
不動産・ホテル・投資の3事業を軸に、国内外で多角的なビジネスを展開する株式会社ストライダーズ。34歳の若さで代表取締役社長に就任した早川良太郎氏は、アメリカの大学野球で投手として活躍した異色の経歴を持ち、そこで培った経験を現在の経営にも活かしている。アジア市場との連携や地方創生といったテーマに挑戦し続ける姿勢と、組織づくりで次の成長フェーズに挑む早川氏に、これまでの歩みと今後の展望をうかがった。
挫折が育んだ諦めない心と原点回帰の哲学
ーー貴社に入社するまでのご経歴をおうかがいできますか。
早川良太郎:
学生時代は甲子園出場を目指して野球に打ち込んでいましたが、より高いレベルで野球を続けたいと考え、アメリカに留学しました。
コネクションが一切ない中、自分のプレー動画を送付し、直接監督に野球への意欲を伝え、狭き門を通過しました。ただ、最初は正式な大学生ではなく、英語学校の生徒としてのスタートでした。そのため、1年目はマネージャーとして下積み生活を送り、翌年大学入学を果たしました。しかし、入部した野球部は選手層が厚く、なかなか試合に出られません。遠征にも参加できない日々の悔しさで、心が折れそうになったこともありました。
大学では学業との両立を求められ、勉強もハードでした。それでも、留学を決めた時の自分を思い出し、生活習慣やトレーニング方法を見直して地道な努力を続けました。その結果、登板機会を得て成果を残し、遠征にも参加できるようになりました。試合で強豪選手から三振を奪い、無失点に抑えた経験は、留学時代のハイライトといえる体験です。
この海外での野球経験を通じて、2つの大切な考え方が身につきました。それは「苦しいときでも諦めない心」と「落ち込んだ時は、一度原点に戻る姿勢」です。この一連の経験は現在の経営やチームづくりにも活かされています。
ーー帰国してから貴社に入社するまでの経緯を教えてください。
早川良太郎:
大学卒業後に帰国し、2008年にオリックス株式会社に入社しました。金融業界に関心を持っていたことに加え、プロ野球球団を保有している点に魅力を感じたためです。入社当初は法人営業に携わり、その後、社長直轄の環境事業に関わり、下水道事業やペットボトルによる水の備蓄システムの構築などを担当。オリックス時代は多様な業務に関わりました。
6年間の勤務を経て、30歳を目前に「海外で仕事をしてみたい」と考えるようになりました。ちょうどその頃、弊社の経営者だった父から「海外事業を強化したいので協力してほしい」との打診を受け、2014年、30歳の節目に入社しました。
挑戦者たちと共に歩むスローガンに込めた想い

ーーストライダーズ入社後の取り組みをお聞かせください。
早川良太郎:
入社後は経営企画部に所属し、主に海外案件を担当しました。台湾の財閥企業とのジョイントベンチャーでは、車両の走行データを記録する「デジタルタコグラフ」を台湾で製造し、日本に輸出するモデルを実現しました。
また、スリランカをはじめとする南アジアは、人口増加が見込まれ、日本と良好な関係を築いていることから、スタートアップ企業に対して10年ほど投資しています。
ーー社長就任後、意識している点を教えてください。
早川良太郎:
2018年に社長に就任した際、コーポレートスローガンを「Stride With Challengers(挑戦者達と共に闊歩する)」と刷新しました。これからは、競争や奪い合いではなく、「共創」が求められる時代と捉えています。人と一緒に挑戦し、創造し、分かち合う。物質的な豊かさだけでなく、良好な人間関係に根差した社会づくりに貢献できる企業を目指します。
組織運営では、柔軟性と俊敏性を重視し、少数精鋭で意思決定が迅速に行える体制づくりを大切にしています。社員との距離を近く保ち、オープンで透明性の高い情報共有を通じて、信頼を土台とした協働の文化を育んでいきたいと考えています。
アジアと地方創生ふたつの軸で描く未来予想図
ーー改めて、貴社の主要事業について教えてください。
早川良太郎:
弊社は不動産事業・ホテル事業・投資事業の3領域を軸に多角的に事業を展開しています。不動産事業では、オフィスビルや商業施設、マンションなどの管理・運営を通じて安定した収益基盤を築くとともに、家賃保証事業など多様なサービスの拡充を進めます。
ホテル事業では、成田・倉敷・加賀を拠点にホテルを運営し、地域資源を活用した観光振興や雇用創出を通じて「地方創生・地域活性化」に貢献したいと考えています。投資事業では、南アジア・東南アジア地域を中心とした投資活動を通じて、ファンド運営に関する知見を深め、海外投資家とのネットワークを強化しています。投資リターンの獲得に加え、ファンド運営による手数料収入の拡大も図ります。
ーー中長期的にはどのような展望を描いていますか。
早川良太郎:
5〜10年後の展望として、主に2点を考えています。まず、日本とアジアをつなぐ中核拠点、いわゆる「ゲートウェイ」としての役割を担うことです。投資事業では、アジアの企業を中心に密な連携を図ることで、欧米諸国に引けをとらない存在感を発揮できると考えています。
もう1点は、2029年に予定されている成田空港の拡張に向け、雇用創出や商業施設の開発などが進む中、ホテル事業者として成田の地方創生や街づくりに貢献することです。テクノロジーの進展により場所を選ばない働き方が広がる今、自然や人とのつながりといった地方の価値が高まり、大きな可能性を感じています。また、地方には日本文化が色濃く残されているため、海外のお客様にその魅力を伝える接点となることも目指しています。
長期的には、既存事業の基盤強化に加え、コスト構造の見直しや新たな企画による収益向上を図りつつ、不動産事業・ホテル事業・投資事業の相乗効果も高めていきます。M&Aによる事業拡大も視野に入れています。
これからの時代を切り拓く若き挑戦者たちへ
ーー今後採用するにあたり、どのような人材を求めていますか。
早川良太郎:
誠実で前向き、チャレンジ精神を持ち、探求心や独自性のある人を求めています。また、変化を恐れず、課題を見つけて実際に行動に移す力は、これからの時代を切り拓くうえで欠かせません。課題に直面した際には、まず自分の目で現場を見て、体験することから始めます。そうすることで意識が変わり、具体的な課題解決へとつながる実感があります。
私自身、現在もホテルでの業務に携わっていますが、現場での経験や行動力を重視しています。経験を通じてしか見えない景色が、必ずあります。だからこそ皆さんにも、チャレンジ精神を持って、まずは一歩踏み出してほしいと思います。
編集後記
野球で逆境と向き合った経験を経営に活かし、「諦めない心」と「原点回帰」を軸に、競争ではなく共創の価値観で事業を展開する早川社長の姿勢が印象的だった。2029年の成田空港拡張という大きな節目を迎え、日本とアジアをつなぐ存在として、今後のさらなる飛躍に期待したい。

早川良太郎/1983年生まれ。千葉県成田高校を経てカンザス大学経済学部卒。在学中は野球部に所属し全米大会に出場。大学卒業後、オリックス株式会社で法人営業や新規事業開発などに従事。2014年に株式会社ストライダーズ入社後、経営企画部長として東南アジア事業を推進。2018年より代表取締役社長に就任。現在、国内外で投資・不動産・ホテル事業を展開し、挑戦者支援や地域創生に力を注ぐ。