
江戸時代末期の安政3年、1856年に創業した株式会社尾賀亀。エネルギー(石油)と食品(原料)の2本柱で事業を展開し、これまで確立した地位に甘んじることなく、積極的な成長戦略を推進している。家業の立て直しに奔走したエピソードや、M&Aにより手広く展開する食品事業、今後の展望などについて、代表取締役の尾賀健太朗氏に話をうかがった。
家業を立て直すために体当たりでぶつかった日々
ーー尾賀社長のこれまでのキャリアをお聞かせください。
尾賀健太朗:
大学卒業後は東京にあるIT系のベンチャー企業に入社しました。その後、当時の上司が起業することになり「一緒に働かないか」と誘われて1年で転職します。社員がたった3人の会社だったので、管理や営業など幅広い業務に携わりました。
経理業務では、資金調達に奔走し、会社経営の資金繰りがいかに大変かを学びましたね。ただ、東京で働いている間も、地元の滋賀県で家業を継ぐことはいつも頭の片隅にありました。
ーー家業に入ったきっかけは何だったのですか。
尾賀健太朗:
リーマン・ショック以降、家業の経営が芳しくないと耳にしたのです。そこで実家に戻ると、父の表情は暗く、決算書を見ても経営状態が厳しいのは明らかでした。このまま何もせずにいたら一生後悔すると思い、会社を立て直そうと決意しました。
入社して最初の1年目は、ほぼ毎日働いていたと記憶しています。20代後半だった私は周りが見えておらず、コミュニケーションも苦手でしたね。それでも、この会社を良くしたいという気持ちと行動力だけで突き進みました。
当時は社員の平均年齢が50歳くらいで、年上のベテラン社員を相手に率直な意見を述べ、よく衝突していましたね。ただ、険悪なムードにならないように週3、4回は飲みに出かけ、社員とのコミュニケーションを深めていきました。
それから3、4年経つとようやく社員から受け入れられて、財務改善も功を奏し、業績が徐々に安定してきました。その後は、M&Aなどに新たにチャレンジして、経理や人事、労務など管理部門も整備したのです。
創業初期からの事業を守りつつ、時代に合わせた新たな領域を開拓

ーー貴社の事業内容についてお聞かせください。
尾賀健太朗:
エネルギー事業と食品事業の2本柱で運営しています。エネルギー事業は、創業時に灯りに使う菜種油の販売を始めて以来、弊社の基盤事業で、現在は県内に15のガソリンスタンドを展開しています。
特に車の整備やコーティングなど、お客様の悩みに応えられるスタッフをほぼ全店に配置していることが強みですね。また、滋賀県には全国展開しているメーカーさんの工場が多いため、BtoB事業として企業へ石油を販売しています。石油を配送する際には、油圧機器のチェックや、使用する油の変更を提案しています。こうした保守・メンテナンスまで行えることも弊社ならではといえるでしょう。
ーー食品事業についても教えていただけますか。
尾賀健太朗:
2代目の亀次郎の代からは油の販売に加え、砂糖や小豆、小麦粉などの食品卸売事業も手がけてきました。その後、エネルギー事業部の先行きを見据えて、食品事業部を強化することになります。そこでM&Aをして既存の事業を引き継ぐ形で、非常食事業とスイーツ事業を立ち上げたのです。さらに、新しく自社で海外事業も立ち上げました。
非常食事業では、買収した株式会社エス・アイ・オー・ジャパンの事業を引き継ぎ、官公庁のほか病院や学校、消費者向けに販売しています。
スイーツ事業は、京都で洋菓子を販売していた有限会社ドゥパリの事業を引き継いだものです。関東を中心に全国の催事場でスイーツの販売を行っています。中でもFrais Frais Bon !(フレフレボン)のチーズケーキはリピーターも多く、長年続くヒット商品となりました。
2024年にはマクロビオティック(※)商品を扱うオーサワジャパン株式会社と業務提携しました。海外事業では輸入商品であるbruno snack(ブルーノ スナック)の「クリスピーブラウニー」が、グルテンフリーで味もおいしいと爆発的な人気を博しています。昨今では健康意識が高まっているため、健康にも配慮した商品展開もこれから進めていきたいと考えています。
(※)マクロビオティック:日本の伝統食である“玄米菜食を中心として、その土地でとれたものを、その旬に食べる”を基本とする、「食」を軸に自然の秩序に調和していく考え方であり暮らし方。
既存事業を大切にしながら新規事業にも着手。会社の基盤となる人材採用の取り組み
ーー経営をする上で意識している点を教えてください。
尾賀健太朗:
新規事業を進めながら既存事業もしっかり回す「両利きの経営」を目指しています。また、これまでいくつかの企業を買収してきましたが、弊社の方針を無理やり押し付けても上手くいかないと学びました。そのため現在は相手の企業文化を尊重しながら、並走する形で進めています。
さらに、積極的に若手社員を事業責任者に抜擢しています。実際に株式会社エス・アイ・オー・ジャパンの事業は30代の社員が引き継ぎ、有限会社ドゥパリの事業は入社5年目の社員が責任者を務めています。今後も若手がチャレンジできる文化を育てていく方針です。
ーー人材採用に関してはどのようにお考えですか。
尾賀健太朗:
会社運営は、社員一人ひとりの力が結集することで成り立つものです。だからこそ、採用は会社の肝となる部分だと考え、みなさんに選んでもらえる会社を目指して、社員の待遇の良さや働きやすさを発信しています。
健康経営の観点から考えていることもあります。たとえば、50歳以上の社員に人間ドックの費用を補助し、賞与の支給時には近江牛など、現物支給も行っています。その他にも、投資額に上乗せする「職場つみたてNISA」などもありますね。なお、高年齢者雇用にも力を入れており、「令和5年度 高年齢者活躍企業コンテスト」で厚生労働大臣表彰・特別賞を受賞しました。
求める人物像に関しては、弊社のビジョンとバリューを実践できる方がいいですね。弊社では「いい会社をつくる」をビジョンとして、「ご縁と感謝を大切にしよう」「挑戦を楽しもう」「価値を生み、磨き続けよう」という3つのバリューを掲げています。一人ひとりが「いい会社」とはどのような会社であるかを考え、バリューを軸に日々の仕事に取り組んでもらいたいと考えています。
食品事業の拡大を進め、会社の成長を支える事業の柱に
ーー最後に今後の展望をお聞かせください。
尾賀健太朗:
環境面の課題や若者の車離れなどにより、ガソリンの販売量は減少傾向にあります。そこで、エネルギー事業で蓄えた資金を食品事業に投下し、新たな成長の柱にしたいと考えています。今後は世界で注目されているマクロビオティック商品を中心に、海外進出も強化していきたいですね。
10年後には、食品事業をエネルギー事業と拮抗するレベルまで成長させたいと考えています。これからも社員が楽しく働きやりがいを感じられる会社づくりを進めながら、企業のさらなる発展を目指してまいります。
編集後記
ベンチャー企業の創業期から携わり、経営の基礎を学んだのち、家業の立て直しに大きく貢献した尾賀社長。インタビュー中はフランクにお話しいただき、社員の方々から慕われる経営者であることが伝わってきた。株式会社尾賀亀は自社の歴史を重んじながら、海外進出を含めさらなる発展を遂げることだろう。

尾賀健太朗/1984年生まれ。滋賀県出身。2006年に同志社大学を卒業後、IT系ベンチャー企業に就職。その後、別のベンチャー企業へ転職し、何でも屋として貴重な経験を沢山積む。リーマン・ショックで経営が傾いたのを機に家業継承を決意し、2011年、株式会社尾賀亀に入社。2019年に6代目社長に就任。「いい会社をつくる」というビジョン実現に向けて奮闘中。