMを中心に据え、今では売上の70%をOEMが占めています。

特に力を入れているのが提案型のOEMです。弊社のお客様は、SPA(製造小売業)といわれるアパレル系の企業様が多いのですが、傘は特殊な製品のため自社で製作できないケースが少なくありません。そのため、弊社では企画の提案から素材、デザイン、色、ロゴなど細部に至るまでサポートしています。

「どこで傘をつくったらいいかわからない」「傘をつくったことはあるが品質が悪かった」といったお客様のお手伝いをすることを、基本コンセプトとして大切にしています。

ーー印象に残っているお客様とのエピソードをお聞かせください。

今中光昭:
あるアニメ関連のお客様は、30軒の傘屋さんを回って断られた末に弊社のところに来られました。断られた理由の多くは「ロットが小さすぎるからできない」というものだったそうですが、正確には「自社工場がないからできない」のだろうと感じました。弊社は自社工場を持っているため、むしろ「面白い傘を作りたい」という気持ちで引き受けました。

最初のオーダーは15本ほどでしたが、その後トートバッグやポーチなどもつくるようになり、今でもお取引が広がっています。小さな依頼だとしても、お客様のお困りごとに応えるのが弊社の存在意義であり、選んでいただける理由だと思っています。

熱量あふれる会社として、安心安全の代名詞を目指す

ーー今後の展望について教えてください。

今中光昭:
これまで提案型OEMとして多くの商品を手がけてきたため、弊社の名前はあまり知られていないのが現状です。そこで、今後は自社で培った技術や経験を活かした商品を送り出し、「カムアクロス」という名前が安心安全の代名詞になるような会社を目指していきます。「カムアクロスの傘は品質がいい、万が一壊れても修理してくれるので安心」といわれるような存在になりたいですね。

そのためには、高い熱量を持って仕事に取り組むことが大切だと考えています。社員とともに最大限の熱量を仕事に注ぐことで、これからもお客様の期待を超える商品とサービスを提供していきます。

編集後記

取材を通して印象的だったのは、今中社長の「やりたい」という情熱だ。他社が「できない」と断る案件こそ引き受けるという姿勢は、ビジネスの原点を思い出させる。クライアントの困りごとに真摯に向き合い、解決策を提供する。この単純だが実践が難しいアプローチを貫いてきたことが、30年にわたって事業を継続させてきた秘訣なのだと感じた。

今中光昭/1966年生まれ。大阪府立池島高等学校卒業。コンピューター関連の専門学校に通いながら、東大阪の傘メーカーでアルバイトに従事。1984年、同社に正社員として入社するも、1995年に倒産。同年に洋傘輸入販売を目的に会社を設立。1996年、中国広東省に工場を開設、2001年に福建省廈門市に工場を移転。2002年に社名を株式会社カムアクロスに改める。