
兵庫県姫路市に拠点を置き、建設資材の販売・施工を通じて地域の街づくりを支える播備株式会社。3代目として事業を継承した代表取締役の守分宏氏は、20代で経営の抜本的な改革に着手し、強固な経営基盤を築き上げた。その原動力は、関東での修行時代に痛感した商習慣の違いと、若き日に抱いた「会社を良くしたい」という強い意志にあった。現在は「感謝と奉仕」の心を経営の核に据え、従業員満足度の向上と地域貢献を追求している。同氏が歩んできた改革の軌跡と、社員、顧客、そして地域と共に描く未来へのビジョンに迫る。
若き日の修行時代に培われた広い視野と未来像
ーー家業を継がれた経緯についてお聞かせいただけますか。
守分宏:
3代目という立場でしたが、父から後を継ぐことに関してあまり話されたことがなかったのでプレッシャーなども感じていませんでした。ただ、後を継ぐことを意識し始めたのは、大学4年生の就職活動の時期です。名古屋の会社に内定が決まっていたのですが、父から「そこではなくユアサ商事へ行け」と言われました。そこで社会人としてのキャリアを積み、会社に戻ることになりましたが、そのことに対する戸惑いは全くありませんでした。
ーー関東での修行時代の思い出に残るエピソードはありますか。
守分宏:
関東と関西の商習慣や事業規模の桁違いを肌で感じ、視野が大きく広がりました。関西の同業者は小規模なところが多いですが、中部や関東には売上100億円規模の企業も存在します。その違いには驚きました。社会人として関東で3年間を過ごした経験は、現在の経営に影響を与えていると思います。
当時、吉本新喜劇が普及していたおかげで、仕事中に関西弁を使っても周りの人には受け入れてもらえました。しかし、父との電話では印象的な出来事もありました。ふと関東弁の「〜じゃん」が出てしまい、母から「そんな言葉を使っていたら関西で商売はできない」と叱られたことがあります。
ーー家業に戻られた当初、どのような心境でしたか。
守分宏:
20代で弊社に戻った当初は、年配社員が多く、「若造が入ってきた」と阻害されるような雰囲気もありました。この状況を変えるには、先代からの社員が定年退職するのを待つ必要があり、15年ほどかかりました。しかし、弊社に入社した当初から、私には20年後の会社に対する明確なビジョンがありました。自己資本比率(※1)を改善し、会社規模、お客様の数、トラックの台数まで分析して経営戦略を策定し、実行する!その強い志を胸に、まずは会社の財務体質を健全化することから始めました。
(※1)自己資本比率:総資本のうち返済不要な自己資本が占める割合を示す経営の安定性指標。
圧倒的な実行力 大規模工事を可能にする独自の強み

ーー貴社の事業内容と、強みについてお聞かせください。
守分宏:
弊社は兵庫県下でおよそ800社の建設会社や問屋を中心に、事業を展開しています。グレーチング(※2)やフェンス、エクステリアなど建設・土木・建築資材・安全資材・足場を販売施工しています。特にフェンスやガードレールの工事では、兵庫県でも有数の実績を誇ります。
弊社の強みは業界でも随一の「機動力」と、それを支える高い「工事力」です。同業他社の4〜5倍の規模で在籍しており、トラックなどの機材も全て自社で保有しています。この体制があるからこそ、近畿一円はもちろん、中国や名古屋といった遠方の工事、さらには他社では対応が難しい大規模な工事にも迅速に対応できます。
(※2)グレーチング:鋼材などを格子状に組んだ排水性のある金属製品のこと。
ーーどんなところに仕事のやりがいを感じていますか。
守分宏:
やはり、自分たちの仕事が形に残ることです。万博や神戸空港など、後から振り返ったときに「あの場所は私たちが施工した現場だ」と誇りに思える瞬間が多々あります。生まれ故郷であるこの地域を良くしたいという気持ちが強く、街の景観をつくる仕事に携われることに、大きなやりがいや喜びと共に責任を感じています。
「感謝と奉仕」で従業員の物心両面の幸せを追求
ーー社長就任後、経営に対する考え方に変化はありましたか。
守分宏:
若い頃は自分本位で、とにかく会社を良くすることばかりに囚われ、肩肘を張っていました。しかし、社長に就任してからは考え方が大きく変わりました。青年会議所や盛和塾などで多くの経営者の方々と交流する中で、経営には相手を思いやる心、そして感謝の念が不可決だと言う気持ちが自然と芽生えてきました。今では自社の発展だけでなく、弊社に関わる会社、ひいては地域全体が幸せになればという奉仕の心を忘れずに経営にあたっています。
ーーその意識は、会社でどのように反映されていますか。
守分宏:
何よりもまず、従業員の満足度を上げ、定着率を高めることを考えるようになりました。猛暑や厳寒のなか、使命感を持って頑張ってくれている従業員には本当に感謝しかありません。だからこそ、従業員やその家族が物心両面で幸せを得られるようにするのが、私の責務です。
かつての年功序列的な評価を見直し、個人の頑張りが正当に報われるインセンティブ賞与を導入したのも、その思いの表れの一つです。特に「普段経験できないことをさせてあげたい」という思いを大切にしています。そのため、毎年の社員旅行では、個人では宿泊が難しい宿を選んでいます。例えば、石川県の「加賀屋」などがその一例です。また、「ねぶた祭に行きたい」「北海道新幹線に乗りたい」といった従業員のリクエストに応えています。
他にも無条件の住宅手当や社員寮、会員制リゾートホテルの利用補助など、他社と比較しても手厚いと自負しています。従業員が安心して長く働ける環境をつくることが、会社の持続的な成長に不可欠だと考えています。
信頼を軸とした事業展開と社会貢献
ーー今後の事業展開について、おうかがいできますか。
守分宏:
かつては新規開拓に注力し取引先を大きく増やしましたが、今はフェーズが変わりました。闇雲に顧客を増やすのではなく、現在お付き合いのあるお客様との関係性をより深く、濃いものにしていくことを重視しています。お客様にとって弊社が「なくてはならない存在」となり、信頼されることを目指します。そして、「播備は信用できるいい会社だよ」とご紹介いただくことで、仕事が広がるような会社を目指します。良い人間の周りには、良い会社が集まる。そう信じて、一社一社と丁寧に向き合っていきます。
ーー事業を通じて、地域にどのように貢献していきたいですか。
守分宏:
私の故郷である姫路市とは、災害時に資材を提供する協定を結んでいます。これは全国でも弊社だけのユニークな取り組みです。また、会社を挙げての献血活動に取り組んでいます。加えて、交通遺児や各種団体への寄付など、できる限りの社会貢献活動を続けています。
経営の根幹に「奉仕」の心が生まれてからは、こうした活動はごく自然なものになりました。事業で街をつくるだけでなく、さまざまな形で姫路のために貢献できる企業であり続けたいです。
ーー最後に、会社として目指す未来の姿についてお聞かせください。
守分宏:
この建設業界は縮小傾向にありますが、私たちはこの10年、逆風の中で拡大を続けてきました。この基盤を維持し、さらに発展させていく覚悟です。そして何よりも、従業員が「自分の働く会社は素晴らしい会社だ」と、胸を張って家族や友人に自慢できるような会社にしたいです。
私自身は70歳くらいまで現役で走り続けるつもりです。4代目として事業承継も含め、この先やるべきことはたくさんあります。しかし今はまず、お客様、社員、そして姫路のために物心両面の幸せを追求していきます。それが私の使命です。
編集後記
3代目として会社を継ぐ宿命を背負いながらも、その運命を自らの手で切り拓いてきた守分氏。20代で抱いた強い意志と関東での修行時代に得た広い視野が、その後の大胆な経営改革の原動力となったことは想像に難くない。しかし、同氏の言葉から最も強く感じられたのは、「自分本位」から「感謝と奉仕」へと昇華した経営哲学の深さである。「感謝と奉仕」の信念は、従業員への手厚い福利厚生や、地域への貢献活動という具体的な形となって表れている。企業の成長と、関わる人々の幸せを両立させようとするその挑戦は、これからも続いていくだろう。

守分宏/1970年生まれ。中京大学を卒業後、「ユアサ商事」へ入社し3年間勤務。1996年、播備株式会社へ入社。入社当時から経営改善に取り組み、2010年、40歳で代表取締役に就任。以来、強固な財務体質と従業員満足度を両立する経営を推進している。