※本ページ内の情報は2025年5月時点のものです。

株式会社メディトピアは、東京を拠点に医療機関のコンサルティング・医師の開業支援・調剤薬局のフランチャイズの3事業を軸に、地域医療を支える会社だ。調剤薬局の黎明期から薬剤師として業界に携わってきた創業者の小井戸英勝氏は、豊富な経験と人脈を生かし、事業を拡大してきた。

バイクに乗って病院へ薬を届けていた薬剤師時代のエピソードや、厳しい競争の中で安定した経営を続けている秘訣などについて、代表取締役会長の小井戸氏にうかがった。

薬局の黎明期に奮闘していた薬剤師時代

ーーまず前職の入社の経緯をお聞かせください。

小井戸英勝:
1960年代後半、薬科大学の学生だった頃に、知り合いから竹内調剤薬局のことを教えてもらい、興味を持ったのが始まりでした。当時は調剤薬局が出来て間もない頃で、唯一あったのが資生堂調剤薬局と水野調剤薬局、そして竹内調剤薬局でした。

資生堂調剤薬局は化粧品事業に移行し、水野調剤薬局は事業を売却したため、竹内調剤薬局は今も事業を続けている唯一の薬局です。

ーー入社当時の様子を教えていただけますか。

小井戸英勝:
まず私たち薬剤師が自ら出向き、病院へ薬を届けなければいけないことに驚きましたね。今では考えられませんが、当時は病院から患者さんの処方箋を預かって薬をつくり、それを病院に届けていたのです。

病院と薬局は離れていたので、できるだけ早く患者さんに薬を届けられるよう、バイクで往復していました。そして、その頃はまだPCが無かったので、通常業務が終わるとそろばんをはじいて保険請求の計算をするような時代でした。

薬の成分ごとに分けて記載し直し、一つひとつの薬価も覚えなければならなかったので、膨大な時間がかかっていましたね。また、調剤薬局自体に仕事を回してもらうためにも病院側から信頼を得る必要があったのです。

そのため、平日の昼間はバイクで薬を配達し、夜は接待で病院の受付の方や看護師さんと食事をし、休日は医師の方々とゴルフをするといった目まぐるしい日々を送っていました。ただ、病院の内部事情を知ることができ、薬の知識も身についたので、今振り返るととても貴重な経験でしたね。

順調にキャリアを重ね、独立を経て経営者の道へ

ーーそれからどのようにキャリアを積んだのでしょうか?

小井戸英勝:
先輩たちが次々と独立していく中、社内で少しずつ実績を上げていきました。まずはじめに着手したのが、板橋にある老人医療センターの院外薬局の立ち上げです。当時は病院から薬局が離れており、患者さんが建物を見つけられずに通り過ぎてしまうこともありました。

そこで病院の目の前に院外薬局をつくることにしたのです。ただ、開業当時は処方箋がまったく回って来ませんでしたね。このままではいけないと思い、医局に通い詰め営業を続けた結果、徐々に処方箋が増えていきました。

その後、墨東病院の院外薬局の立ち上げにも携わり、これまでの功績が認められ、入社から7、8年後に常務に就任し、最終的には専務を務めました。

ーー薬局から独立し、起業した経緯を教えてください。

小井戸英勝:
先代が急逝され、親族の方が事業を引き継ぐことになったのです。そのタイミングで賛育会病院の院外薬局の運営事業を譲り受け、独立する形でメディトピアを立ち上げました。そこからは、前職で培った看護師さんや医師の方々とのコミュニケーションスキルを活かし、徐々に薬局を拡大していきました。

その後、医師との人脈を活かし、医療コンサルティング事業も手がけるようになります。この事業を始めたきっかけは、知り合いの優秀な医師の開業をサポートしたいと思ったことです。

彼が地元に戻って開業すると聞き、腕の立つ医師を失うのはもったいないと思い、「一緒に病院を立ち上げましょう」と提案しました。そしてサワイ病院を開院し、クリニックへの転換、医療法人化を経て、現在は医療法人社団 共咲会 サワイメディカルクリニックとして運営を続けています。

在宅業務を展開し収益性を高め、経営の安定化を実現

ーー貴社の強みはどんなところでしょうか。

小井戸英勝:
昔は調剤薬局の数が少なかったため競争率が低く、薬の価格も高かったため、収益性の高いビジネスでした。しかし、薬局が急増し、薬価が下がり技術料も下がり続け、事業譲渡するケースが増えています。

その中でも弊社が生き残れているのは、薬局の運営だけでなく、老人ホームや個人宅へ薬を届ける在宅医療分野に進出し、多角化経営を行っているからです。現在特別養護老人ホームやグループホームなど12店舗ほどから依頼を受け、薬の調剤と配達を行っています。

今後はこの在宅業務をフランチャイズ化し、さらなる事業の拡大を検討しています。

ーー後継者育成についてはいかがですか。

小井戸英勝:
今ではコンピュータ化・機械化が進み、調剤薬局のあり方も昔とは大きく変わってきたため、若い世代に経営を任せることにしました。今年に入って長女を社長に、次女を副社長に、起業当時から勤めている社員を常務に指名し、私は会長として相談役に回りました。

娘は薬剤師の資格を持っていないため、はじめは自分は後継者にはなれないと断られましたね。しかし、「会社の経営を任せられるのは、私の苦労を間近で見てきたお前しかいない」と説得し、何とか了承してくれました。

今では社長である彼女が自らクリニックの人間ドックのチラシをポスティングするなど、積極的に働いてくれていて、後継者として頼もしく感じています。

“薬をつくらせていただいている”気持ちを忘れずにいてほしい

ーー貴社が求める人物像についてお聞かせください。

小井戸英勝:
私たちはお客様第一をモットーにしており、従業員には病院のスタッフの方や薬を届けてくれる製薬会社の方への感謝を忘れないよう指導しています。今ではほとんどの病院に薬局が併設されているので、毎日患者さんが来られ、たくさんの処方箋が回ってきます。

ただ、これは決して当たり前のことではありません。そのため1枚の処方箋の重さを感じ、患者さんにお渡しする薬を届けてもらうことに感謝しながら、仕事に取り組んでいただける方に来てほしいですね。

ーー最後に読者の方々へメッセージをお願いします。

小井戸英勝:
弊社は患者さまの健康を守り、安心してお薬が飲めるようサポートしてくれる薬剤師を募集しています。また、調剤補助も募集していますので、人と接することが好きな方、医療に貢献したい方はぜひご応募ください。

編集後記

現在とは異なり、調剤薬局が珍しかった時代に、薬剤師として業務に携わる傍ら、営業活動も積極的に行ってきた小井戸会長。当時の過酷な状況でも食らいついていった粘り強さが、今の事業の発展につながっているのだと感じた。株式会社メディトピアは、病院と連携を取りながら、患者さんに心のこもったサービスを提供し、街の調剤薬局として人々を支えていくことだろう。

小井戸英勝/1944年群馬県生まれ。1968年昭和薬科大学を卒業し、株式会社竹内調剤薬局に入社。1990年株式会社竹内調剤薬局を退社し、同年株式会社メディトピアを設立し、代表取締役に就任。2025年代表取締役会長に就任。