※本ページ内の情報は2025年6月時点のものです。

住宅建材の専門商社として、卸・小売・製造をグループ内で一貫展開するJKホールディングス株式会社。グループ40社以上を束ねる同社のかじ取りを担うのが、代表取締役社長の青木慶一郎氏だ。

入社以来、営業、海外駐在、製造現場、M&Aによる再建、グループ経営の強化と、あらゆる現場で経験を重ねてきた青木氏に話をうかがった。

海外留学から家業へ、自然な流れで踏み出した第一歩

ーー会社を継ぐことは考えていましたか。

青木慶一郎:
創業者である母方の祖父には小さい頃からよく可愛がってもらいましたし、親族の多くが勤めていたこともあり、子どもの頃から弊社は身近な存在でした。会社に入るようにと言われたことはありませんが、なんとなく自分もこの道に進むのだろうという気持ちはありましたね。

大学卒業後は、祖父から「これからは英語が話せたほうがいい」とアドバイスされ、アメリカに留学することにしたのです。最初の1年はアイダホで語学学校に通い、その後シアトルの大学で学び、帰国しました。

当時は、このアメリカでの留学経験が、将来のキャリアに大きな影響を与えるとは、まったく想像していませんでした。

ーー入社後の話をお聞かせください。

青木慶一郎:
帰国後に弊社に入社し、最初に配属されたのは経理部でした。そこで培った数字に対する感覚やコスト意識は、その後の業務に大いに役立ちましたね。特にその後、配属された営業部とは異なる視点から会社を捉えることができたことも、大きな学びでした。

この頃に現場と管理、両方の視点を持てたことは、のちの経営にも活かされています。

マレーシアからの直接輸入と海外駐在で培った実践力

ーー営業から「副社長付き」として新規事業に関わるようになった経緯をお聞かせください。

青木慶一郎:
営業部に配属された後、当時の副社長が新しい事業を次々と仕掛けていたこともあり、私はその補佐役として抜擢されました。高断熱住宅のプロジェクトに関わったり、ラオスから輸入した木材の販売を試みたりと、今思えばかなり実験的な動きの中に身を置かせてもらったと思います。

ーー携わった新規事業の中で、特に印象に残っているものを教えてください。

青木慶一郎:
当時、インドネシアから輸入していたベニヤ板に政治的な規制が入り、商社を通さないと仕入れができなくなってしまったのです。そこで弊社にとっては、初めての直接輸入への挑戦となりましたが、マレーシアから仕入れることにしたのです。

留学経験のおかげで英語にある程度慣れていたので、現地での交渉を比較的スムーズに進めることができました。加えて、営業部での経験もあって、製品の選定や価格交渉にも自信を持って臨むことができたのです。いわゆる「現地に根を張って仕入れる」という工程を自分の手で実現できたことは、大きな自信になりました。

1996年から2年間、マレーシアに駐在しましたが、当時は社内に海外駐在の仕組み自体がなく、私が初の駐在員という位置づけでした。現地法人の設立・仕入れ先の開拓・品質確認・ロジスティクスの整備と、ゼロからの立ち上げを任されたのは、大きなチャレンジでしたが、その分得られた経験値も非常に大きかったと思います。

帰国後は貿易部での業務を経て、2000年からは東京営業所の所長を務めることになりました。輸入に関わる実務を終え、次に待っていたのは国内の販売現場です。多忙な営業所の中で、現場の課題に向き合いながら、人材育成や業務改善にも取り組むことになりました。

現場最前線で感じた成長フェーズの手応え

ーー営業所長時代の業務は、どのようなものでしたか。

青木慶一郎:
東京営業所は当時、社内で最も忙しい拠点の一つで、朝7時に出社して夜は11時まで、日常的にそんな働き方が当たり前の環境でした。電話やFAXでひっきりなしに注文をいただき、処理しきれないほどの業務量でしたが、それだけ弊社に対する期待と信頼が高かったのだと思います。

今なら「ブラック」と言われてしまうかもしれませんが、それでも皆が一丸となって働いていましたね。

ーー注文が集中した理由は何だと思いますか。

青木慶一郎:
お客様との信頼関係の深さ、そして私たちの強みである「デリバリー機能」にあると考えています。たとえば、午前中にご注文をいただければ、午後にはトラックを走らせて納品できるよう、即応体制を整えていました。新木場という立地の利を活かし、近隣メーカーからの迅速な調達が可能なことも大きな強みですね。こうしたスピード感が、お客様からの高い評価につながったのだと思います。

ーー当時の会社全体の成長をどう感じていましたか。

青木慶一郎:
2000年時点で、会社全体の年商は2000億円規模でした。私が入社した頃と比べても着実に拡大しているのを実感していましたし、その最前線で自分が営業現場を任されていることに誇りを感じていました。この経験が後の経営判断にも大きく影響を与えたと思っています。

製造現場で学んだ経営の厳しさと手応え

ーーその頃はどのような業務に携わっていましたか。

青木慶一郎:
当時グループ内にあったキーテックという構造材メーカーに、専務として出向していました。柱や梁など、住宅の骨組みに使われる木材を製造する会社で、製造現場での経営はまったく初めての経験でした。

製造現場でさまざまな課題に直面しましたが、一番大きかったのは品質トラブルですね。クレームが2年続けて発生し、数千万円規模の損失が出てしまったのです。また、労災事故も発生し、問屋とは異なるリスクや責任の重さを、身をもって痛感しました。

問屋はあくまで流通の中間に位置し、商材を選んで仕入れ、販売することが仕事です。一方で、製造業は自社で製品をつくり出す分、品質管理や原価管理、生産効率など、あらゆる工程に責任が生じます。自分の判断がダイレクトに利益や安全に直結するという感覚は、非常に緊張感がありました。

ーーそこで得た学びや成果は何ですか。

青木慶一郎:
結果として、私の在任中に黒字化は叶いませんでしたが、その後の経営改善の礎を築くことができました。品質管理体制を整え、工場内のレイアウト変更や工程見直しによって、コスト削減にも取り組みました。製造の現場で得た知識や視点は、後のグループ経営にも大いに活きていますし、私自身にとっても非常に大きな転機だったと思います。

M&A再建で学んだ経営の「見える化」

ーー管理本部長として、どのような再建業務を担いましたか。

青木慶一郎:
リーマンショック後、弊社は取引先だった販売店の赤字事業をグループに取り込み、事業継続と雇用確保の両立を図りました。しかし、統合された会社はそれぞれ経営状況もバラバラで、まずは「見える化」が急務でした。月次損益の管理や棚卸しの徹底、仕入れと支払いのチェック体制など、経営の基礎となる部分を徹底して整備していきましたね。

東北地方では仙台、青森、秋田、福島にあった子会社を統合しました。地域に一体化した運営体制を構築することで、管理コストを削減し、業務効率も向上させました。経理や人事といったバックオフィス機能も一本化し、全体としての筋肉質な組織づくりを目指したのです。

ーー再建プロセスで重視したポイントは何ですか。

青木慶一郎:
大切にしたのは「現場との対話」と「情報の透明性」です。社員一人ひとりに、自分たちの会社の現状を理解してもらい、何が課題で、何を目指すべきかを共有しました。そのためにも数字の開示を徹底し、納得感のある目標設定を心がけました。これにより、社員の意識も少しずつ変わっていったように思います。

そして、こういった取り組みの結果、当時は赤字だった販売会社が、今ではグループの中核事業の一つに成長しています。あのとき、現場の苦労は本当に大きかったですが、「継続する意志」と「手を打ち続ける覚悟」があれば、事業は立て直せると実感しました。経営の本質を学ぶことができた、とても濃密な時間だったと思います。

5000億円企業を目指す、新たな挑戦と人材育成

ーー中長期の目標として掲げているビジョンについて教えてください。

青木慶一郎:
現在、弊社では「売上高5000億円・経常利益100億円」という目標を中長期の経営指標として掲げています。これは単なる数字の目標ではなく、弊社がさらなる成長を遂げ、社会により大きな価値を提供するための道標だと考えています。すでに4000億円を超える売上規模まできていますが、次のステージに向けて、事業の深化と拡張に取り組んでいるところです。

ーー新たな事業領域や海外展開については、どのような展望をお持ちですか。

青木慶一郎:
現在は、アメリカや東南アジアを中心に海外展開を強化しています。アメリカでは弊社の商品と現地ニーズがうまくマッチした商材があり、今後さらに拡大していけると期待しています。
また、住宅の3Dスキャンを活用した模様替えソフトなど、これまでにない新規ビジネスにも挑戦中です。非住宅領域やリノベーション市場にも力を入れており、弊社の技術とノウハウを活かせる場は確実に広がっていくと確信しています。

ーー人材育成について、具体的に取り組んでいることはありますか。

青木慶一郎:
弊社では実物大の住宅構造モデルを用いた研修施設を整備し、若手社員の即戦力化を図っています。構造や資材の理解を座学だけではなく、実際に見て触れて学べる環境を整えました。

また、eラーニングや資格取得支援制度も整備し、個人の自主的な学習をサポートしています。希望者には語学研修や海外チャレンジの機会もあり、海外駐在を経て成長する若手も出てきています。

笑顔を生む企業文化と、前向きな挑戦者への期待

ーーどのような人材に未来を託したいと考えていますか。

青木慶一郎:
私は、明るく前向きな姿勢を持つ人材に大きな期待を寄せています。失敗を恐れず、自ら動ける人間こそが、組織を前に進めていく原動力になると考えているからです。私自身も「動かなければ何も始まらない」と常に感じてきましたし、社員にも「チャレンジを恐れるな」と伝えています。実際、若手であっても成果や意欲をしっかり示せば、年齢に関係なく管理職に抜擢されるケースも珍しくありません。

ーー青木社長が大切にしている考えを教えてください。

青木慶一郎:
私たちは、「社員一人ひとりが誇りとやりがいを持てる会社」を目指しています。その象徴として、コーポレートスローガン「住まう、を、笑顔に。」を掲げました。この言葉には、社員自身が笑顔で仕事に取り組み、その笑顔がやがてお客様や取引先、ひいては社会全体へと広がっていく未来を願う想いが込められています。

だからこそ、企業文化としても、トップダウンではなく一人ひとりの自発性や誇りを尊重する風土を大切にしているのです。上下の距離が近く、社長である私自身も現場社員と懇親の場を設けるなど、声を直接聞く機会を増やすよう努めています。笑顔で働ける職場環境づくりは、単なる福利厚生の話ではなく、企業の成長戦略そのものであり、これからも「人の力」で強くなる企業を目指していきたいと思います。

編集後記

現場と経営の両輪を回し続けてきた青木社長。特筆すべきは、事業の大小を問わず自ら最前線に立ち、失敗も糧としてきたその姿勢だ。だからこそ、社員の挑戦にも寛容であり、組織の厚みを育てていけるのだろう。笑顔と挑戦をキーワードに、100年企業に向けた歩みはすでに始まっている。

青木慶一郎/東京都出身、立教大学卒業。1992年丸吉(現JKホールディングス)に入社。経理・営業・海外駐在・営業所長を経て、グループ製造会社キーテックに専務として出向。製造業の実務経験を活かし、本社ではM&Aによる小売部門再建を主導。取締役、専務、副社長を経て2014年に代表取締役社長に就任。