
創業から70年を超えるレストラン「月見草」をはじめ、浅草で飲食店を3店舗を展開する株式会社浅草。特別な日を彩る徹底したおもてなしで、多くの顧客に愛され続ける老舗である。四代目主人である雑賀重昭氏は、親の看板に甘んじることなく自らの力で道を切り拓き、コロナ禍という未曾有の危機においては、街全体を巻き込む数々の企画で希望の灯をともしている。その圧倒的な行動力の源泉は、「自分の力をつけたい」というハングリー精神にある。浅草の未来を見据える雑賀氏の挑戦と、その根底にある「人間力」の正体に迫る。
何者でもない自分への渇望と唯一無二の武器探求
ーーこれまでのご経歴についてお聞かせください。
雑賀重昭:
将来、家業を継ぐことを見据え、社会勉強のためにレインズインターナショナルに入社しました。「牛角」「しゃぶしゃぶ温野菜」などを運営する企業です。入社の動機は、「企業とはどういうものかを学びたい」という強い思いでした。
レインズインターナショナルで働く間、常に意識していたことがあります。それは「どうすれば早く本部に行き、プレイヤーではなく仕組みをつくる側を勉強できるか」ということです。具体的には、当時流行り始めていたブログで店舗の情報を発信しました。また、売上に対する人件費の適正値を自動で算出する帳票も作成しました。こうした取り組みが評価され、社内で新人賞を受賞しました。しかし、上には上がいることも痛感し、この経験によって自らの視野は大きく広がりました。
ーーなぜ、すぐに家業を継がずに修業することを選んだのでしょうか。
雑賀重昭:
父は浅草で人望があり、多くのお客様に愛されていました。私は「その息子」と注目されることはあっても、私自身に光が当たっているわけではありません。常に比べられる悔しさもあり、「自分の力をつけたい」というハングリー精神が強かったのです。「父とは違う自分の武器で道を切り拓こう」と常に考えていました。また、「会社の看板を全て取ったときに、自分に何が残るのか」と自問していました。
「他がやらない」ことにこそ見出す、徹底したおもてなしの本質

ーー貴社が運営する店舗について、それぞれの特徴を教えていただけますか。
雑賀重昭:
弊社では3店舗を運営しています。釜飯・串焼き「麻鳥」、和牛・海の幸・炭火焼会席「蔵」、シーフードレストラン「月見草」です。それぞれ提供する料理のジャンルは異なりますが、お客様の利用シーンに合わせた使い方を想定しています。
「麻鳥」は、少し贅沢をしたい日の普段使いに。「蔵」は、日本の和を感じられる空間で、接待などに向いています。そして「月見草」は、誕生日や記念日といった特別な日に利用していただくお店です。
「月見草」では、さまざまなサービスを用意しています。きっかけは、後輩の結婚を祝う際に、お店でできる最大限のおもてなしをしようと考えたことでした。花びらを敷き詰めたテーブルの演出に、後輩が大変喜んでくれたのです。「これをお店のサービスにしたら、もっと多くの人に喜んでもらえるのではないか」と思い、本格的に始めました。
準備に手間がかかるため、スタッフからは「本気でやるんですか?」と言われました。しかし、他がやっていないからこそやる価値があると考えています。このサービスをきっかけに、長寿のお祝い用に色の違うちゃんちゃんこを揃えたりと、お客様の特別な日を彩るためのアイデアが次々と生まれました。
絶望の街で見出した活路 利他の精神が生んだ逆境突破術
ーーコロナ禍ではどのような状況だったのでしょうか。
雑賀重昭:
まさに絶望的な状況でした。もともと資金繰りが厳しい状態だったため、一気にお金が回らなくなりました。誰も経験したことのない事態に、どうすればいいのか本当に悩みました。しかし、困っているのは弊社だけではありませんでした。そんな中、情報共有のスピードが命だと考え、台東区の経営者仲間たちとLINEグループを立ち上げて情報交換を始めました。「自分の店のことだけを考えていては、会社も街も良くならない」。それが私の信念です。
ーー具体的には、どのような取り組みをされたのですか。
雑賀重昭:
活気が消えゴーストタウンのようになっていく浅草を見て、何かできることはないかと常に考えていました。そんなとき、ある企業からPRアンバサダー企画の提案があったのをきっかけに、自分たちでInstagramを活用した「ミス浅草ジェニック」を立ち上げたのです。「グランプリ」という結果ではなく、参加者が自分の言葉で浅草の魅力を発信してくれるプロセスそのものが大切だと感じました。
父からは猛反対されましたが、諦めずに広めていくうちにメディアにも取り上げていただきました。今では80もの店舗に協力いただく企画に成長しました。投稿や記事を見た多くの人が「浅草って面白い街だな」と思ってくれることこそ、街の希望の灯になると信じています。
伝統の継承者が見据える飲食業界の未来と自らの使命
ーー今後の事業展開について、どのような構想をお持ちですか。
雑賀重昭:
飲食業界の「休みが少ない、労働時間が長い、給料が低い」という常識を変革したいと考えています。そのために、レストランのメニューを缶詰にして長期保存可能な商品として販売する「浅草おすそわけプロジェクト」を計画中です。これにより店舗の売上を安定させ、従業員の労働環境を改善し、業界全体をホワイトにしていきたいです。
ーー尽きることのない情熱は、どこから来るのでしょうか。
雑賀重昭:
私の周りには、若くして亡くなった先輩のように、生きたくても生きられなかった人たちがいます。ある先輩は亡くなる直前、「お前は生意気で面白い。俺の分まで頑張れ」と励ましてくれました。私の命は自分一人のものではありません。彼らから託された思いと共に、全力で生きる。それが、私の最大の原動力です。
編集後記
雑賀氏が何度も口にした「会社の看板を全て取ったときに、自分に何が残るのか」という言葉は、同氏の行動原理そのものである。圧倒的な行動力と周囲を巻き込む人間力は、この問いを自らに課し続ける覚悟から生まれているのだ。コロナ禍という未曾有の危機に際しても、自社の利益だけでなく愛する街全体の未来のために奔走した。その根底には、人、街、そして業界の未来を信じる熱い思いが宿っている。同氏が巻き起こす変革は、これからも多くの人々の心を照らし続けるだろう。

雑賀重昭/台東区浅草出身。️創業から70年を超えるシーフードレストラン「月見草」、釜飯・串焼き「麻鳥」、和牛・海の幸・炭火焼会席「蔵」など、浅草で3店舗を経営。歴史と伝統文化を体験してもらうため、浅草版のミスコン「ミス浅草ジェニック」の企画やSHOWROOMとのコラボ配信企画「浅草シンデレラガール」プロジェクトなど、自店だけでなく「浅草」という街を盛り上げるべくオンラインとリアルの両面で精力的に活動中。