
約1,000社ある取引先に対し、約200品目の商品を年間8億食以上販売するシマダヤ株式会社。同社を牽引するのは、製麺屋の長男として生まれ育った、代表取締役 社長執行役員の岡田賢二氏だ。
営業一筋でキャリアを積み、51歳でMBAを取得。長年の現場経験に裏打ちされた実行力とMBAで得た理論を兼ね備えている岡田氏は、創業100周年に向けてどんなビジョンを描いているのか。これまでの道のりと今後の展望をうかがった。
業界の「雲の上の存在」との運命的な出会い
ーーシマダヤに入社された経緯をおうかがいできますか。
岡田賢二:
私は愛知県豊川市で、製麺屋を営む家の長男として生まれました。365日、休まずに働く父の後ろ姿を見て、自分が製麺屋を継ぐのだろうと漠然と思っていました。
ところが学生時代に、転機が訪れます。私は地元を離れ、関東の大学に通っていたのですが、ある日、スーパーで「島田屋本店(現:シマダヤ)」の商品が大量に陳列されているのを見かけました。それが気になって、すぐに公衆電話から父親に電話し、「島田屋本店って知ってる?」と聞いたところ、父は「有名な製麺屋で、自分たちにとっては雲の上の存在だぞ」と言われました。その時点で「島田屋本店に就職しよう」と決めました。とはいえ、採用されるかは別の話なので、就職活動の解禁日初日に真っ先に会社を訪問しました。
商品だけではなく自分も売り込む営業術で成功

ーー入社されてからは、どのようなお仕事をされていましたか。
岡田賢二:
入社後は営業一筋で、業務用営業のさまざまなポジションを経験しました。営業している間、心がけていたのは「商品を口先だけで売り込まない」ということ。そして、商品だけでなく、自分という存在も含めて売り込んだことが功を奏したと思います。
商品の良さをどれだけ言葉で伝えても、それだけでは伝えきれないことがたくさんあります。私は私がおいしいと思える商品をお客様に食べてもらいたいし、おいしいという感覚を共有したい。なので、お客様のところへ出向き、厨房を借りて調理し、「これ、おいしいですよ。食べてみてください。」と、試食をどんどん勧めたのです。その結果、お店や卸店さんにも麺の魅力が伝わり、飲食店でメニュー化されたときはとても嬉しかったです。
ーー社長に就任されるまでの間には、どんなことがあったのでしょうか。
岡田賢二:
36歳で営業部長になり、当時52歳だった前社長の木下と二人三脚で仕事に打ち込みました。その後、マーケティング本部長や生産物流本部長を歴任して、現在に至ります。
シマダヤに入社した後も、「家業を継ぐ」という重圧は感じていました。しかし、入社して5〜6年目を迎えるころに「店をたたむ」と父から告げられ、肩の荷が降りました。そして、シマダヤで生きていく決心を固めました。
社長就任は全く予想していませんでした。実を言うと、就任を打診される前、ビジネススクール入学を求められた時点で「もしや」と思い、あまりの重圧に2回お断りしました。しかし、前社長の木下から「親会社のトップから言われている。もうやるしかない。断るなら辞めろ」とまで言われまして。51歳で会社を辞めるわけにはいきませんよね。
今振り返ってみると、私は製麺屋の息子として生まれ、スーパーに並ぶ大量の商品を見た瞬間に「シマダヤに就職しよう」と思ってしまうくらい、この業界に魅力を感じています。自分では自覚はなかったのですが、シマダヤで働くモチベーションが他の従業員に比べると高かったのだと思います。
前社長の木下から「岡田は、役員や従業員の中で、最もシマダヤに愛着を持っている」と言われたことがあり、それが社長に抜擢された理由かもしれません。
大きな転機となった、51歳でのMBA取得
ーー社長就任前後のお話をうかがえますか。
岡田賢二:
2021年、51歳のときにMBA取得のため、早稲田ビジネススクールに通いはじめました。ありがたいことに私は、36歳で営業部長、42歳で執行役員、44歳で取締役に就任し、常に“最年少〇〇”とか“若手”と呼ばれることが多かったのですが、ビジネススクールに入学してみたら、周囲は大手コンサルティング会社や金融・不動産企業の若手ばかり。私は最年長で、かつ食品業界と業界も異なるので、人生で初めて「マイノリティってこういうことなのかな」と感じました。
正直、私から話しかけていかないと輪の中に入りづらい環境でした。しかし、授業の中ではグループワークやディスカッションなどもしていかなければならない。乗り越えなければならない壁がありましたが、通っている一年を無駄にしないためにも、自分自身が変わらなければならないと思いました。
おかげで、周りの目を気にしないで発言できるようになり、「岡ちゃんのコメント、バズってるよ」と言われるぐらい周囲の反応も変わりました。
ーービジネススクールでの学びは、どのような点で現在に活かされていますか。
岡田賢二:
ビジネススクールでは、具体的なフレームワークやスキームも学びましたが、それ以上に大きかったのは頭の中が整理できたことでした。古い知識や業界の常識をすべて捨てて、マーケティングやファイナンス、人材組織などを体系的に再構築して脳を整理でき、会社の将来の方向性を示す自信と覚悟が生まれました。初心に立ち返って取り組んだタフな1年間の経験が、今の経営にも生きています。
大失敗から生まれた大ヒット商品「α麺」

ーー現場でのこだわりやポリシー、価値観について教えてください。
岡田賢二:
私は2003年に大きな失敗をしています。
電子レンジで温めたとき、麺は冷たくて、丼は温かいまま食べられる斬新な商品の企画をコンビニのベンダーに持ち掛けられました。この商品を初めてコンビニで発売したところ、爆発的に売れて欠品手前に。コンビニでは欠品が許されませんから、ひたすら在庫調整に追われました。
しかし、突然、ぱたっと売れなくなったのです。コンビニの出荷パターンは、最初の1週間がピークで、その後は半分に減るのですが、その事実を知らず、さらに次のタイミングでメニューからカットされてしまいました。その影響で、大量の在庫が残り、廃棄処分で何千万円もの損失を出すことに。当時の営業本部長にこっぴどく叱られ、始末書も書きました。
しかし、その本部長に指摘されたのは、在庫を残したことではなく、「シマダヤにはおいしい麺をつくる技術があるのに、なぜ時間が経過したらまずくなる麺を出したのか。」ということだったのです。
そして、その翌年に発売されたのが、時間経過後ももちっとした食感が残る「α麺(現:流水α麺)」です。大失敗から生まれた「α麺」はロングセラー商品として、シマダヤを支えています。このできごとから、失敗をそのままで終わらせないこと、そして、失敗を許容する寛大さを学びました。
私の経験から、従業員たちにも「あなたの失敗は、会社を転覆させるようなものではないから、もっと挑戦しよう、トライ&エラーしようよ」と話しています。
シマダヤ100周年への布石

ーー改めて、シマダヤについて教えてください。
岡田賢二:
シマダヤは創業94年目を迎える麺専業メーカーです。約200品目の商品があり、約1,000社のお客様に年間8億食以上を販売、売上高は約400億円です。これは、先人や先輩方が築き上げてくださった礎のおかげだと思っています。先人に感謝すると同時に、これからも持続的に会社を成長させていかなければと考えています。
弊社の強みは、これまで94年間で築いた独自のバリューチェーン(開発、生産と品質、販売、顧客ロイヤリティ)です。開発では、チルド麺、冷凍麺に特化。研究開発は70名体制で取り組み、グループ会社の3社11工場で生産しています。冷凍麺工場が4つ、チルド麺工場が7つあり、低温商品の供給力は業界随一です。
また、もともと家庭用の直販ルートを持っていたので、消費者視点で販促提案が可能。業務用の販売では、卸店さんとの強い信頼関係があるので、メニューや調理オペレーションも提案できます。これが弊社の競争力の源泉となっています。
結果、顧客ロイヤリティが非常に高いのが特徴です。2022年、2023年と2年連続で価格改定をしましたが、販売食数を落とすことはありませんでした。品質とブランドを大事にしてきた結果であり、このバリューチェーンの強さを今後も守っていきたいと考えています。
ーー今後の注力テーマや目指す方向性はありますか。
岡田賢二:
2031年の創業100周年に向けて「麺食を通して価値創造を実現し人を笑顔にする会社」を目指しており、「SCG100」というスローガンを掲げ、変革と持続的な成長を実現することを誓っています。2031年までの8年を2つに分けて、前半3年を構造変革期「Change95」、後半5年を成長期・新領域開拓期「Growth100」と位置づけ、計画を立てました。
現在は「Change95」の期間で、コア事業である家庭用チルドと国内業務用冷凍を強化することに注力しています。「流水麺」の年間を通した販売拡大や気温に左右されない商品開発も行っております。また、市場も関東中心から、東海・京阪神エリアまで拡大し、業務用冷凍では、九州に営業所を開設。業界2位から再度のトップを目指しています。
次の「Growth100」の期間には、家庭用冷凍や海外冷凍という新たな事業領域へ展開し、持続的成長を図る計画です。既存の設備で製造できるため、低リスクで成長を見込めると考えています。
ビジネス成功の鍵は「笑顔」と人材育成
ーー人材育成について、どうお考えですか。
岡田賢二:
組織の未来は、人にかかっています。そして、人材育成の本質は、最終的には個の力を高め、そのベクトルが会社に向けられ、結果としてステークホルダーの利益につながることだと考えています。個の力を高めるため、現在、研修制度の見直しなどを行っています。ただし、研修の機会を公平平等に与えるだけでは足りず、受ける側の当事者意識が重要です。そのために、可能な限り、私の体験談を共有し、話を聞いた従業員が「自分だったら、どうするか」と自分ごととして考えられるように工夫しています。
また、幹部候補の従業員には早い段階から意思決定する経験を積んでもらうことを重視しています。責任ある立場で意思決定をする経験が会社を成長させていくと確信しています。
ーー若手の方々への期待やアドバイスはありますか。
岡田賢二:
私は若いとき、「営業部長になる」と宣言して、それを実現しました。その経験から、若手には「あなたのキャリアゴールは?」と聞いています。また、マイパーパス=自分が会社にいる意義も重要です。たとえば、私のマイパーパスは、「困ったときに頼られる存在になること」です。スキルだけでは不十分で、明確なゴールとパーパスを早くから持てる人こそが、真のリーダーになると考えています。
ーー最後に、今後の方針についておうかがいできますか。
岡田賢二:
弊社の経営コンセプトのキーワードは「笑顔」です。仕事で大変なことがあっても、私がこれまで続けてこられたのは、お客様からの「おいしいね」「簡単で便利で助かる」という喜びの言葉と笑顔があったからです。お客様も従業員も笑顔になれる会社を目指し、麺食を通じ笑顔の好循環をつくり出すことが、私たちの存在意義だと考えています。
これからも製麺屋の魂を守りながら、新しい風を取り入れつつ、持続的な成長も実現していきたいです。私はまだまだ未熟ですが、常にアップデートを怠らず、自ら行動し、組織に希望を与える存在でありたいですね。
編集後記
製麺屋の長男として生まれ、偶然の出会いがきっかけで麺専業メーカーに就職し、経営者までのぼりつめた岡田社長。製麺業への並々ならぬ情熱、現場から学び続ける姿勢、そして「人」に向き合い続ける一貫した姿勢に魅力を感じた。創業94年目の老舗製麺企業の挑戦と進化に、今後も目が離せない。

岡田賢二/1970年3月生まれ、愛知県出身。大学卒業後、1993年に島田屋本店(現シマダヤ株式会社)に入社。2004年4月マーケティング部業務用課長、2006年4月業務用特販営業部長、2008年4月業務用第一営業部長、2012年4月執行役員東日本営業本部副本部長兼業務用冷凍営業部長、2014年6月取締役業務用事業統括部長兼業務用営業本部長、2016年2月取締役マーケティング本部長兼経営企画部長、2018年6月常務取締役マーケティング本部長兼商品企画部長、2019年4月常務取締役生産物流本部長、2021年4月常務取締役(早稲田ビジネススクールでMBA取得)、2022年5月専務取締役生産物流本部長、2023年4月代表取締役社長兼生産物流本部長に就任、2024年4月代表取締役社長、2025年4月代表取締役 社長執行役員に就任。