
尼崎に拠点を置き、外国人人材の活躍支援を軸に、派遣、不動産、教育、ビルメンテナンスの事業代行、警備、商社など多角的な事業を展開するWBPグループ株式会社。同社は、外国人人材が持つ可能性を最大限に引き出し、日本企業のグローバル化と海外販路開拓を力強くサポートすることで、「多様性✕多角化」によるオンリーワンの経済圏構築を目指している。モンゴル出身で、自身も日本での生活や就職に苦労した経験を持つ代表取締役社長、五十嵐一氏に、創業の経緯と事業にかける思い、経営哲学について話を聞いた。
モンゴルの大地から夢を追い求め日本へ
ーー起業前までのご経歴をおうかがいできますか。
五十嵐一:
私の実家は内モンゴルの遊牧民で、決して裕福ではありませんでした。長男だった私は、高校進学を諦め、家の仕事を手伝っていましたが、ある夏、モンゴル旅行に来た日本人との出会いで運命が変わりました。
モンゴル旅行の楽しみ方として、遊牧民のゲルに宿泊し、羊や山羊と触れ合うことが挙げられます。私の家でも旅行者を受け入れており、尼崎から来られた方々をおもてなしする機会がありました。皆様にモンゴルの滞在を心から楽しんでいただきたい一心で、精一杯おもてなしをしました。
すると翌日、旅行者の方から「あれだけ一生懸命頑張れる君が、高校へ行かないのはもったいない」と声をかけられました。そして、高校へ通う費用を援助してくれることになったのです。このご縁がきっかけで日本への憧れが強くなり、ついには日本へ留学することになりました。モンゴルで縁ができた尼崎の方がこの時の留学費用も貸してくださり、尼崎に住まいも用意していただきました。尼崎から私の日本での生活が始まったので、今でも尼崎には特別な思い入れがあります。
「せっかく日本に行くのであれば、絶対に成功したい」と強く思い、モンゴルを出る時、両親には「成功するまで帰ってきません」とはっきり伝えました。そして、日本に来てからビジネスのアイディアをずっと探していました。
人材会社へ就職して浮き彫りになった「外国人人材」の課題
ーー日本に来られてから起業までのお話をお聞かせください。
五十嵐一:
日本に来てから、日本語学校、大学と7年間の学生生活を送る中で、何度か引っ越しをしましたが保証人の問題などで契約ができなかったり、アルバイトもなかなか採用されなかったり、苦労しました。
大学卒業後、人材会社へ就職し、初めて採用する側の視点に立ちました。そして、採用に関して企業が求める人材像や採用の仕組みを深く知る一方で、外国人が日本で就職する際の障壁、そして彼らを受け入れる企業側の課題も明確になりました。
当時の日本では、卒業した留学生の約75%が、就職先が見つからずに帰国してしまうという現実がありました。日本は人材不足が課題なのに、日本で働きたい留学生が思い通りに就職できない。この状況をなんとかしたいと思うようになったことが、起業へと繋がる原体験です。
ーー創業当初、どのように事業を軌道に乗せていったのですか。
五十嵐一:
学生時代から経営者と出会う機会に恵まれ、学生ながら経営者のコミュニティに参加していました。将来経営者になりたいと考えていた私は、経営者の皆さんからさまざまなアドバイスをいただきました。そして、そのコミュニティで人脈を広げていたことが、起業した際に大きな力となりました。社長の方々からお客様をご紹介いただき、最初の数年は、皆様のお力添えあってこそ会社が成り立っていたと言っても過言ではありません。資金ショートの危機、コロナなど苦労はありましたが、それ以上に周囲の方々に助けられたという感謝の気持ちが大きいです。
事業の多角化で乗り越えた逆境
ーーコロナの影響は大きかったのですか。
五十嵐一:
最大の危機は、コロナ禍でした。弊社は外国人の就職あっせんが中心で、観光・ホテル関係の取引先が多くありました。インバウンド需要の消滅とともに事業は打撃を受け、売上は3分の1まで落ち込みました。
そして、この逆境を乗り越えるために、事業所の分散と事業の多角化をしました。東京と尼崎にしかなかった事業所を群馬や京都にも展開し、影響の少なかった製造業や食品関係への営業を強化しました。さらに、ITや不動産などの新規事業を立ち上げ、一つの事業に依存するリスクを分散させました。
その頃、新入社員の内定も出していて、社員からは「内定を取り消した方が良いのでは」という声も上がりました。しかし、私は内定者との約束を果たすため、予定通り全員を受け入れました。
ーーコロナ禍を経て、事業戦略に変化はありましたか。
五十嵐一:
不動産事業が軌道に乗り、結果的にコロナ前の売上を超えることができましたが、この経験から、一つの事業に依存するリスクを痛感しました。そして、5年から10年に一度は必ず何らかの危機が訪れるものだと考えるようになりました。
そこで、どのような状況下でも揺るがない強固な会社を作るため、人材事業を核としつつも、事業の多角化を積極的に進めています。例えば、日本語学校の設立や商社事業、ビルメンテナンス事業、さらには警備会社や組合の運営などです。
「多様性✕多角化」で築く!オンリーワンの経済圏

ーー「多様性✕多角化」戦略の具体的な内容と目指す姿を教えてください。
五十嵐一:
弊社には30カ国以上の社員が在籍し、社内自体が多様性に富んでいます。この「多様性」と事業の「多角化」を掛け合わせることで、他にはないオンリーワンの存在になれると考えています。目指すのは、楽天グループのような独自の経済圏です。外国人の方々が日本で生活し、働く上で直面する住まい、教育、就労、ビザといったあらゆる問題をワンストップで解決できる体制を構築し、お客様にとって唯一無二のパートナーとなることを目標としています。
ーー外国人人材の活用について、どのような考えをお持ちですか。
五十嵐一:
「外国人人材=人手不足解消、安い賃金で雇用できる」という考え方は30年前の古い考え方です。現代において重要なのは、外国人人材の受け入れを通じて社内を活性化し、グローバル化を推進すること。そして、日本の素晴らしい製品やサービスを海外に展開していくための原動力として、彼らを捉えることだと考えています。
採用を検討してくださる企業の方には、特別な配慮ではなく、日本人と外国人を平等に扱い、あくまで一人の新しい仲間として迎え入れることをお願いしています。
ーー現在、特に注力されている取り組みは何ですか。
五十嵐一:
今年からは営業組織の強化に本格的に取り組んでいます。自社でコールセンターを設け、マニュアルや営業資料を整備し、誰でも質の高い提案ができる体制を構築中です。
そして、最も注力しているのが経営幹部の育成です。事業が拡大する中で、新卒で入社した社員たちが若いリーダーとなって各事業所で活躍しています。彼らのさらなる成長のためには、教育体制の確立が急務だと考えています。
「5年で独立」を後押しする人材育成と組織の未来
ーー人材育成について、どのようなお考えをお持ちですか。
五十嵐一:
私自身、5年間会社員生活を経験し、その中で多くのことを学びました。5年という歳月は、一つの業界を深く理解し、自身の適性を見極めるのに十分な時間だと考えています。
ですので、社員には、「5年でこの会社を辞めて独立するくらいの気概で仕事に取り組んでほしい」と常に伝えています。もちろん、長く働いてくれることも嬉しいですが、一つの会社に留まるだけでは、得られる経験や報酬に限界があります。一度きりの人生を豊かにするためには、独立という選択肢があってもいい。社員がそれぞれの形で豊かになることを心から願っています。
ーー採用においては、どのような点を重視されていますか。
五十嵐一:
基本的に媒体に頼った採用は行っていません。大学を直接訪問、SNSで情報発信、紹介をいただいたりと、独自のルートで採用活動を行っています。特に、新卒採用は将来のWBPグループを担う人材として非常に重要視しています。講演会などを通じて学生と直接コミュニケーションを取り、弊社の理念やビジョンに共感してくれる仲間を増やしていきたいと考えています。
編集後記
日本で外国人人材支援という独自の道を切り拓いてきた五十嵐社長。その言葉の端々からは、自身の経験に裏打ちされた強い信念と、関わる全ての人々を「豊か」にしたいという熱い思いが伝わってきた。5年という節目を意識した人材育成論もユニークであり、今後のWBPグループの飛躍から目が離せない。

五十嵐一/1984年、内モンゴルの遊牧民の家庭で生まれる。2011年3月関西国際大学卒業。2011年4月、株式会社ウィルオブ・ワーク入社。2016年2月、株式会社ワールドビジネスパートナー(現:WBPグループ株式会社)を設立し、代表取締役に就任。2022年6月、有限会社ワイエムエス(現:WBPセキュリティ株式会社)代表取締役に就任。2024年10月、WBP商事株式会社代表取締役に就任。外国籍人材の活躍支援を軸に、多角的な事業を展開している。