
サッポロホールディングス株式会社のグループ会社として、1899年から続くビアホール「銀座ライオン」を運営している、株式会社サッポロライオン。今では数少ないレトロなビアホールで、こだわりのビールと食事を楽しめると人気を博している。
アルバイトから社員となり、経営者になるまでの経緯や、コロナ禍を経て過去最高益を達成した戦略などについて、同社の会長、三宅祐一郎氏にうかがった。
学生アルバイトから入社。離職率が高い飲食業界でも人が辞めない理由
ーーまずは入社のきっかけについてお聞かせください。
三宅祐一郎:
高校2年生のときにサッポロライオンが運営する飲食店の求人を見つけ、アルバイトを始めました。そのときは半年で辞めたのですが、大学生になって役者を目指していた私は、劇団に入る費用を貯めるため、再度雇ってもらえないか店に電話をかけたのです。
すると、スタッフの方が私のことを覚えていて、快く採用していただきました。それから在学中は働き続け、アルバイトリーダーに昇格します。あるとき支配人から「うちで就職しないか」と声をかけていただき、入社試験を受け社員として働き始めました。
ーー貴社は平均勤続年数が約15年、離職率は10%を下回っているそうですが、人材が定着しやすい理由はどこにあるのですか。
三宅祐一郎:
確かに弊社は長く勤めている人が多く、私のようにアルバイトから社員になった人も多いですね。ちなみにアルバイト時代に一緒に働いていた方は、70歳を過ぎた今でも現役で働いていますよ。
人が辞めない一番の理由は、上司や仲間とのコミュニケーションの良さにあると考えています。私自身も職場の居心地が良かったからこそ、アルバイトを辞めずに続けてこれたのだと思います。
赤字店舗を個室バーに変更し、若者に人気の繁盛店へ
ーー社長に抜擢されたのにはどのような背景があったのでしょうか。
三宅祐一郎:
タイミングと人の縁、運の良さに恵まれ、店長を任された店舗で次々と売上を伸ばした実績が認められたことが大きいですね。もちろん、何もせず売上が上がったわけではなく、さまざまな工夫を重ねてきました。
はじめに担当した神楽坂の店舗は坂の途中にあったため、いかに足を止めて店に入ってもらうかを常に考えていましたね。通行人の方の目を引くため、サンプルケースに置くサンプルを昼と夜で変えたり、アピールしたい商品が目に付くよう配置をこまめに調整したりしました。
また、昼と夜で暖簾を変え、ライティングをして明るい雰囲気にするなど、思いつく限りの方法を試しましたね。その結果、20ヶ月連続の売上更新という記録を打ち立て、社内の表彰式では200人ほどの支配人が集まる中、当時30代前半で最年少だった私が成功事例発表をしました。
そこで「最初の12ヶ月は前任者の影響が大きいため、13ヶ月目からが本当の勝負」と話したのを覚えています。これをきっかけに上層部の方々に認知してもらえ、責任者の候補として名前が挙がるようになり、今に至っています。
ーー「プライベートダイニング 点(ともる)」を開業したときのエピソードを教えてください。
三宅祐一郎:
渋谷にある13年赤字続きの店舗の責任者を任されました。新しい業態に変えることは決まっていたので、これまで囲い込めていなかった20、30代の男女をターゲットに、個室があるおしゃれなダイニングバーに改装しました。当時そのようなバーが流行っていたことも相まって、合コンやデートでご利用いただけ、結果、テレビ取材も受けるような繁盛店にすることができたのです。
戦前からビアホール事業を続けてきた歴史と味のこだわり

ーー数多くの外食チェーン店がある中で、貴社ならではの特徴をお聞かせください。
三宅祐一郎:
弊社の最大の特徴は、サッポログループのビールしか提供していないことです。一般的な外食チェーンはブランドを変更できますが、サッポログループの外食事業である弊社は、アンテナショップとしての役割も担っています。
だからこそこだわっているのが、ビールの味です。特に「銀座ライオン」では、現在一般的に普及しているサーバーでの注ぎ方とは異なり、一度に液体から泡まで注ぎきる「一度注ぎ」という弊社伝統の手法でビールを注いでいます。グラスの中でビールを勢いよく回転させながら注ぐことによる、苦味が軽減された爽快なのどごしと、ふんわりと軽快な泡が特徴です。
また、創業から125年続くビアホールの歴史も、弊社ならではの持ち味です。本店である「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」は創建91年を迎えた、東京大空襲を乗り越えた歴史ある建物です。このように、長年にわたりビアホール事業を続けているのは、全国でも弊社だけだと思います。
ーー今後注力したいポイントを教えていただけますか。
三宅祐一郎:
人によるおもてなしと、デジタル化の両立を進めていこうと考えています。お客様とのコミュニケーションを大切にする「語らいの場」として機能しつつ、アプリなどを通じたお客様との接点づくりを強化しています。
また、訪日外国人の増加にともない、多言語対応のタブレットメニューの導入も進めているところです。対面のコミュニケーションはこれまで通り大切にしながら、時代の変化に合わせた対応を強化していきたいですね。
ビールを経営の軸とし、日本のおいしさを国内から発信
ーー人材育成について貴社の取り組みを教えていただけますか。
三宅祐一郎:
コロナ禍を機に研修体制を見直し、オンライン研修を取り入れた効率的な教育体制を整えています。実技研修だけでなく、コンプライアンス、アンコンシャスバイアス(※1)、アサーティブコミュニケーション(※2)研修など、幅広い内容を提供しています。
こうして日常業務の中でこれまでの各自の行動を見直し、改善していく機会を大切にしていますね。
(※1)アンコンシャスバイアス:偏見や思い込みから偏ったものの見方をしてしまうこと
(※2)アサーティブコミュニケーション:自分の意見をしっかり伝えながら、相手の意見も尊重するコミュニケーション方法
ーー今後のビジョンについてお聞かせください。
三宅祐一郎:
10年後も20年後も、ビアホール文化の発信を軸に経営を続けていきたいと考えています。これまで数々の業態を展開していましたが、コロナ禍を機に事業を整理した結果、2023年は同社グループ全体で過去最高益を達成することができました。
この経験で、ビアホール事業が会社を支える根幹なのだと改めて実感しましたね。今後も新規出店はしていきますが、あくまでも軸をぶらさずに事業を広げていきたいと考えています。
また、ビールは世界中で親しまれている飲み物なので、訪日観光客の集客にもつながると思っています。海外のお客様にも弊社の商品のおいしさを知っていただき、日本のビールを好きになってもらいたいですね。
編集後記
「サンプルケースの手入れを怠っている店は、お客様に選んでもらえない」と話す三宅社長。こうした他店が見落としがちな点を怠らず取り組んできたからこそ、次々と繁盛店を生み出してきたのだと感じた。株式会社サッポロライオンは、これからも「銀座ライオン」でしか味わえない体験とおいしいビールを提供し、人々の憩いの場であり続けるだろう。

三宅祐一郎/1964年愛知県生まれ。中京大学卒業。大学に通うかたわらサッポロライオンが運営する「名古屋ビール園 浩養園」でアルバイトとして勤務。1988年に株式会社サッポロライオンへ入社。数々の店舗で経験を積んだ後、新業態事業部長、取締役執行役員、ブランド戦略部長、取締役常務執行役員、営業本部長を経て、2018年に代表取締役社長に就任。2025年3月に同社会長に就任。