
京都に拠点を置き、建設工事現場の測量事業で業界トップクラスの技術力を誇る株式会社きんそく。同社は、30年以上にわたり培ってきた「測る」技術を核に、近年は建設業界の課題を解決するシステム開発にも注力している。代表取締役の奥野勝司氏は、高校時代からの夢を叶え27歳で独立。しかしその道は平坦ではなく、親会社の経営不振による倒産の危機に直面した。その危機を、創業メンバーとの固い絆で乗り越えてきた。「盛和塾」での学びを機に「利他の経営」に目覚めた同氏に、その軌跡と未来への展望を尋ねた。
27歳での独立を実現した修行時代と揺るぎない決意
ーー建設業界を志し、独立・起業されるに至った経緯をお聞かせください。
奥野勝司:
高校生のときから「社長になりたい」という思いがあり、その夢を叶える一番の近道が建設業界だと考えたのが始まりです。もともとものづくりが好きで、中でも建設は私たちの生活に不可欠なインフラを支えるスケールの大きさがあり、非常にダイナミックだと感じました。
大学卒業後は、暖簾分けでの独立を目指して地元の建設会社に就職しました。しかし、1年半ほどでその計画が不可能だと分かり退職します。その後、ご縁があった測量会社から「うちなら独立させる」と声をかけていただき、修行に励みます。そして27歳のとき、京都で弊社前身となる京都オー・テックを創業し、夢を叶えるのです。
会社存続の危機を救った創業メンバーとの絶対的な絆
ーー創業後に直面した最大の困難はどんなことでしたか。
奥野勝司:
親会社の経営が傾き、弊社も倒産の危機に瀕したことです。当時はすべての契約を親会社経由で行っており、売上もまず親会社に入金される仕組みでした。ところが、その売上が3ヶ月ほど全く入ってこなくなりました。お客様は支払っているのに、私たちの元にお金が届かない状態です。資金繰りが悪化しただけでなく、私を社会に送り出してくれた親のような存在と別れなければならないという葛藤も、非常につらく感じました。
ーーその困難を、どのように乗り越えられたのでしょうか。
奥野勝司:
創業当時からの仲間たちの存在が、何よりも大きな支えでした。小学校からの同級生である副社長と2人でこの会社を始め、そこに創業初期に加わった専務と常務がいます。この4人の絆があったからです。彼らは金銭的にも私を支えてくれましたし、今も株主でいてくれています。「たとえ会社が潰れても、この4人がいればまたゼロからやり直せる」と信じることができました。彼らとの信頼関係がなければ、今の私はいません。
「盛和塾」での学びから生まれた揺るぎない経営哲学の確立
ーー現在の経営哲学について教えてください。
奥野勝司:
稲盛和夫塾長の経験や教えを通じて学ぶ、経営者を対象とした経営塾「盛和塾」に入ったことが、私の経営者人生における最大の転機です。それまで約20年間、独学で会社を経営してきて、自分は特別な存在で「この苦労は誰にも分からない」と、正直なところ天狗になっていました。ところが、「盛和塾」で先輩経営者の体験発表を聞き、自分の経営がいかに未熟であるかを突きつけられ、愕然とします。その差はまさに雲泥の差でした。
ーー社員に対する思いはどのように変化しましたか。
奥野勝司:
「こんな未熟な自分についてきてくれる社員たちは、なんてかわいそうなのだろう」と心から思いました。それまでは、どこかで「俺が社員を食べさせてやっている」という傲慢な考えがありましたが、それは大きな間違いでした。全ての問題は経営者である自分にあったと気づかされ、考え方が180度転換。自分の能力や時間は、すべて社員の幸せのために注ぐべきだと考えるようになりました。
30年以上の経験が育んだ測量技術と独自ノウハウの蓄積
ーー貴社の事業の強みについてどうお考えですか。
奥野勝司:
弊社の事業の核は、建設工事現場における測量や調査、設計です。この分野において、事業規模では業界トップクラスだと自負しています。しかし本当の強みは、単に測るだけでなく、30年以上にわたり培ってきた「ものづくり」のノウハウが蓄積されている点です。この技術力こそが、他社にはない最大の価値だと考えています。
長年培ってきた測量の技術やノウハウを活かしたいという思いがあります。お客様である建設業界の省人化や生産性向上に貢献するため、システム開発も手がけるようになりました。今では7人ほどのプログラマーが在籍するまでになっています。測量技術だけでは生まれない新たな価値を提供することで、他社との明確な差別化を図っています。
社員一人ひとりの人間的成長を支える独自の組織文化
ーー人材育成の面ではどのような取り組みをされていますか。
奥野勝司:
「あなたは何のために生き、何のために仕事をするのか」。私たちは、この根源的な問いに自分自身で向き合う研修を行っています。人生の軸が定まって初めて、仕事の軸も定まるからです。この研修では人生観と仕事観を結びつけ、「自分とは何者か」という問いに答えられる人間になることを目指します。他にも、社員の誕生日を祝う会を開くなど、仲間との絆を深める機会を大切にしています。
ーー社員に期待することはどんなことですか。
奥野勝司:
社会のどこへ行っても活躍できるような、人間味のある人に育ってほしいです。たとえ、いつか弊社を辞めることになったとしても、次の場所で「君はすごいな」と評価される。そんな人材を育成する場でありたいと強く願っています。
建設業界の枠を超えて挑む「測る技術」による新市場の開拓

ーー5年後、10年後にはどのような会社の姿を目指していますか。
奥野勝司:
これまでは建設業界のお客様がほとんどでしたが、近年は全く異なる業界への新市場開拓に力を入れています。私たちは自社を『「ハカル」提案型価値企業」』と定義しており、この「ハカル」技術で解決できる課題は、業界を問わず存在すると信じています。
5年後には売上45億円を達成する計画です。そして10年後には建設業界の割合を6割程度に、残りの4割を新規事業で構成することを目指します。一つの業界の景気に左右されない、盤石な経営基盤を築きたいと考えています。社員とその家族、お客様、そして社会に喜ばれる会社であるという基本を忘れず、身の丈に合った成長を続けていきます。
編集後記
「社長になる」という夢を実現した道のりは、決して平坦ではなかった。倒産の危機という外部からの試練。そして「天狗になっていた」という自らの内なる驕りとの闘い。奥野氏はその双方を乗り越えてきた。外部の危機を支えたのは仲間との「絆」であり、内なる驕りを打ち砕いたのは「利他の心」への転換であった。この経験こそが、同社の技術力と人間力を育む土壌となっている。逆境から得た哲学が、未来を創造する最大の原動力なのだ。

奥野勝司/1965年奈良県生まれ。近畿大学卒業後、建設会社を経て1992年、京都オー・テック株式会社(現・株式会社きんそく)を創業。測量・設計・調査など建設コンサルティング業を展開する。物心両面の幸福を追求し「人を生かす経営」を実践。2025年「日本で一番大切にしたい会社」大賞にて中小企業基盤整備機構理事長賞を受賞。