
コロナ禍で多くの企業が事業計画を見直すなか、危機を成長の機会に変えた企業がある。卵殻膜を使用した化粧品・サプリメントを展開する株式会社アルマードだ。同社を率いる代表取締役の保科史朗氏は、野村證券で30年の金融キャリアを積んだ後、同社に参画。幾多の試練を乗り越え、成長を牽引している。保科氏の軌跡とアルマードのビジョン、そして未来を共につくる仲間へのメッセージをうかがった。
厳しい環境下で培ったビジネスの基礎と実業への転身
ーーこれまでのご経歴について教えていただけますでしょうか。
保科史朗:
1985年に早稲田大学を卒業後、野村證券に入社しました。最初の3年間は福岡で個人営業に携わりました。当時の厳しい環境で営業の基礎を徹底的に学びました。新規開拓の面白さや、数字に対するこだわりもここで身につけたものです。
その後、人事部に異動し、人材採用や組織づくりの面白さを経験しました。本店営業部では、日本の政治家などの資金も扱う部署に所属し、金融のダイナミズムを学びました。そこでは、扱う金額の桁が2桁、3桁違う世界が広がっていたのです。
1990年代後半からは法人営業に移りました。上場企業や上場目前の企業のファイナンス、M&A、新規上場(IPO)支援に約15年間携わっています。
ーーアルマードへ転職されたきっかけは何だったのでしょうか。
保科史朗:
野村證券には30年ほど勤め、そのうち最後の1年半はアルマードと関わることになりました。創業者は「上場することで企業としての市民権を得て、卵殻膜を世に広めたい」という強い思いを持っていました。
私はこのとき、モノを扱う「実業」でサラリーマン生活を終えたいという思いがありました。そのため、創業者の誘いを二つ返事で引き受け、2014年12月にアルマードに経営企画部長として入社したのです。
ーー入社当初のアルマードの印象と、当時直面した困難について教えてください。
保科史朗:
入社当初は、財務の信頼性や資産保全は問題ありませんでしたが、業務効率性や内部統制の面には課題が多くありました。上場には相当な改革が必要だと感じたことを覚えています。
最初の困難は、私が入社して約1年後に訪れました。当時、主要な売上を占めており、力を入れていたドラッグストア事業が赤字を計上したのです。これにより、会社は創業以来初の赤字決算に転落しました。原因は、ドラッグストアに納品した商品が、店頭から一斉に撤去される「棚落ち」という事態に見舞われたことでした。
さらに、そのときの営業担当役員が退任することになりました。そこで、野村證券時代に営業経験があった私が、営業管掌役員を兼務することになったのです。
私は証券・金融営業の経験はありましたが、ドラッグストア営業は全くの未経験でした。また、退任した役員を慕う社員の半分以上が退職してしまいました。残ったのはわずか3人という厳しい状況からのスタートでした。
すべてを一から学ぶ日々のなか、1人の営業担当者として地道な営業活動を続けました。取引先の1社であるツルハホールディングス傘下の全国の事業会社を訪問する、いわゆる「ドブ板外交」です。
上場延期&Web広告の内製化で掴んだ成長

ーードラッグストア事業はどのように立て直されたのですか?
保科史朗:
以前は経営陣から現場へ指示を出していただくトップダウンの営業を行っていました。しかし、それが現場の反発を招き、商品の棚落ちにつながっていました。そこで私は、現場への直接アプローチというボトムアップの手法を徹底しました。同時に、本部幹部との関係性も維持するよう努めました。その結果、1年後にはアルマードの商品がツルハホールディングスで推奨販売を行っていただけるようになり、以降安定的に売上を成長軌道に乗せることができたのです。
この時に築いたドラッグストア業界の方との人間関係は、今も私の大切な財産です。
ーードラッグストア事業を立て直されて、その後は順調に進んだのでしょうか?
保科史朗:
ドラッグストア事業は黒字転換したものの、上場を目指せるほどの成長ドライバーにはなりませんでした。そこで、現在の主力事業であるWebでの定期便サービスを2018年から開始し、順調に売上を拡大させていきました。
そして、2020年に念願の上場承認が下りた直後、コロナ禍で世の中が大混乱に陥りました。弊社は上場を1年延期せざるを得なくなりました。全社一丸で準備してきた中での延期は、社員のモチベーション低下につながってしまいました。
ーー上場延期の期間を、どのように乗り越えられたのですか?
保科史朗:
野村證券時代に培ってきた「災い転じて福となす」精神で、この期間中も常に前向きな気持ちで対応してきました。
この期間を活かし、それまで外部代理店に委託していたWeb広告運用を内製化しました。その対応のひとつとして自社で広告制作から配信・運用まで一貫して行う体制を構築したことで、大きな成長につながりました。競争の厳しいWeb通販業界において、この期間がなければ今の業績はなかったと断言できます。今では、この1年間の延期期間はむしろ良かったと捉えています。
ーー貴社の研究素材である「卵殻膜」について、その独自性と強みを教えてください。
保科史朗:
卵殻膜とは、卵の殻の内側にあるわずか0.07mmの薄い膜のことです。その効能は古くから知られていました。約420年前の中国の薬学書「本草綱目」に、卵殻膜は創傷等の治療薬であるという記述があるほどです。かつては科学的なアプローチが難しかった素材でした。しかし、当社の長年の研究開発の結果、化粧品やサプリメントへの商品化に成功しました。
弊社は創業以来卵殻膜に関する研究を続け、東京大学を始めとするさまざまな研究機関と20年以上産学連携を行っています。卵殻膜が皮膚の真皮層に存在する線維芽細胞を活性化してⅢ型コラーゲン生成を促進することなどを確認しました。また、潰瘍性大腸炎や肝硬変の抑制といった様々なデータを蓄積しています。
海外展開とOEM強化 仲間とともに築く未来

ーー今後の事業戦略や将来の展望について教えてください。
保科史朗:
最終的な目標は「日本国内の化粧品・健康食品の中でトップ10に入る」ことです。これは単なる売上だけではなく、認知度や評判も含めての目標です。
その達成のため、現在のWeb定期便やテレビショッピング中心のモデルだけでなく「店頭販売の拡大」「海外市場への進出」「OEMでの新規開拓」の3つを軸にも注力し事業を推進していく方針です。
店頭販売については、中期目標として、売上構成比を現在の5%から20%に高めることにしています。現在、全国に約2万3千店舗あるドラッグストアのうち、弊社の商品は約3千店舗に留まっています。この目標達成のためには、過去に成功したトップダウンとボトムアップの営業活動が不可欠です。それに加え、消費者が自ら商品を手に取るきっかけとなる「マスプロモーション」も重要だと認識しています。
ーー海外展開やOEM事業の開拓についてはいかがでしょうか。
保科史朗:
海外では、卵殻膜を配合したサプリメントは一般的に販売されています。この市場で、弊社の高品質な卵殻膜を提供したいと考えています。現在は、アメリカの政府機関であるFDA(食品医薬品局)の輸出許可取得を進めています。現在既に推進中のアジア市場開拓にアメリカも加え、海外市場へ本格的に進出します。
OEM(他社ブランドの製品を製造する)事業は、中堅化粧品会社や通販会社など、弊社の卵殻膜商材を主要ブランドとして採用してくれる企業との連携を、さらに強化していく所存です。
ーー今後の事業計画を実現するために、どのような人材を求めていますか。
保科史朗:
差し迫った課題として、Web広告ディレクター、クリエイティブディレクター、CRM(顧客関係管理)経験者を求めています。
理想は、常に自分で考え、次の一手を思考できる方と一緒に働くことです。自ら仕事を創り出し、リーダーシップを発揮して率先して行動できる方は、年齢に関係なくポジションが得られる環境です。将来的には店頭流通の経験者も必要です。管理部門では、事業環境の変化にスピーディーに適応できる経理のプロフェッショナルや人事経験者も求めています。
意欲ある方には、ぜひ門戸を叩いてほしいですね。
編集後期
保科氏の言葉からは、野村證券での30年の経験が深く根付いていることが伝わってきた。それは、前向きな姿勢と変革を恐れず未来へ進む精神である。幾度となく訪れる経営の危機を、戦略的な事業転換で乗り越えてきた。その手腕は、危機をむしろ新たな成長の機会へと変えている。アルマードが今後、どのような「仲間」を迎え入れ、さらなる変化を遂げるのか。ますます目が離せない。

保科史朗/1985年、早稲田大学卒業後、野村證券株式会社に入社。2014年に株式会社アルマードに入社し、経営企画部長に就任。2015年1月に常務取締役 経営企画部長に就任。2018年5月に常務取締役 営業管掌役員に就任。2022年6月から代表取締役。