
寛政元年(1789年)創業の蕎麦の老舗、株式会社更科堀井。その歴史は、布の行商を商っていた初代が蕎麦屋に転じ、領主・保科家の江戸屋敷近くに店を構えたことから始まった。伝統の味を堅守する一方、グルテンフリーへの対応や新業態の店舗展開など、時代の変化を捉えた革新を続ける。その舵取りを担うのが、代表取締役の堀井良教氏だ。哲学を学んだ青年が職人の道へ進み、「現代の名工」に選出されるまでの軌跡、そして未来への展望に迫る。
伝統を受け継ぎ蕎麦の道へ
ーー貴社の歴史と、創業の経緯についてお聞かせください。
堀井良教:
弊社の創業は寛政元年、1789年に遡ります。初代はもともと、信州の特産品である信濃布を扱う商人でした。それが蕎麦屋に転じ、領主の保科家の江戸屋敷近くの麻布永坂町に店を構えたのが始まりです。ただ、祖父の代で一度事業を閉じた時期があり、その後、祖父と父は復興した別の蕎麦屋に加わる形で、伝統を受け継いできました。
ーー社長ご自身は、どのような経緯で家業を継ぐことになったのでしょうか。
堀井良教:
私が大学を卒業する少し前に、父から「お前と一緒にやるなら、家業としてもう一度蕎麦屋をやりたい」と誘われたのが直接のきっかけです。実は、大学では哲学科に在籍しており、卒業後は大学院に進んだり、経済の勉強で留学したりすることも考えていました。ですから、料理人になることは全く想像していませんでしたね。いざ職人の世界に飛び込むと、慣れない仕事で怪我をしたり、当初は店の経営が振るわなかったりと苦労も多くありました。
伝統と革新が生むこだわりの一杯
ーー貴社の蕎麦が持つ、他にはない強みやこだわりは何でしょうか。
堀井良教:
蕎麦は、パスタのアルデンテとは違い、しっかりと火を通して、冷水できっちり締めることで生まれる、ピンと立つような食感を大切にしています。蕎麦そのものはもちろん、つゆにも徹底してこだわっています。つゆは、カツオ節を長時間煮詰めて、濃厚でありながらまろやかな味わいに仕上げます。温かいかけつゆには、サバ節などを用いて香り高く仕上げています。この伝統の製法を、創業以来ずっと守り続けていることが私たちの基本です。
ーー今後の商品開発や、事業展開の構想についてお聞かせください。
堀井良教:
伝統を守りつつ、グルテンフリーやヴィーガンといった新しい取り組みにも積極的に挑戦しています。蕎麦が本来持つグルテンフリーという特性を活かし、健康を意識する方や海外からのお客様に向けて、様々な商品を開発しています。例えば、大手食品メーカーと連携したヴィーガンメニューや、社員のアイデアから生まれたそば粉のロールケーキなどです。
こうした革新的な取り組みは、2025年10月にオープン予定の虎ノ門ヒルズの新店舗で、さらに進化させる計画です。この新店舗は十代目に当たる専務が中心となって手掛けるもので、「お昼に食べても眠くならず、生産性が下がらない食事」をコンセプトに、タンパク質が豊富な蕎麦の新たな価値を提案していきます。
人が育つ社風 次代へつなぐ更科堀井の組織力

ーー貴社の顧客層を教えてください。
堀井良教:
ありがたいことに、長年通ってくださる常連のお客様から、弊社の新しい取り組みに興味を持ってくださる若い方、海外の方まで、本当に幅広いお客様にご来店いただいています。特に、蕎麦が持つ健康的な価値や、生産者さんの物語といった背景まで含めて、食の価値を大切にされるお客様に喜んでいただけていると感じます。
ーー組織としての強みや社風をお聞かせください。
堀井良教:
新商品の開発は、現場社員の自発的なアイデアから生まれることがよくあります。弊社では、学歴や経験に関わらず、「あなたのそばに、いつも日本の蕎麦と口福を。」という理念に共感してくれる人材を積極的に採用し、イチから育てることを大切にしています。新卒で入社した社員も多く、女性のそば打ち職人も活躍しています。社員一人ひとりが自分の得意なことを見つけ、それをビジネスとして形にできる環境が、会社の成長につながっているのだと思います。
ーー最後に、これからの時代を担う若い世代へメッセージをお願いします。
堀井良教:
蕎麦は、日本の伝統文化であると同時に、栄養価が高く、痩せた土地でも育つことから、世界の食糧問題にも貢献しうる可能性を秘めた食べ物です。伝統的なイメージがあるかもしれませんが、実は非常にクリエイティブで、世界に広げていける面白いビジネスだと考えています。私たちの思いに共感し、一緒に蕎麦の新しい未来を切り拓いてくれるような、若い方の挑戦をお待ちしています。
編集後記
「230年以上の歴史がある」と聞くと、重厚で堅実なイメージを抱きがちだ。しかし、堀井氏の言葉から伝わってくるのは、伝統への深い敬意と、未来に向けた軽やかな好奇心だった。「現代の名工」として自ら厨房に立ち続ける職人の顔と、新業態の展開や社員の育成に目を配る経営者の顔。その両輪で、更科堀井は前に進んでいる。「あなたのそばに、いつも日本の蕎麦と口福を。」という理念には、蕎麦を通して多くの人を幸せにしたいという純粋な思いが込められている。その思いが、老舗を今なお輝かせているのだろう。

堀井良教/1961年東京都生まれ、慶應義塾大学文学部卒業。大学卒業後、1941年に一度廃業していた総本家「更科堀井」を、8代目の父と共に麻布十番の地に復活させる。2005年、9代目代表取締役社長に就任。現在、港区元麻布にある麻布本店のほかに、日本橋高島屋、立川伊勢丹にも店舗を構えている。また、全日本食学会常任理事として食文化の普及に尽力。さらに、江戸東京ブランド協会副理事長として、東京の良いものを国内外に発信している。